FILE02:ビーレフェルトを知っているかい
「ん、んん……」
伏見塚が少女を担ぎ自室に運んでから二時間、日付が変わる前に彼女は起きた。
その間伏見塚が何をしていたかと言うと、
無論この只ならぬ事態と少女の容体を
なら家人はと言えば、かつて伏見塚は両親と共にこの家に居たが、小三の頃に父が他界、中一で母親が蒸発してからは一人で暮らしている。もちろん歩いて数分もすれば祖父母の実家があるから、要は持ち家のメンテナンスも兼ねた独居と表現するのが正しいだろう。トタン屋根の急造で|設えられた暮らす為だけのオンボロの平屋は、一足遅い同棲に先走った、或いは彼の父母の夢の残骸だったのかも知れない。六畳程の伏見塚の部屋には、ベッドと折り畳み式のテーブル、それからまだブラウン管のテレビと、一台だけ真新しいパソコンの置かれた勉強机があるだけだった。
「わ、私は――」
頭を抑えながら起き上がった少女は、周囲を見回すと「すまん」と一言だけ告げた。
「大丈夫? 警察か救急呼ぼうか?」
「――呼んだのか?」
「呼んでないよ、まだ」
案の定目の前の銀髪の、今は血糊のこびり着いた黒いセーラー服を纏った少女は、公的機関への通達を酷く嫌がって伏見塚に食いかかった。
「あんまり連絡して欲しそうじゃなかったから――、流石に明日まで目が覚めなかったら通報したけど」
「――すまん、恩に着る」
「刀? 武器はドアのとこ。風呂は沸いてる。着替えは――、母さんのでよければある」
「母親は――、いいのか?」
「ああ大丈夫。母さんならずっと帰ってこないから。親父も死んでるし、その辺は心配しなくていいよ」
「そうか……すまん」
一度黒い瞳を伏せた彼女は、思い出した様に伏見塚に顔を向けると「お前の傷は大丈夫なのか?」と訊いた。
「俺? 俺は大丈夫だよ。なんかアイツ、アイツなのかな。俺に興味あんまり無かったみたいで」
伏見塚は湿布を貼った腹と腕を見せ笑う「君のほうこそ大丈夫なの? あのあと倒れるみたいに寝ちゃったけど」と続けて。
「ああ、大丈夫だ。あの力は消耗が激しくてな……使ったあとは猛烈な睡魔に襲われる」
身長は180に辛うじて届かない、伏見塚の胸元ほどだろうか。見た目は中学生と言っていい、しかし口調だけはやけに堅苦しい少女は、申し訳無さそうに詫びる。
「巻き込んでしまった事を謝罪する。この事については機関から正式に協力費が出るだろう。だから許して欲しい。迷惑ならば出て行く」
「別にいいよ。だいたい包帯巻いたままの女の子、こんな夜に外に一人で出せる訳ないじゃないか。そもそもそのつもりならあそこで置いてる」
「――だよな。はぁ」
少女は無念だといった風に頬杖をついた。
「何かして欲しい事はないか。何でもする。出来れば明日までは置いて欲しい」
――何でもって。
伏見塚はごくりと喉で唾を飲む自分の音に気がついたが、取り
「そうか。分かった話そう。お前に危険が及ばない範囲で――、いや待て。先ずお前の名はなんだ?」
はっとした様に少女は目を見開き、これから話をすべき相手の名を問うた。
「伏見塚。伏見塚イナリ。君は?」
「私は
「――変わった名前だね」
「――うるさい。お前だって美味しそうな……い、いや、随分と不可思議な名前だろう」
猫の様な名前の不思議な少女は、やはり猫の様に丸い目をくりくりとさせて怒った「本題に移るぞ」と頭から湯気を出しながら。
「ええと伏見塚。お前はビーレフェルトという単語を聞いたことはあるか?」
「――確かビーレフェルトの陰謀って映画があった気がする。観てないけど」
伏見塚は文化祭で、自主制作の映画を撮ろうとした時にその単語をどこかで見た。恐らくは学生が作ったという事で検索にヒットしたのだろう。結局敷居が高いと計画は頓挫し、当然ながら単語の意味までは知らない。
「ああそれだ。単語だけでも知ってると話が楽だな」
宇迦之御は
「――ビーレフェルト、表向きは都市の名、或いはそれに因んだ陰謀論のジョークとして通っているが、実態は違う」
宇迦之御はベッドの手前、テーブルに置いてあったコップの水を飲んで言う「すまん飲んだ」と。伏見塚は「いいよ続けて」と促す。
「科学では証明できない事象の全て、怪談から都市伝説、UFOからUMAに至るまでを一括りにビーレフェルトと呼称する――、これは公になってはいないが、九九年の安保理で決議された事実だ」
「へぇ、それで?」
のっけから随分とオカルトじみた話に、文字通り眉に唾をつける心境で伏見塚は続きを訊く。或いは狐に化かされてでもいるのかも知れない。
「で、だ。そのビーレフェルトには格付けがある。1から3まではいわゆる怪談や都市伝説。4で警戒に入り、そして5以降になると――」
「なると?」
「――我々が動く事になる。無論例外はあるが」
「我々?」
「――ライヘンバッハ」
「ライヘンバッハ? ホームズの?」
ライヘンバッハとは名探偵シャーロック・ホームズが、宿敵モリアーティとの最後の決闘に挑み命を落した場所だ。勿論その後、ホームズは大人の事情で息を吹き返したのだが……
「お前は結構、色々と読んでいるな」
意外そうにする宇迦之御に「今はそれほどじゃないけど、子供の頃は好きだったんだよ、読書」と、照れる様に伏見塚は返した。
「それにほら、山の上に屋敷があるだろ。あそこに有名な探偵が住んでるんだ。その影響もあるかも」
「――吉良神か」
「あ、うん」
「そうか」
一瞬苦虫を噛み潰した様な表情を見せた宇迦之御は「とまぁ、そういう訳だ伏見塚。私は先刻の化物、ビーレフェルトの
「なるほどなあ。あんな化物見ちゃった以上、信じるなってほうが無理な話か……」
天井を見上げ、一人頷いて呟く伏見塚は「まさかこんなトンデモ展開に、俺が巻き込まれるなんて……」と、ぶつくさ続けている。
「ま、信じる信じないはお前の勝手だ。さて、私は要求に応えたぞ。
伏見塚の思考を
「いいよ全然。俺はもう入ったから。それとも何か食う?」
「大丈夫だ。ありがとう……っ」
不意にベッドから立ち上がった宇迦之御は、またふらっとすると斜め前の伏見塚に倒れかかった。甘酸っぱい汗の乾いた匂いがする。
「む、面目ない……支えられてばかりだな……」
落ち込んだ様に声のトーンを落とす宇迦之御の息遣いは荒く、頬はやや紅がかり上気していた。
「大丈夫か?」
「あ、ああ……あの力を使った後の副作用なんだ……気にするな」
よたよたする宇迦之御に肩を貸し、伏見塚は風呂場まで彼女を連れて行く。
「ありがとう……すまんが……私が風呂から出るまで、絶対に開けないでくれ……頼む」
一瞬なんの事だか分からなかった伏見塚だが、無論
「ありがとうな」
母親は地元で水商売をしていて、その所為か下着というと比較的派手なものが多かった。父親が死んでからも年単位で違う「お父さん」が出来ていたから、
――ガラリ。
宇迦之御が既にシャワーを浴びているであろうと思い込んでいた伏見塚は、特に警戒も無く浴室の引き戸を開けた。
「……」
「……」
だがそこにはなぜか、一糸纏わぬ姿で佇む宇迦之御の姿があった。――気のせいか。
「……はあ!? なんで?」
「はわ、ああああああ?!!!!」
一度臀部に目をやった宇迦之御は、裸よりも尻尾を見られた事に恐らくは
「見るなって言ったじゃないか馬鹿者おおおおお!!!!!」
反射的にその場にあったデッキブラシを手にとった宇迦之御が、心底激高した表情で伏見塚に襲いかかる。――鈍い音がした。あと多分、色々なものを見た……かも知れない。いずれにしてもその夜、伏見塚イナリの意識はそこで途絶えた。
宇迦之御タマは探偵を殺ス - Digging Holes Detective - 糾縄カフク @238undieu
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