第27話 喧嘩小僧が来た

 喧嘩小僧が来た。

 明らかに今さっき作りやがったような青々しい痣痕に、口元にゃ他の客が見ちまったらどうしたってドン引いてしまうような血が滲んでいやがる。きっと、そン中はズタボロに切れちまっているんだろうさ、今からアッツアツの焼き鳥を食おうとするにゃ烏滸がましいくらいに。

 幸い、コイツ以外に客はいない。ピークはとうにすぎて、そもそも閉店の時間が待ち遠しくも、暇を持て余す頃合いだった。

 暇を持て余すついでに、コイツの喧嘩はどうだったのだろう、などという思考に頭がゆく。勝ったか負けたか、それは大体は顔でわかる。俺も同じような喧嘩はよくしてきた。

 だが、コイツはなかなか読みづらいものがあった。傷だけを見れば負けたようには見えない。むしろ、うっかり食らっちまっただけか、それともなりふり構わず突っ込んでついた傷かのどちらか。負けていたならもっと顔は腫れぼったくなっているし、そもそも喧嘩帰りに焼き鳥を食いにくる脚なんかは無いだろう。

 しかし、その顔の色を見ちまうと単純に勝ったとは言えないような、そんなものを感じてならなかった。勝ち誇る光もなければ、満足に達したかのような笑みもない。勝ちはしたがというやつか、気に入らないものがあったのか、それとも……。


 ……無粋だな。


「あんちゃん、注文は」

 下手に中を覗こうとすると、火傷をするのは自分だということはよく分かっていた。それに、そんな探偵じみた真似をするのは相応しくない。

 俺は一介の焼鳥屋だ、焼鳥屋の仕事はテーブルについた客に最高の焼き鳥でもてなす事だけだ。

 とは言っても、人様の事情に首を挟んじまった事は何度かあるけどな。

「適当に見繕ってくれ。五本……いや、十本くらい。足りなかったらあとで頼む」

 少し間を置いての注文、随分と食べる奴らしい。売り上げを考えるとなかなか嬉しい客だった。

 だが、財布との相談は無し。案外負けた相手から金でも掻っ払ってきたか。俺もよくやっちまったもんさ、同類って奴だろう。

 だからか、焼き鳥を焼く手に親しみなんてものを込めてみたくもなった。

 昨今じゃ警官の目も厳しく、決闘をやらかして捕まったガキどもだっている。男が馬鹿をやって生きるには、ちょいと難しい世の中になっちまった。

 けど、目の前の喧嘩小僧はそんな馬鹿を生きちまっている。ブスブスと燻っちまうもんがあるのかもしれない、丁度そこでパチパチと小気味のいい音を鳴らす炭火のようなモンが。

 少なくとも、この炭火は焼き鳥くらいだったら美味く焼けるってのに、お前の中の火はお前を満足ゆくまで焼いてくれんのだから、やっていられねえのかもな。

 なんて考え事もしていりゃ、焼き鳥もあっという間に焼き上がる。

 適当になんて言われたら、俺は自分好みの塩味に仕立て上げちまうぜ。定番のももにむね、滴った脂が想起させる旨味は口ん中を涎でいっぱいにするには十分過ぎる代物だった。

 だが肉だけじゃあ物足りねえ、ってんで焼くのがねぎまよ。ももとネギを交互にさしただけだが、ネギに溜まった瑞々しさが焼くとこれまた肉の脂と絡みついて絶品になるんだ。喧嘩後の口ん中じゃ滲みちまうんだろうが、ンなもんを忘れちまうくらいの美味さにはしてやるさ。

 あとはそうさな、食感がコリコリシャキシャキと面白い砂肝に、一羽の鶏から一つしか取れねえぼんじりなんてのも良いか。ただの肉とは思うなかれな逸品に、喧嘩でざらついた心もときめかしてやる。

「一丁上がりッ。適当に十本、アンタの注文通りだぜ」

 適当に、などと言葉を加えたが、そこに出したはそれこそ俺の持てる限りの技術で焼いた至高の十本。これで不味いと一刀両断されたなら、俺はここで死んだって構わない。

 どうだい、コイツの香りを嗅いで腹は鳴いたか、つい目を奪われたか。

 そんな反応は見られなかった。

 ただ、空きっ腹を早く埋めたい。生気のない瞳を見れば、そう語っているのは十全に分かった。飯を出されただけじゃ、そうささくれだった心は動かない。

 

 そりゃあ、そうだわな。


 手にとるように分かってしまう。

 ほんとにとことん同類だったんだろうな、俺たちは。己を生きていると感じることが喧嘩しか無い、んでもってそれ以外は何の価値も無いなんてほざきそうな面構え。傷ついてもいい、傷つけてもいい、でも筋だけは通そうとして自分が納得したい人生を歩みたい、そんな男なんだろう。

 結果だけじゃなんの意味もなさない、ケリをしっかりとつけなきゃあしょうがない。奴の瞳は、そう言わんばかりのモンだった。例え、美味そうな飯を出されたって、唆られちまうような匂いが立ち込めたって、そのぽっかりと空いちまった穴は埋められやしない。

 ただ、実際に口にしたら、どうなんだろうな。

 俺は、知ることができた。

 ただ痛みと熱さだけじゃあない、胸をあったかくしてくれるような美味さと、温もりを。そいつに出会わなきゃ、俺はアンタに焼き鳥を振る舞うことはなかったんだ。案外、美味いもんってのは価値観を丸っと変えちまうようなもんだぜ。

 ……どうだい、アンタは。

 奴が焼き鳥を口に含む姿をワクワクしながら見つめていた。


 けど、俺がそうだったから誰もがそうだ、なんてそんな甘い話じゃあないだろう、この世ン中は。


 月も見えない夜空の下を、喧嘩小僧は歩いていく。

 感動の色も、感銘の姿もありゃしない。来てから出て行く一から十まで、奴の姿は何も変わりやしなかった。

 皿に残された十本の串は、確かにあの至高が奴の腹に収まったことを証明している。事実、奴さんが無心で頬張るのを俺はこの目にしていた。

 でも、それだけだった。

「ごっそさん、美味かったよ」

 喧嘩小僧のくせに、人としての義理だけはしっかりと果たす。元から、納得がいなきゃしょうがないような奴と見たわけで、これもそういうことなのだろうか。

 きっとアイツは、またどっかで喧嘩をする。警察にしょっ引かれようと、はたまたボロ雑巾の如くどこかの路地裏でのたれちまっても、奴の喧嘩への意思はこれっぽちもプレやしないんだろう。

 俺の焼き鳥でさえ、奴の心は動かなかった。

 ……いや、それこそ傲慢甚だしい。俺はまだ三十路過ぎの男だ。誰かの人生を変えるような焼き鳥、なんて作れないほうが当たり前なのかもしれない。まだまだ俺は修行の身、今の至高じゃやはりあの時のおやっさんの焼き鳥にゃ届きやしないということか。

 そもそも、一介の焼き鳥屋だ、と自分で自分を言っていたじゃあないか。なにくそ、結局放っておけなくて、ちょっと首を突っ込もうとしているじゃあねぇか。呆れた笑いも込み上げちまう。

 結局俺はどこまでも無粋な男だった、ということかい。


「それに、俺は俺、アンタはアンタ……同類だったとは今でも思うが、結局のところは違う人間だった……ってことなんだろう、な」


 時計の針は、そろそろ閉店の時間を指し示そうとしていた。思えばその時間だったかもしれない、俺がこの焼鳥屋と出会った時といのは。

 遠い昔の思い出は、今でも色褪せやしない。でも、思い出は思い出だ、二度も見れるものじゃあない。

 ソイツを忘れちゃ、いかんわな。


 さあ、今日もそろそろ暖簾を下ろそう、見送る背中は見送った。

 それに俺は、明日も一介の焼鳥屋でしかねえんだからさ。

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焼鳥屋の店事情 一齣 其日 @kizitufood

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