第5話 共生 ―プロポーズ―



 何気に吐く息が真っ白だった。


 今年一番の冷え込みだと、家を出る前に見た天気予報が述べていた通りで、今年一番の寒さらしく、今にも雪が降りそうな空模様で、空気はキンキンと冷えており、耳に痛みを感じていた。だが、爽太の体感的には熱いくらいだった。間違いなく緊張で興奮している自分が居た。


 何度も過去に戻ってやり直してきたが、稀衣と二人きりで出掛ける出来事は初めてだ。元より、爽太が異性とデートするのは初めてのことだった。

 ポケットに中に入れている手には汗が浮かんでいては、心臓の脈も普段よりも高鳴っていた。


 爽太は稀衣の家へ迎えに行く……といっても既に到着しており、いつ訪れるか解らない死を回避するべく監視していた。


「なにそんなに緊張しているのよ」


 マギナは傍から見ればストーカーまがいの爽太に、リラックスさせるために声をかけた。


「いや、その……まさか、自分が尾林さんに誘うなんて思ってもいなくて……」


「何をいまさら……。あの子(尾林稀衣)の運命を変えるためには、出来る限り前の時とは違う展開を起こさないといけない訳だし。あの子の近くに居た方が予見がし易いんでしょう」


 ただ、それだけの理由ではないと、マギナも爽太も自覚していた。


「そろそろ時間ね。私は邪魔にならない程度に離れて見ておくから、何か有ったらいつものように、すぐに駆けつけるからね」


 マギナはそう言って、天高く飛んでいった。


 その場に残された爽太は一息吐いて、稀衣の家へ行きつつ、インスタントメッセージで連絡を入れた。


 暫くして稀衣が家から出てくると、すぐに爽太を見つけては足早に駆け寄ってきた。

 稀衣の服装はふわふわのダッフルコートをまとい、インナーは白ニット。紺色のマフラーがアクセントになっていて、良く似合っており、爽太の体温が一度ぐらい上昇したようだ。


「えーと、こういう時は、なんて言うのかな?」


 と稀衣が言った。


「こ、こんにちわ、とか?」


「それはそれで、なんか余所余所しいね」


 稀衣も男子と二人きりっで何処かに行く経験が無く、どことなくドギマギしていたのであった。

 冷たい風が吹き抜けてくる。


「……寒いし、さっさと目的地に行こうか」


「うん、そうだね」


 二人はバス停まで、暮れなずむ中をとぼとぼ歩いたのであった。

 爽太たちが暮らす伊河市では、この時期――十二月二十四日には冬のお祭り―冬のファンタジー―が開催される。冬に花火が打ち上げられるイベントで、地元民だけではなく観光客に人気があった。


 バス停に着くとタイミングが良くバスもやってきた。乗ると、バスの席が全て埋まっており、この乗客のほとんどは、おそらく祭りの開催地である海水浴場が隣接されている公園へと向かっているのだろう。


「あ、花火を見るよね?」


「せっかく冬のファンタジーに行くんだから、花火を見ないと意味がないでしょう」


「だったら、帰るのが遅くなるけど大丈夫?」


「うん。遅くなったらタクシーで帰ってきなさいってお母さんから言われているから大丈夫だよ」


「そうか……」


 何気ない会話が心地よかった。これまで予見の為に情報を得る聞き取りばかりの会話だったからだ。


 だが油断してはいけないと、身を引き締め。バスが事故を起こす予見をするかも知れなかったからだ。


 事故などの急停車に備えて、爽太はしっかりとつり革を握りしめ、稀衣を受け止めるように側に寄ったが――


「あっ」と稀衣は一歩後ろに退いてしまった。


(近く寄り過ぎたかな……)


 爽太は熱を帯びてしまい、上着を脱ぎたくなった。


 そうこうしていると、バスが停まり、目的地――伊河海水浴場前に着いたのだった。



   ■■■



 隣接している公園には、祭りなので、様々な露店が立ち並んでいる。たこ焼き屋や綿菓子屋といった定番のものから、ホットココアや豚汁といった冬ならではの暖かな店も出店していた。


 流石にかき氷屋は無いだろうと思った矢先、


「藤井くん、かき氷屋があるよ!」


「えっ……本当だ! 誰が食べるんだろう?」


「夏に暑いモノを食べて暑気払いするから、その逆も有っても不思議じゃないよね……」


 とは言うものの、身が凍えるような寒さの中で氷を食べようという物好きはいないのではと思っていると、一人の女性が、かき氷屋の店の前に立ち注文をしたのである。


 興味津々に様子を覗っていると、見覚えがある人物――


「ん? あれは……!?」


 マギナが大盛りのかき氷を美味しそうに食す姿を見て、こちらの頭がキンキンと痛くなってくるようだった。


(見守ってくれるんじゃなかったんですか……)


 爽太の呆れた視線に気付いたのか、マギナがこちらの方に顔を向けるとテレパシーで、


(大丈夫。何か有ったらすぐに駆けつけるから、爽太たちも祭りを満喫しなさいよ!)


 と、伝えてきた。


「うわー、綺麗な人だね、あの人」


 傍から見ればパリコレに出てきてもおかしくないモデルのようなマギナに、稀衣は憧れの眼差しと共に、寒い中でかき氷を美味しく食べるマギナを不思議そうに見つめた。


「そ、そうだね。でも、あんまり人をジロジロを見るのは失礼だから、先に行こうよ」


 爽太はマギナから一刻でも早く離れるように先へと進み、その場を後にしたのであった。

 その後、二人は……特に稀衣は、建ち並ぶ露店を興味津々にと眺め周っていた。


「もしかして、尾林さん。お腹空いていたりする?」


「あ、いや……。そうでもないけど……」


 女性と二人で出掛けている。ここは男性としての甲斐性と礼儀を見せるべく、


「何か食べたいものでもある?」


 ふと見渡しても、露店の売り物の価格ならば、どんな注文でも応えられるはずだ。稀衣の好みは甘い物だと把握している。クレープやお汁粉も予算以内に収まる。


「今は別に、かな。そんなにお腹も空いてないし」


 爽太の気づかいを、稀衣は両手の平を振って丁重に断った。

 やっぱり異性と一緒に居るとなると、いつもと様子が違う。


 ケバブ屋に展示されている肉塊を見て心躍るものの、胸が一杯で食欲が沸かない。女子だけだったら、屋台巡りの食べ比べをしているに違いないはずなのに。


 チラリと爽太の横顔を見る。

 つい二週間前までは、よく知らなかった男子。


 だけど親身になって相談して貰ったりして、こうして祭りで一緒に出掛けるまで親交を深めてしまった。


 稀衣も年頃の乙女(女の子)なのだ。傍から見れば、デートをしているのに見えるかも知れないと思うと、緊張の一つもするし、意識せざる得ない。


「なんかね。こうして男子と……藤井くんと一緒にいるだけで、違った景色に見えるな~って」


「そ、そう?」


 爽太は爽太で緊張している。稀衣と一緒にいるのと以外に、いつ命の危険な事態が訪れるのか解らないからだ。

 これまでの経験上、突然、強盗に襲われたり、車が突っ込んできてもおかしくはない。ボディーガードのように辺りを警戒しつつ、護衛しながら人混みの中のを進んでいく。


 稀衣の予知夢は、ある程度思い出して貰っていた。事故や病気、そして誰かの手によって殺害される夢を見たという。予知夢が当たるとしたら、今回は事故に遭うよりも、誰かに殺害される可能性の方が高い。


 なのに、わざわざの大勢の人が集まる場所に来たのは失敗だったと、今になって反省する爽太。だが、かといって、誰も居ない公園などに誘うのは論外であっただろう。

 異性を誘う理由、異性と出掛ける理由……色んな事情を考慮すれば、祭りのようなイベントに誘うのは流れ的にも、事情的にも、必然的だ。


(そんなに気負ってないで、デートを楽しみなさいよ)


 突如、頭の中にマギナの声が響く。テレパシーだ。


(ちゃんと私も、注意して辺りを見ているのだから、爽太は気兼ねなく、男女の交際を勤しみなさい。ほら、手でも繋ぎなさいよ)


(う、うるさいな!)


(あらあら。初々しいことで)


 マギナの言葉を鵜呑みした訳では無いが、爽太はチラっと稀衣の手の方に視線を向けた。

 人混みで逸れないように手を繋いだ方が良いが、そんな度胸は無くて、気恥ずかしさもある。その代わりになるべく歩幅を遅めては、稀衣の側から離れないようにしていた。  すると――


「あっ! か、隠れよう。藤井くん!」


「え? あっ?」


 稀衣は爽太の手を掴み取って、近くの露天の物陰に身を隠した。

 突然の行動に、流石の爽太も理由を把握できなかった。


「ど、どうしたの?」


「えっとね……」


 稀衣の視線の先には、友達の右田水愛(みぎた・みあ)。他にも数人の同級生たちの姿があった。


「実は、今日のお祭りにミアちゃんたちにも誘われたんだけど、仮病で断ったの……」


「えーと、それって……」


「だっ、だって、藤井くんの方が先に誘ってくれたし……」


 頬をほんのりピンク色に染めて、稀衣は答えた。


「えーと、つまり、それは……」


 仮病で断ったのだから、稀衣がこの場に居てはマズイ。今ごろ稀衣は、家のベッドで眠っていると友達は思っているだろう。ここで見つかってしまえば、友達と気まずくなってしまう。


 伊河市民の大半が集まる冬の一大イベントである祭り。自分たちが来るのだから、同校のクラスメートが来ない理由は無い。これから暗くなり、人も増えていき、見つかり難くなるはずだが、今みたいにバッタリと遭遇する可能性はある。

 そこで爽太は、


「ちょっと待ってて……」


 自分のスマートフォンを取り出して、クラスメートのSNSを観覧した。


「待ち合わせ……興味がある場所……オススメ……誰と……」


 まるで現代人の宿命かのように、ソーシャルメディアの日記やツイートに予定や現在の様子を記載しているので、先見の明の条件は揃っており、予見しやすかった。


「……よしっ! 尾林さん、向こうに行こう」


 クラスメートが行きそうな場所を予見して、遭わないルートを選出した。


 人混みの中を進んで行く中、爽太は今の心模様を現すように足取りが軽かった。友達よりも、自分の方を優先してくれたことが嬉しかった。

 そして、爽太が稀衣の手を掴んだままだと気付いたのは、特設ステージに着いてからだった。



   ■■■



 公園の広場には特設ステージが設けられており、壇上ではご当地の芸能人が司会を勤め、伊河市の萌えキャラクター(マスコットキャラクター)の声を担当した声優がゲストで出演しており、トークショウが行われていた。


「桑井さーーーん! こっち見てくれ!」


「メッチャ可愛いよー!」


「くわっちー、くわ―、くわーっ、くわアアーッ! くわーッ!」


 周りには多くの人たちが集まり、特に一部のコアのファンが大いに盛り上がっていた。


「あれは……一体なんだ?」


 人目が付かない広場の端でステージを眺めていた爽太たちは、異質な熱気にたじろいでしまっていた。


「え? 藤井くん、知らないの?」


「なにか有名な人なの?」


「伊河市のご当地キャラクター・美湯の声優さんだよ」


 ご当地キャラクター――町をイメージしたゆるキャラや萌えキャラであり、今では珍しくもなくなった町興しの一種ではある。


 爽太たちが暮らす伊河市も、その手の流行りに乗り、美湯という萌えキャラクターを創った。だが、今どきご当地の萌えキャラクターなど変哲もない。そこで独自性を出す為にプロの声優を起用したところ、思いの外、人気が出たのであった。


「へー。ウチの市って、そんなことをやっていたんだ」


 自治体が行っている町興しや行事などは、市民は案外知らないものである。


「私もそういった話しは詳しくないけれど、ミアちゃんが教えてくれてね。今、凄く人気が出ているみたいだよ」


 説明を受けながら、ステージに立つ声優の方を見る。とても可愛らしい女性が、その美湯のキャラクターの声を演じて見せていた。


「そうだ。藤井くんは好きなアニメとかマンガとかないの?」


「……無いね」


「へー珍しいね。私達の年頃だったら、好きな漫画とかが一つ二つは有っても良いのに」


「昔は読んでいたけど、先見の明の所為かお陰か……話しの先の展開が解るようになってからは、興味とかが失くなってしまったよ」


「えっと……それは……」


 何とも言えない表情を浮かべてしまう稀衣。自分には理解し難い答えだった為だ。

 先見の明の弊害の一つでもあるが、


「別に気にしないで良いよ。漫画とかアニメとか読まなくても生きてこれたから」


 爽太は慣れたように軽くいなした後、「しまったな……」と落ち込んでしまった。


 せっかく稀衣が話しを振ってくれたのに、盛り上げるどころが早々に打ち切ってしまった。普通だったら、稀衣が言う通りに好きな漫画とかはあるはずだ。そこから話しを広げていくものだが――


 そう、自分は普通ではない。だから、今の自分がある訳だ。

 悶々と後悔する中、


「あれ? ってことは……」


 ふと声優がゲストとして出演している新たな情報で推察し、周辺を見渡すと、


「……あ、尾林さん。右田さんたちだ」


 ステージ付近に右田水愛を含む友達グループの姿を発見した。


 アニメ好きで、ましてや声優のことを稀衣に教えてくれた水愛が、ここにやってくるのは自明の理だった。


「尾林さん、どうしようか。ここから離れる?」


「うん、そうだね」


 二人はステージから離れてはいたが、万が一にも備えて遠くに離れた方が良いと稀衣は判断し、速やかに静かにこの場を立ち去ったのだった。



   ■■■



「花火は八時からか……」


 爽太は、本日のメインイベントである花火が打ち上げられる時刻を確認しつつ、スマートフォンで時間を確認をする。あと二十分ほどで開始時間だ。


 爽太たちは一通り公園内を歩きまわり、祭りの出し物(催し物)を充分に堪能した。そして、ごった返す人だかりとクラスメートの遭遇を敬遠して、公園の端っ子にあるベンチに腰を落としていた。


 このベンチは穴場のようで、周りには人通りが少なく、木々といった空を遮るものが無いので夜空が一望できていた。打ち上げ会場から、ほどよく離れているので花火を見るとしたら絶好の場所だろう。


 爽太は途中で買ったホットココアを啜る。

 普段なら夕飯の時間でお腹を空かせているにも関わらず、お互い未だ緊張がほぐれずに食欲が沸かない状態であった。


 せめてドリンク(飲み物)ならばと、爽太がここぞとばかり奢ってあげたものであるが、稀衣は口を付けず、温もりを味わうようにカップを両手で大切に持っていた。


「どうしたの? やっぱり、他のが良かった?」


「そうじゃなくてね。これが、初めて男子から奢ってくれたものだから、口にするのが、ちょっと勿体無い、かなって思って」


「三百円のコーヒーなんだから、遠慮しなくても良いのに……」


 爽太ははにかむように笑い、ココアを啜る。今の気持ちを表すように、ほろ苦く、ほろ甘い味が広がった。

 さて――

 改めて話そうとするが、爽太からは話しが出ない。


 爽太は稀衣のことは大方知っている為に、何を話せば良いか、何を訊けば良いか……思いつかなかった。

 そもそも先の件……マンガなどの普通の趣味を持ち合わせていない爽太に取って、話しを振ったり広げたりするという所業は困難だった。


 普通の人と違うからと敬遠していたツケが今になって回ってきたのだ。

 花火が始まるまで、ただ黙って冷たい風を受けるのも持ち堪えられないので、


「……えっと、藤井くん」


 稀衣から話しを切り出そうとした。


 ただ、稀衣も稀衣で、爽太については未来が解る不思議な能力を持っているということ。それと、成績優秀者であるぐらいだ。身近な話題と言えば、この間の後期中間考査(テスト)の結果について。


「そうだ。そういえば、藤井くんは成績が良かったんだよね。この間のテストも十位以内だったし。塾とか行っていたりしているの?」


「いや、別に行ってないけど」


「塾に行ってないで、勉強できるってことは、家で猛勉強しているってこと?」


「勉強も、そんなにしていないよ。勉強は宿題とか、テスト前にちょっと勉強するぐらいだけど」


「えっ! それなのに、学年順位が一桁なの? なにか秘密でも……はっ! もしかして、その先見の明で、なんとかしていたりするの?」


「それは……」


 かつて、先見の明で予見したテストの内容を周りに教えて、それがトラブルの要因になった辛い思い出がよぎり、口をつぐんでしまう。


 だが、自分の能力をここまで披露しているのだ。下手に隠す意味が無い。正直に言った方が楽だと、判断した。


「まあね。様々な情報を元にして、テストに出題される問題を予見して、どこが出題されるか大まかな当たりをつけて、そこを集中して覚えているだけだよ」


「へー、そうなんだ。でもそれって、勉強をしないで良いという訳じゃないよね? 答えを覚えなきゃいけないし」


「そりゃあね。といっても、余計なことを覚えなくて済むから、普通にテスト勉強をして、あれやこれやと覚えようとするよりは楽だね」


 テストに出る問題数を百とした場合、覚えなければいけない範囲の答えは二~三百も覚えなければいけない。最低限の数を覚えるだけならば、丸暗記するのは大した労力ではない。


 ちなみに日本の教育は実質暗記テストであり、『考える力』を鍛えることに欠如している部分がある。欧米などのテストでは答えが複数ある……というより、自分自身で答えを考えだし、それが間違ってなければ正解という方式を採っている。


 例をあげるのなら、数学の問題で既に答えが書かれており、その答えになるような式を求める出題がされる。もし答えが“3”だとしたら、その数になる数式は“1+2”や、“4-1”など、複数存在しているだろう。

 だから、爽太のように丸暗記方法でのテストでは良い点が取れるのだ。


「てっことは、山勘みたいな感じってこと? 予測が外れる場合もあるってことだよね?」


「山勘よりは科学的だと思うけど、確かに百発百中という訳じゃないね。自分は神様じゃないから。大体九割程度ぐらいだね」


「九割も! それだけでも充分スゴイよ」


「でも学校のテストの出題範囲ぐらいなら、尾林さんとかでも予見出来るはずだよ」


「え、本当! どうやって?」


「ほら、先生が授業中にここはテストに出すって言っていたりするだろう。ああいう所をシッカリと抑えておけば良いんだよ」


 稀衣は「ああ……」と、微妙に納得いかない声を漏らしてしまった。


「そ、そうなんだけど……」


「そういう積み重ねだよ、テストの出題範囲なんてのは。だから、どこが出るかなんかは比較的楽に予見し易いんだ。曖昧な未来と較べてね」


「ふーん……。そうだ、藤井くん。だったら、良ければ今度、勉強を教えてくれない?」


「えっ? 勉強を?」


「そう、勉強を。藤井くんに出題される内容を教えて貰えたら、私も良い点が取れるかもってね。フッフフフ……」


 稀衣はわざとらしく悪い笑みを浮かべてみせるが、ぎこちなくてとても似合ってはいなかった。


「だけど、未来が解るってスゴイね。良いな~。私もそういった能力が有れば良かったのにな」


 自分が嫌悪を抱いている能力を、称賛する稀衣の言葉に冷静さを取り戻す。


「……有っても、そんなに良いものじゃないと思うよ。未来が解ることなんて。それに、小学生の時にテストの出題範囲を友達に教えたことがあるけど、カンニングだとか疑われたりしたりしたし……」


「でも、本当にカンニングしている訳じゃないんでしょう?」


 稀衣は真剣な眼差しを爽太に向ける。疑いではなく、信じてくれているような純真な瞳。


「ただ、どんな問題が出題されるか予想しただけでしょう。ある意味、正々堂々な訳だから、全然後ろめたいことも悪いことも無いじゃない!」


 凛とした声が爽太の心に響く。


「……それに、藤井くんと会えて良かったと思うの。ほら私、いつ死ぬか解らないでしょう。もしかしたら、この日まで生きていけてかどうかも解らないもんね。未来が不安でどうしようも無かったけど、藤井くんの未来が解る力で、私を助けてくれているんだよね」


 稀衣の言葉が胸に突き刺さったように、チクリと痛みが奔った。これまで幾度も稀衣を死なせてしまっていたことに罪悪感があったからだ。


 これまでも誰かの為に思って先見の明の力を使ったことはあるが、決して良いことばかりではなかった。その所為で、未来や人間に嫌な想いをした。


 だけど稀衣を見つめると、そんな悩みや痛みが霧散していく。


 自分を、自分の先見の明を、擁護してくれた発言が何よりも嬉しかった――稀衣の為ならと思った瞬間、爽太の顔全体に一気に熱を持った。

 赤くなった顔を隠すように、爽太は左手で自分の顔を覆ったが、この気持ちは隠し切れない。


「で、どうなのかな?」


 指の隙間から稀衣がこちらを覗きこんでいるのが見えた。


 爽太は一息吐いては出来る限り平静を装い、左手を外して聞き返す。


「どうなの、ってのは?」


「勉強を教えてくれる件について。たまにはズル…じゃないや。私も効率的に勉強しても文句言われないよね」


 とても無邪気な微笑みを浮かべる稀衣。積もりに積もっていた鬱憤で重くなっていた爽太の頭の中を吹き飛ばし、釣られて微笑んだ。


「ああ……まあ、それぐらいなら別に構わないよ。良いよ、勉強ぐらいならいくらでも教えてあげるよ」


「本当! 約束だよ。そうだ! 藤井くん、指きりげんまんをしようよ?」


「指きりげんまんって……わっ!」


 高校生としては稚拙な提案に当惑する暇もなく稀衣が爽太の手を強引に取り、お互いの小指を絡ませてきたのである。


 爽太は時間の流れがとても遅く感じ、鼓動が早鐘を打った。女子の身体の一部に接触するのは初めてであり、健全な男子としては気恥ずかしくなってしまう。


「指きりげんまん、嘘ついたら針千本、飲~ます。指きった!」


 稀衣は定番のお呪いを唱え終えると小指を解こうとしたが、思わず爽太は指に力を入れて解くのを拒んだ。


「……ふ、藤井くん?」


「あ、ごめん……」


 名残惜しそうに小指を解き、お呪いが完了した。


「それじゃ、勉強教えてね。約束だよ!」


「ああ、うん……」


 そっと自分の小指の方に視線を向ける爽太。もっと……一秒でも長く触れていたかったと名残惜しさがあった。


 稀衣の方を見つめる。最早、胸の高鳴りの正体を誤魔化せない。

 何度も歴史改変を繰り返している内に、名前、外見、生年月日、趣味といった上辺だけではない、彼女の夢、願い、本心を知ったからだ。


 爽太自身もかつて抱いていた未来への憧れ、人間への信心……それを彼女は持っている。

 予見した絶望な未来でも生きていたいと望む稀衣が眩しく見えた。


(自分は尾林さんをどう思っているのか……)


 絶望の未来を生きていても、どうしようもないのだ。運命に従って、ここで命を全うした方が彼女にとっては幸いなのかも知れない。けれど今は、


(死んで欲しくはない。生きて、もっと話しがしたい……)


 約束したからではない――純粋に稀衣に生きて欲しいと、願っている自分が居る。



 藤井爽太は、尾林稀衣に、恋をしているのだ。



 曇天から小粒な白い雪が降り始めた。


 伊河市は土地柄的に滅多に雪が降らない地域でもあるので、周囲の人たちは降り注ぐ雪に思わず昂揚してしまう。稀衣も雪に気を取られているが、爽太は笑顔の稀衣を見つめていた。


『お待たせしました。冬のファンタジー、メインイベントの花火打ち上げまで開始十秒前です。五! 四! 三……』


 遠くからステージの壇上に居たゲストや司会者たちのアナウンスが響く。カウントダウンを『ゼロ!』と叫んだと共に、花火が打ち上げられた。

 真っ暗な夜に綺羅びやかな光の花が大きく咲いた。次々と花開き咲き乱れる彩り豊かな花を眺めていると、爽太に今までにない感情が沸き起こる。


「綺麗……」


 稀衣は素直な感想を漏らした。爽太も同意見だった。しかし、これまで何度も花火を見たが、今日の花火が人生の中で一番綺麗だと思った。それはきっと――隣に関心を寄せる相手……稀衣が居るからだ。


 打ち上げられる花火の多彩な色の光で辺りを彩り、降り注ぐ白い雪と相まって稀衣の横顔がとても魅力的に映っていた。


「尾林さん。今、好きな人は、いたりする?」


 無意識に言葉が出てしまった。


 本来だったら先見の明で未来を予見するのだが、頭の中は真っ白だった。稀衣がこの後、どのような返事をしてくるのか想像だに出来なかった。


「……え?」


 突然の問いに稀衣は爽太の方を向いた。

 二人の視線が合わさる。

 稀衣のあどけない表情、愛しい瞳に誘われるように、爽太の気持ちが溢れだす。



「僕は、尾林さんが好き、だと思う……」



 なるべく平静さを装っていたかったが、喉に突っ掛かりドモってしまった。

 寒さを全く感じないほどに爽太の身体が熱くなっていく。頬は人体の限界までに赤らめていた。


 花火の閃光で稀衣の顔が照らされる。

 目が点になり、口をポカーンと開けてあ然としていた。爽太の告白に稀衣の思考が止まってしまっているのだ。


 やがて稀衣は俯き、まるで飴玉をじっくりを溶かして小さくするかのようにしてから、爽太の言葉を飲み込んだ。

 暫しの沈黙――ただ、大きな花火が次々と打ち上がっていき、爆発音と歓声が響き渡る。そして稀衣は、優しく笑みを浮かべた。


「……今までは居なかったけ、ど…っ!」


――ドクンッ!


 稀衣の鼓動が強く波打った。

 爽太に告白されたからの胸の高鳴りではない。まるで寺の鐘を突く撞木で、心臓を直接殴られたような激しい痛みが響く。


「ど、どうしたの? 尾林さん!?」


 突如苦しむ表情を浮かべる稀衣を案じる。


「な、なんかね……気分が……おかしい、うっ!」


 またしても心臓が強く波打つ。動悸が激しくなっていく。全てを燃やす尽くされるように身体が熱く、苦しさが増していく。徐々に意識が遠のいていき、


「うあああああっっっっっっーーーーー!」


 苦痛を全て吐き出すように大きく絶叫した。


 すると稀衣の身体が白く発光しだし、周辺の空間が歪み出した。

 明らかな異変。それに気付いた周囲が騒ぎ始めた。このままではパニックになると察知したマギナが、二人の前に現れた。


「ま、マギナ!」


「このままだとマズイから場所を変えるわよ!」


 戸惑いと困惑の中、爽太はただ黙って稀衣を見守ることしか出来なかった。


「サムヘイア・アルヘイマ・オプーナ・ディアラ・ウース・フルティング(異世界への扉を開け、我らを移転せよ)!」


 マギナが呪文を唱え終えると柏手を打つように両手を合わせた。すると稀衣を中心に光玉がドーム状に広がっていき、マギナと爽太を包み込んでいった。



   ■■■



 気が付くと真っ白な世界に立っていた。辺りに雪が積もっている訳ではない。無機質なプラスチックで出来ている空間とも言うべきか。


「こ、ここは……うっ……」


 脳を直接掴まれれてシェイク&シェイクされたようで、酷い吐き気を催す。クラクラする頭に手を置いて、少しでも頭の揺れを安定させようとしたが無意味だった。


「私が作った専用異空間(パーソナルスペース)よ」


 隣にいたマギナが簡単に言い述べた。


 この世には次元の狭間……異空間が存在がしている。偶発的に空間が裂けて、異空間に飲み込まれる可能性がある。世間ではこれが神隠しの原因ともなっていたりするようだ。マギナはこの狭間に安全で自分だけの空間を作り、自由に往来ができるようにしていたのである。ここに箱庭でも作ろうと考えていたが、それは別の話し。今、具体的に説明する余裕がなかった。


 マギナの視線の先には、


「尾林……さん?」


 爽太が疑問的な口調で漏らした。それもそのはず。


 体格が三倍ほど大きくなり着ていた服は破け、露わになった全身から白く発光している。その形態に相応しく、全ての者に恐怖を感じさせる禍々しい仮面をかぶっているような形相をしていた。尾林稀衣という人間の面影はどこにも無い。爽太は吐き気が一瞬で吹き飛んでいた。


 化物となった稀衣を改めて伺う。どこからどうみても尋常ではない、異形な姿だ。他にも奇異な箇所があるとしたら、周囲の空間が歪んでいることだ。


「あれは……」


 人間が変態するのを目撃したのをマギナはこれまで何度かあった。だが、そういった者は自分のように特別や特殊な存在ばかり。普通の人間のはずの稀衣に起こった異常事態。考えられる理由は、やはり彼女を生かし続けたことによる万物の精神の影響だと推測した。


 突如、


「ウオオオオオォォォワァァァッッッッ!」


 大気が震動するほどに大きな咆哮を叫ぶと疾風の如く駆け出し、マギナへと真っ直ぐに突進してきた。


「ッ!」


 思いがけない素早い動きにマギナの対応が遅れ、避けられずに体当たりを受けてしまう。辛うじて腕でガードしたが、強い衝撃が身体に響くと共に後方にふっ飛ばされた。


 続け様に稀衣が追撃してくる。


 人ならざる者と化した稀衣の攻撃を受けて、相手の力量が相当高いものだと充分に感じ取る。生半可に取り押さえるのは難しいだろう。とりあえず反撃をする術しかない。


――少々痛いけど、我慢してね!


 空中で体勢を整えて、


「エクスプロディ・ボリード(火爆する弾丸)!」


 マギナの手の平から光の魔法陣が浮かび上がると火球が放たれた。

 火球が稀衣に直撃すると激しく爆発した。が、爆煙の中から稀衣が颯爽と飛び出してきた。


 動きを止められず、ダメージすら与えられてもいない。急接近を受けたマギナは丸太のように太くなった稀衣の腕から放たれた拳で殴り飛ばされた。


「な、なんだ、一体……」


 現実離れした異様な光景に、爽太は立ち尽くすしかなかった。

 稀衣は爽太に気付き、こちらに向かってくる。


「アァア゛アアア゛ァァ……」


 血に飢えた野獣が今にも襲いかかってくる圧迫感と恐怖感で身体が縛られてしまい、一歩も動けない。稀衣が眼前に迫り、先ほどマギナを殴った腕を振り上げた。鋭い爪をひけらかすように手を広げている。


 思考が完全に止まる――命の危機に陥った時に本能で働くセーフティー機能のようなものか。痛みや恐怖を感じさせないようにしたのである。

 爽太を引き裂こうとした瞬間、


「捕らえよ、カペエレ・インテールクプト(封縛束)!」


 稀衣を取り囲むようにして魔法陣が出現し、拘束したのである。捕らえられた稀衣がもがき動こうとする度にスパークが迸った。マギナの魔法だ。その後すぐに瞬間転移で爽太の前にマギナが現れると、瞬時に手を取り稀衣から距離を取った。


 マギナの服は所々破れてボロボロとなっていた。いつもの冷静な表情はなく、警戒を解くことなく稀衣を睨みつけた。底知れぬ力を感じる。油断すればあっという間に打ちのめされてしまうと身の危険を感じていた。


――いつ以来だろうか。これほどまでに余裕をなくしている状況陥っているのは。


 マギナは一息吐いた。長く生きてはいるが直接自分の身体に攻撃を受けたのは数少ない。その中でも群を抜くほどの力と痛みだった。


「マギナ、これって一体……」


 これまで状況と今まで見せたことがないマギナの様子に不安を感じつつ、爽太は口唇を震わせながら訊ねた。


「残念だけど私にも解らないわ。けど、多分彼女を死なないようにすると、最終的にあんな風に暴走してしまうということね」


 稀衣が変態した理由――万物の精神の変えてはいけない運命(稀衣が死ぬ運命)を、無理に変えようとした影響だと充分に考えられる。稀衣が生きることでバグを引き起こしてしまっているのだ。


 例えば、時計のネジなどの回転を無理に止めたらどうなるか?


 時計の針が進まず、時間が解らなくなってしまう。最悪、時計は壊れてしまうだろう。稀衣が生きているということは、この時計のネジを無理に止めることと等しい。

 様々な要因が絡み合い、本来進むべきだった運命の流れの力が、元凶である稀衣に流れ込んで変態してしまった――と、結論付けた。


「……尾林さんを元に戻すことは出来る?」


 自分の身よりも稀衣の身を案じる爽太。ちょっと前まで普通の女の子で、人間だったのだ。マギナならばと戻してくれると期待を込めての問いだった。

 だけどマギナは、すぐに返答は出来なかった。

 再構成をすれば元の姿に戻せる……いや、作り直すと言った方が正しい。だが、それだけではこの問題を解決できるものではない。


 気にかかるのは変態したことよりも、稀衣の周り空間が歪んでいることだ。強力な磁場が発生している所で景色が歪んで見えたりする。つまり稀衣に膨大な力が生じている証拠だ。今し方受けた攻撃の尋常ではない力強さも納得出来る。この巨大な力の源泉を防がなければいけない。でも、その源泉の所在が見当付かなかった。


 最適な返答にあぐねていると、周り空間が目に見えるようにヒビ割れ始めた。ヒビが大きくなるに連れて、世界が大きく揺れ出した。まるで天変地異の前触れ。


――進まなくなった万物の精神……時計は、最悪壊れてしまう!


 このまま稀衣が生存していれば、世界が崩壊すると直感した。

 世界を構成している万物の精神の崩壊は、世界の崩壊を意味している。ならば取るべき行動は――


「……これは元に戻したとしてもダメかな。これは彼女が生きていることで起きている問題だから」


「それって……」


「爽太、先に謝っておくわ。ごめんなさい」


「それって……どういうこと……?」


 真意を訊ねるもの――マギナが稀衣を殺める――映像が爽太の脳裏に浮かぶ。


「止めるしかないわよね。息の根を。ああなったら、どうしようもない。そして、またやり直すしかないわね」


 予想通りの返答に、ガックリと虚脱してしまった。


――また稀衣が死ぬ光景を見ないといけないのか。


――また稀衣は死なないといけないのか。


 どうしようもない無念さにかみ殺されそうだった。


「マギナ、他に手立ては……」


 何としてでも稀衣を助命して欲しいと嘆願しようとしたが、


「ギィシヤャッッッッァァァァァァァ!」


 稀衣が再び奇声のような咆哮をあげ、爽太の言葉が途中で遮られた。そして激しく抵抗を続け、ガラスが割れるように拘束していた魔法陣を破ったのだ。


「嘘っ!」


 マギナが驚きの声をあげる間もなく、身体の自由を取り戻した稀衣は口を限界まで大きく開けると、光線を吐き出した。


 まともに受ければ自分たちの身体が跡形もなく消滅してしまうほど強い力を感じる。


「ルメツムゥーロ(光の壁)!」


 反射的に反応したマギナが呪文を唱え、目の前に光りの防御壁を出現させた。だが略式で唱えた為に壁の防御力が低く、衝撃に耐え切れず決壊してしまった。

 小さな爆発が起こったが、幸い壁のお陰で威力が落ちていた為に大したダメージを受けてはいない。


「という訳よ、爽太。ジッとしていたら、私たちが殺されるわよ!」


 目の前の危機(稀衣)を排除しなければ、自分たちの命が危ない。

 これまでの交戦で稀衣を打ち倒すには、並大抵の威力では通用しないと判然している。命を仕留める覚悟を決め、


――久しぶりに本気を出すわよ。


 好戦的な視線を稀衣に向けた。


「シムタリ・オーカ・コンコード・オームン・サームリィガジェンデ・タィシィン……(我の呼声に呼応し、共鳴は連なりて大震の如し……)」


 マギナは呪文を唱えつつ、稀衣に狙い定めるかのように両手の平を差し向け構えると幾重にも魔法陣が連なって出現した。この魔法陣を通過することによって、魔法の威力を高めるものだった。いわゆる増幅装置ならぬ増幅魔法陣。


 マギナの両手に七色の光が集まっていき、スパークするように弾け出して衝撃波が発生した。集まった魔力は周りの気圧をも変動させて強い風が吹き荒れる。まるで大型台風の直撃を受けているみたいだ。


 爽太は止めに入ろうとしたが、強風や衝撃波でその場に留まるのが精一杯で一歩も近づけないでいた。

 一方心を失った稀衣は臆することは無く、自分の目に映るモノを全て排除しようと突進していく。


「やめろぉぉぉぉぉぉぉーーーーーー!」


 爽太は叫んだ。だが、マギナと稀衣には聞こえてはいない。



「ブリリーガラディオ(輝きあふれた閃光)!」



 一瞬だった。


 マギナの手の平から放たれた燦然たる光線は魔法陣を通過する度に威力を増し、稀衣の胸を貫いた。

 スローモーションのようにゆっくりと、稀衣は仰け反り倒れていく。


 爽太は無意識のうちに駆け出した。手を伸ばす――地面に倒れ落ちる前に抱きとめたかったが、重力の方が爽太の足よりも早く、敢え無く崩れ落ちた。

 化物だった姿から徐々に人の姿……元に戻っていく。しかし、胸に空いた穴は塞がることはなく、赤い水たまりが広がる。


 見慣れた……見慣れたくはない非情な光景――稀衣の死。

 微動だにしない稀衣の側へと辿り着き、


「尾林さん……」


 震える声で呼んだ。


「…………」


 返事がない。


「尾林さん……」


 再び呼んでみたところで返事が返ってくることはなかった。


 身体の力が全て抜け落ち、膝をついた。まるで自分の胸にも稀衣と同様の穴が空いたようだった。


「また一からやり直しかな……」


 マギナの淡白な台詞。やむを得ない結果だったかも知れない。これまでも稀衣が死んでしまった場合、メモリーリストアで過去に戻ってやり直してきた。またそうすればと良い――ゲームのコンテニューボタンを押すような素っ気ない態度が、今回は癇に障った。


 今度こそ救いたいと決意したのに。彼女が死ぬのを見たくなかったのに。


「どうして……どうして、殺したんだ……。どうにか、出来なかったの……」


 マギナも稀衣の運命を必死に変えようとしてくれた。だが、そのマギナ自らの手で殺めたことに、激しい怒りがこみ上げてくる。


「どうにかしたかったわよ。だけど爽太も見たでしょう。彼女が生き続ければ世界がバランスを崩し、崩壊してしまう。世界滅亡を早めるだけに過ぎなかったということ……」


 マギナはそう言いながら、一つの結論に達した。元から稀衣は生存してはいけない存在なのだ。元々の目的は、世界の滅亡を回避すること。自分自身で滅亡の原因を作り解決させたとなると、自作自演にも程がある。これ以上の改変は無意味だとして、締めくくるべきと判断した。


「爽太、気の毒だけど……」


「お願いだ! なんでもするから、尾林さんを助けてよ!」


 マギナの話しを遮り、心に覆う怒り、悲哀、願望の全てを吐き出すように叫んだ。


「……前にも話したでしょう。私でも死んだ者を甦させることは不可能だって」


 その話しは覚えている――


「糧となる彼女の魂は消滅してしまった。もしこの状態で蘇生したら、意思を持たぬゾンビのようになってしまう。彼女の形をした化物が誕生することになるわよ。それで良いと思わないでしょう?」


 勿論、稀衣として生き返って欲しい――


「……自分の魂を尾林さんにあげることが出来ないかな?」


 自分の愛しい人が、自分よりも大切だと想う人を救えるのなら、この身を捧げても良いと本気で思った。


「はっ?」


 突拍子もない発言に、つい呆れた声をマギナが出してしまった。


 だが爽太の慈悲が宿る真剣な眼差しから、すぐさま意図を汲み取って察した。


「……なるほどね。爽太の魂をあの娘に譲って、甦させたい訳か……」


 マギナは潜考し始める。


――そんな事が可能なのか?


 まず生きているというのは、身体があり、身体の中に魂(精神)が宿っていることを言う。つまり身体・魂のどちらが欠如すれば、死ぬということだ。


 今の稀衣の状態は、身体の欠如により魂が身体から離れている。


 欠如した身体は修復させることは可能だが、修復しても既に魂が身体から離れているので目覚めることはない。その状態で爽太の魂を稀衣の身体に移した所で、稀衣の身体と記憶を持った爽太になるだけ。甦させたとことにはならない。


 一番の問題は稀衣の魂は存在させてはいけない。


 存在させてはいけないのなら、存在してもいいようにすれば良いだけのこと。しかし、万物の精神に稀衣の魂を存在させてはいけない。矛盾とも言える万象だが、矛盾というものは存在しないとマギナは考える。


 なぜなら、必ず結果が存在するからだ。矛盾の由来となった説話の続きを想像すればいい。最強の矛で最強の盾を突いたらどういう結果になったか?

 矛が盾を穿いたかも知れない、穿けなかったも知れない。結局は、どちらかの結果が残る訳だ。


「前にも、こんな矛盾みたいなことに挑んだわよね……あっ!」


 かつて行った自分の転生を思い出し、その応用が出来るのではと閃いた。


 自分の身体を自分に似た別の身体にし、魂もまた自分の魂を基に似た別の魂に作り変えた。ならば爽太の魂を基にして、稀衣に似た魂に作り変えることが出来るはず。そうすれば擬似的に甦させることは可能だ。


 爽太の犠牲によって稀衣の蘇生は出来るかもしれないが、マギナは納得出来なかった。


「どうして、そこまでするの? 聖人みたいに自分を犠牲にして……。自己犠牲は日本人としての美学なのかも知れないけど、彼女と共に生きてみたいと思わないの?」


「確かにそれが最高の望みだけど……でも、それが出来ないんでしょう。自分は、この先の未来に何も希望することは無いし、四十歳までのうのうと生きていければと思っていただけ……」


 爽太の熱くなった瞳から涙が溢れ出す。


「だけど尾林さんは、そんな未来でも生きていたいと望んでいる。それに尾林さんが死んでしまうのはイヤだ。だったら尾林さんの為に、自分の魂を有効活用した方が最善のことだよ」


 何かの為に何かが犠牲になるというのは、今も昔も美しくも残酷な構造。この世界は平等というものは存在しない。けれど、マギナはその仕組みに嫌悪感を抱いている。

 最たる例は食事だろう。人間が生きる為には何かを食べないといけない。植物でも動物でも命あるものだ。自分の命を永らえるために他の命を喰らう。そこに命の平等など無い。

 犠牲なくしてこの世界は成り立たない――解っている。魔女になり、真理を知った時からより強く理解している。


 爽太の魂で稀衣を救う――もうそれで良いじゃないか。爽太も納得し、覚悟している。

 しかし、爽太が稀衣を大切に抱きかかえている姿を見て思う。


(どうにかして、二人とも共に生きていくことは出来ないかしら……)


 短い間だが一緒に過ごし、二人の気持ちを充分知ってしまったからこその思いやりが生まれていた。


(私も甘くなったものね)


 二人を共に生きられるように……閃く。


「……そうか、共有か」


 すぐさま思いついた案が実現可能かを考えた。

 魂を別の魂に変質させるのは可能だ。そこに別の魂を共有させるには……。


「いける。やって見る価値はありそうね」


 小声で呟くとマギナの口元が微かに緩んだ。今まで思いつかなかったアイディアを思いついた時の爽快さは格別なものだ。あとは思い描いた通りに上手くいくかどうか。


「爽太、彼女を甦させてみるわ」


 爽太は目を見開き、期待と疑心の半信半疑の表情でマギナを見つめた。


「だけど、完全に上手くいくとは解らない。それは爽太の命が無駄になる可能性があるということ。それでも良いのなら……」


 迷う必要など無い。稀衣が居ない世界に意味など無いのだから。


「構わないよ。自分の命で尾林さんが甦る可能性があるのなら、何でもしてくれ!」


 後先も考えない自暴自棄に等しかっただろう。だけど爽太にはその選択しかなかった。


「……オーケー、解ったわ。それじゃ、これから私が唱える呪文を黙って聴きなさい。何が有っても微動だにしないこと。そして呪文が唱え終わった最後に“ジュリイ”と言い返しなさい。彼女をどうしたいのか、真なる想いを込めて言うのよ。良いわね?」


 その言葉にどんな意味があるのか解らなかったが、爽太はただ頷いた。それで稀衣が甦るのなら幾らでも言うのも辞さない。


 しかし“ジュリイ”という言葉の後に“ある所作”をしなければいけなかったが、マギナはあえて伏せた。爽太が稀衣を本当に救いたいと……共に生きていたいと思うのなら、自ずと取るべき行いを察してくれると信じたのである。


 悠長に構えている時間は無かった。稀衣は既に絶息してしまっており、身体の機能が完全に停止する前に対処しなければならない。


 ただちにマギナは手を合わせると、詠唱を始めた。


「エティコ・ボス・エティコ・アーゴ(共となる貴方は共になる者と生き)」


 爽太たちを中心として光の魔法陣が浮かび上がると、魔法陣の枠線から光の柱がそびえ立つように光が放出された。

 陣に光の粒子……膨大な魔力が集まってきているが、普通の人間である爽太にとっては空気が濃くなったとしか認識できなかった。


「ガウディアム・トリスティア・ディーヴァ・プーア・モーヴァス・サルティーム(喜びのときも悲しみのときも、富めるときも貧しきときも、病めるときも健やかなるときも)」


 呪文を唱え続けると、マギナの周りにも幾つもの多種多様で多彩な色の魔法陣が浮かび上がり、他の魔法陣と合わさったりして魔法陣の模様がより複雑なものになっていく。


「ディヴィディーテェ・モーテム・アモーレ・ホノーリィス・コンサルアティオ・アウクサリィム(死がふたりを分かつまで、これを愛しこれを敬い、これを慰めこれを助け)」


 やがて魔法陣は最初に出現させたものより遥か巨大な円陣となり、マギナたちの周りを取り囲んでいた。


「デゥムヴィータアスト・アモーレモーレ・ファークミーヴェレ・アントシィー(その命ある限り愛し慈しみ、真心を尽くすことを誓いますか?)」


 呪文を唱え終わったマギナは神父のように暖かい眼差しで爽太を見つめた。

 爽太の思考は稀衣のことばかりで埋め尽くされている。


 稀衣と初めて会った時―――


 稀衣と話した時――――――


 稀衣が死んだと知った時――


 稀衣と一緒に出かけた今日―


 稀衣との様々な思い出が巡る。


 また稀衣と、まだ稀衣と――生きていたい。



「ジュリイ(誓います)!」



 確かな口調で言い放ち、潔い良い声が辺りに響いた。

 マギナは慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、両腕を高々と上げる。


「ピイグナウス・ハーベスエトターラ(誓いの口吻を)」


 それが合図かのように、爽太は自然と自分の口唇を稀衣の口唇に重ねた。

 初めてのキス――

 爽太にとっても、きっと稀衣にとっても。


 世界で一番純真で特別のキスだろう。触れ合うぬくもりや甘酸っぱい味など感じられなかった。ただ刹那とも永遠とも感じられた。


 マギナは爽太の誓いの行為をしかと見届け、


「ピイグナウス・イルアルティウム・ヴィターエ・トゥーム!(その誓いを誓約とし、かの者たちの命よ共にあれ!)」


 高らかに宣言し終わると魔法陣がより強く光りだし、爽太と稀衣の身体が眩しく輝きだした。

 やがて二人は光と融合するかのように溶け合い、一つの光玉となった。光玉は風船が膨らむように大きくなっていき、突然破裂したのである。

 異空間は真っ白い光りに包まれていくと、光りの粒子となり霧散していく。やがて全てが消え去ったのであった。



   ■■■



 大きな爆発音が響き、辺りは眩しい光りに照らされた。


 気が付くと、元の世界……自分たちが花火を見ていた場所だった。先ほどの爆発音と光りの正体は、花火だったのである。

 周りの人たちは打ち上がる花火に意識が向いており、力無く倒伏している稀衣を抱きかかえている爽太に見向きもしなかった。


 マギナの異空間にどれだけ居たか解らないが、まだ花火の打ち上げが終わっていないところを見ると、それほど長く居た訳ではなかった。

 爽太は自分の腕の中で眠る稀衣を優しく見つめた。ここで改めて気付いた。


――どうして自分は生きているのだろうか?


――なぜ稀衣が目覚めていないのだろうか?


――マギナが甦させてくれたはずではないのか?


 花火の光彩で照らし出された彼女の寝顔は、二度と目覚めないような安らかな表情だった。

 心に悲哀なる感情が再び覆う。マギナの魔法が失敗して、稀衣の命が卒したままのではないかと思いなしたが、


「……うん」


 微かな吐息が漏れ聞こえ、稀衣の目蓋がそっと開いた。


「……あ、あれ……どうしたのかな、私……。急に意識が、飛んだというか……あれ、藤井くん?」


 寝起きでぼんやりしていて、言葉が滑らかでなかった。


 稀衣が目覚めたお陰で、マギナに殺されたのも、マギナによって蘇生してくれたのも、夢ではなかったと強く実感した。


「良かった……良かった……」


 生きている姿に――

 心を高鳴らせる愛しい声に――


 稀衣が生きていることの喜びが涙となりとめどなく溢れては、彼女の頬に落ちていく。


「え? なに? どうしたの藤井くん? どうして泣いているの?」


 意識がまだ明瞭していない状態である稀衣は、現状に戸惑っていた。そもそも暴走して失神していたのだから、先ほどまでの波瀾万丈な出来事を把握している訳がない。

 これまでの事情を説明しなければいけなかったが、言葉が思いつかない。ただ、稀衣が生存してくれていることで頭が一杯になる。


「尾林さんが……尾林さんが、生きているから……」


 言葉と共に涙が溢れ続け、爽太は稀衣を強く抱きしめた。


 稀衣を救うことが出来れば自分は死んでもいいと覚悟していたはずなのに、こうして生きて側に居られることに、言葉では言い尽くせないほどの窮まりない喜びを感じた。

 白い雪が舞い振り、鮮麗な火の花が空に咲き乱れている。幻想的な光景はまるで奇跡を祝福するように彩っているようだった。


 その様子を少し離れた場所で、マギナは二人を優しく見守っていた。爽太たちボロボロだった服はマギナの魔法で修復しておいた。


「今日はクリスマスだったわね。私からのクリスマスプレゼントにしておくわ」



   ■■■



 稀衣の命を救った怒涛の一件から一週間が過ぎ、年が明けた。

 正月の恒例行事と言えば、初詣だ。


 近所の神社に来ていた爽太と稀衣は拝殿の前に立ち二礼二拍手をし、合掌してお祈りを唱えていた。

 町内の人たちがほとんど集まっているかと思うぐらいに、大勢の人たちが爽太の後ろに列をなしていた。


 奉告が終わり一礼してから隣に居る稀衣の方を覗うと、まだお祈りが終わっておらず、黙々と拝んでいた。稀衣は赤を基調とした振袖を身にまとっており、その大和撫子の淑やかな姿につい見惚れてしまう。


 稀衣の奉告も終わったようで一礼した。二人は順番待ちの人にその場を譲る為にそそくさと退いた。次に、参拝後の定番のおみくじ売り場へと向かう最中、爽太が何気なく訊ねた。


「尾林さん、真剣にお願いしていたね。なにをお願いしていたの?」


「な・い・しょ! 藤井くんは?」


「……尾林さんが内緒なら、自分も内緒だよ」


「えー! ひどーい!」


 内緒にする内容ではなかったが、つい稀衣の冗談に乗っかってしまった。改めて教えようとしたが、


「ひゅーひゅー、お熱いわね!」


 人混みを嫌い、参拝の行列に並ばないでいたマギナが仲睦まじい二人の様子にイタズラ笑みを浮かべてはやし立ててきた。


「ま、マギナ!」


 マギナの片手には甘酒が入った紙コップを持っており、一杯引っ掛けていた。その甘酒を一口飲んで「ぷはー!」とオヤジっぽい所作して見せて、爽太が呆れる。


「もしかして、酔っ払っている?」


「大丈夫、大丈夫。たかが甘酒で酔っ払いませんよ。ところで、どう体調の方は?」


「ええ、特に問題はありません。普通に生活が出来ていますよ」


「稀衣の方は?」


「はい、私も大丈夫です」


 爽太の魂に共有させた後、爽太は今回の事情を稀衣に話し、マギナについても紹介した。(ただし、キスしたことについては伏せてある)


   ~~~


 マギナが行った処方(苦肉の策)は“魂の共有”であった。


 爽太の魂を稀衣に分け与えたと言うべきか。一つの魂を二人で使用させているという状態。簡単に言えば、パソコンの共有フォルダと同じような仕組み。爽太の魂を共有フォルダのように共有化させて、稀衣にも使用できるようにしたのだ。

 勝手に魂を共有させたことに稀衣は、


「魂を共有……そうか、それで私は生きていけるんだね……」


 素直に聞き入れて信じてくれた。

 マギナと爽太は拍子抜けしてしまった。彼女にとって生きていられることの方が、マギナのことや魂を共有させたことよりも大切だったのだ。


「だけど本当に良かったの? その、自分と魂が一緒みたいになっちゃって……」


「そうするしか、私が助かる方法が無かったんだよね? だったら、しょうがない……うんん。この場合はしょうがなくは無いか。お礼を言わないとね。私を助けてくれてありがとう、藤井くん。それと……ど、どうしたの藤井くん?」


 感謝の言葉に爽太は無意識に涙が流れていた。


「いや、なんでだろう……。尾林さんが、そんなことを言ってくれるとは、思ってもいなかったから……」


 稀衣の望みよりも自分本位の願いでの行為だったことに、冷静になった今では軽率な行為だと理解している。だけど“何をしてでも生きて欲しい”という純粋な想いの衝動に駆られたことによる行動だ。

 稀衣は自分のハンカチを取り出すと、爽太の涙を拭った。


「それに藤井くんが……私のことを好きだって言ってくれたから……」


「え……」


 正直に言えば、爽太は、稀衣の好きなタイプとは正反対なタイプ。明るいスポーツマンが“これまでのタイプ”だった。


「だから私も藤井くんのことを好きになろうと思ったから……。こんなことになっても大丈夫だと思ったの」


「えっと……、それって……」


 お互い見つめ合う。爽太の方が照れて視線を外した。

 ときめき輝く桃色な空気を切り裂くように、


「コッホン!」


 マギナがわざとらしく咳をして、全て見通すプロビデンスの目のような冷淡な眼で稀衣を凝視する。

 マギナはこの様な結果になったことに、完全には納得していない。


 魂を共有する措置は、人間としての範囲を超越させてしまった。自分自身と同じように、普通の人間とは“ならざるモノ”にした自責の念を覚える。無表情でいたつもりだったが、憂いた気持ちが僅かに顔に滲んだ。


「……マギナさん、そんな顔をしないでください」


 稀衣が優しく言った。


「さっきも言ったけど、こうするしか私が助かる方法は無かったんですよね。死んでいた私を甦させてくれた。藤井くんもそうですけど、マギナさんも私の命の恩人です。ありがとうございます」


 マギナは目を伏せて、改めて熟慮する。

 基本的には爽太の魂に共有させただけ。稀衣の身体などには何も手を加えてはいない。時間が経過すれば、身体は老いて劣化していく。


 ただ普通の人と違うところは、爽太が死ねば稀衣も死んでしまう。逆も然り。そして特に懸念することは、万物の精神には稀衣の運命が存在しないということ。だけど、マギナ自身も万物の精神に存在しないモノとなっているが、現時点で問題は起きてはいない。


「極力普通の人間としての一生を過ごせると思うけど、爽太の魂と共有しているから、どちらが命を落とすことになったら、片方も命を落としてしまう。そうしたら今度はどうすることも出来ないからね。それと稀衣の魂は万物の精神に存在していないから、どんな未来が待ち受けているか解らない。稀衣、貴女はこれから何が起きるか解らない未来を生きていくのよ。覚悟はいい?」


 ありのままを伝えた。下手に隠したところで二人の為にならないと判断したからだ。自分の命を相手に預けているようなものだ。不安に襲われてても仕方無いはずだが、稀衣は穏やかだった。


「……はい。私は助けて貰った命を、藤井くんの為に出来るだけ長く生きていきます。それに私は藤井くんやマギナさんみたいに未来が解らないし……。そもそも普通、未来は解らないものだから」


 稀衣の発言に、マギナと爽太はあ然としてしまった。二人にとっては未来が解ることが当然となっていたからである。


 マギナは思わず笑い出してしまった。今まで自分の常識に囚われていたのだと、目から鱗が落ちる代わりに涙が溢れた。


「そうだったわね。普通はそうよね。未来なんて、先が解る方がおかしいものね」


 稀衣は魂が共有されたことに恨んだり、忌み嫌ってはいない。本人がそれで良いと言うのならそれで良いと、マギナは自己完結した。

 変えられない運命を変えられて、一人の女子と一人の男子に生きていきる希望を与えられた。


「終わり良ければ、それで良いか」


 しかし二人の様態が気になり、マギナは暫く滞在することにしたのだった。


   ~~~


 それから七日間……二人は普通に日々を過ごし特段問題は無いように見えたが、一つだけ大きな変化が有った。


「ねぇ、マギナ。なんで未来が予見出来なくなったと思う?」


 事の発端は、爽太が稀衣の未来を予見しようとしたが出来なかったのだ。

 万物の精神に存在しないからと思ったが、他の人の未来も予見することが出来なかったのである。今も参拝客を観察していたが何も見えない。以前だったら数人ぐらいの未来が端無く予見出来ていたはずなのに。先見の明が使えなくなっていたのだ。


「やっぱり魂を共有したからでしょう。超常的なことなんだから副作用の一つぐらい有っても不思議じゃないわね。でも、結果的に良かったんじゃない? 使えなくなったのは。未来が解ることは必ずしも幸せになるとは限らない。それは爽太が身を持って経験してきたでしょう?」


 未来が解ったことで、他人を不幸にして人間不信になっては自閉症的にもなったりした。先の無い未来に希望が持てなくなっていた。


「だけど、悪いことばかりじゃなかった。それにこの力が有ったから尾林さんを救えたようなものだし……」


「まあ、実際に助けたのは私だけどね」


 マギナは冗談交じりに、敢えて自分の功績を補足して、話しを続ける。


「でも、爽太はこれからが大変なのかも知れないわね。今まで未来が解っていたから楽が出来た分もあるし、間接的に危険も回避することが出来たのもあるかも知れない……」


「……尾林さんも言ってたじゃないか。普通、未来は解らないものだって。普通になっただけに過ぎないよ」


「普通に、ね……」


「だからこそ普段以上に気を付けないといけないよね。だから、さっきのお参りで無病息災や健康長寿を祈ってきたしね」


 若者とは思えない祈願内容だったが、自分の生死が稀衣の生死にも関わる。生きていく為の心掛けの表れだろう。


「あ、藤井くんも私と同じことを祈ったんだ」


 稀衣も同じ内容だったことに顔がほころぶ。

 二人共、魂が共有された人生を生きていく覚悟があるということだ。今さら確認する必要が無いことでもあるが。


「覚悟があるのなら、それで良いわ。もう一人の身体じゃない訳だし、二人分の命を背負っているんだから……って、どっちにしろ結婚をしたのなら自ずとそういうことになるものだから、ちょっと早まっただけか」


「「け、結婚っ!」」


 爽太と稀衣は“結婚”という言葉に大いに反応すると、一瞬で顔を赤らめてしまった。


 この二人ならば大丈夫だろうとマギナは気散じ、甘酒を飲み干した。空いた紙コップはゴミ箱まで捨てるのが億劫だったのか、魔法で分解処理して消滅させた。


「さて、ここ暫く様子を見てきたけど別段問題は無いみたいね。私のお役目も終わったということで、ここでお別れしても大丈夫でしょう」


 意表をついた発言に爽太と稀衣は共に「えっ!」と一驚し、


「お別れって……マギナさん、どっかに行っちゃうのですか?」


 稀衣が再確認をした。


「まあね。ちょっと長く滞在し過ぎたわ。私には世界の滅亡を回避させなきゃいけない重大な使命があるからね」


 マギナの本来の目的は、変えられないはずの世界滅亡の運命を変えること。その為に変えられない死の運命にあった稀衣を救うことが出来れば、世界滅亡の運命を少しばかりでも変えられる足掛かりになると思ったからだ。


 その甲斐あって死者を甦させるという不可能だった、これまでの常識を変えることができたのは、大きな一歩なのかも知れない。ただ稀衣を生存させたことで万物の精神の運命にどう影響されるかは、まだ不明ではある。もう少し様子を見ておきたいが、何かあればすぐ戻ってくれば良い。待つ間、暇を持て余しては時間の無駄だ。


「それじゃ行くわね。これ以上、稀衣に嫉妬されたくないしね」


「あ、いや、そ、そんなことは!」


 また顔を真っ赤にして稀衣が慌てふためいた。


 マギナが爽太の家に居候していることを告げた時、稀衣の機嫌が明らかに悪くなった雰囲気を感じ取っていたのである。男女が同じ屋根の下で暮らしているとならば、変に勘ぐってしまうもの。ましてや気になる相手ならば尚更だ。


「あっ! でも爽太と別れたくなったら、すぐ私を呼びなさい。すぐに爽太との魂の共有を止めて、別の人の魂と共有してあげるわよ」


「だ、大丈夫ですよ! 信じてますから、藤井くんのことを!」


 稀衣の言葉に爽太もまた赤面する。


 マギナは純真で初々しい二人の様子を微笑みつつ、


「やっぱり、もっと人間に関与した方が良いのかしら」


 ポツリと呟いた。

 これまで自分独りで変えられない運命に立ち向かっていたが、上手く成果を挙げられずにいた。爽太と深く関わったことで、少なくとも変化をもたらすことが出来た。


「あ、マギナ……っ!」


 マギナが立ち去ろうと二人に背を向けた瞬間、爽太の網膜に焼き付けるように突如映像(ビジョン)が浮かび上がった。マギナと初めて逢った時と同じように――


「ま、マギナ、今未来が見えた……」


「えっ?」


 マギナは振り返り、爽太を見つめた。

 先見の明の能力が失われたはずの爽太。マギナは未来の映像(ビジョン)が見えたことに疑問を抱く。それは見えた当の本人も同じ思いだった。だが見えたのである。困惑しつつも、


「マギナが子供たちに囲まれて、すごく楽しそうに笑っているシーンが見えたんだ」


 見えた映像をありのまま伝えた。


 眩しい日差しの中をマギナは満面の笑顔で複数の子共たちと遊んでいる、とても幸せで心温まる光景だった。そうあって欲しいと願わざるえないほどに。

 子供を作ることが出来ない存在となり、世界が滅亡することを誰よりも知っているマギナにとって、信じられない内容だった。

 しかし、稀衣の変えられない運命を変えられたことにより、世界の未来が変わる端緒を開いたかも知れないと解釈した。


 マギナは喜びを噛みしめるようにはにかみ、


「それは素敵な未来ね」


 満面の笑顔を見せたのであった。



   ■■■



 マギナが爽太たちの前から立ち去った、その後――


 とても長く感じた短い冬休みが終わり、学校に通う日々が再開した。だけど、冬休みが始まる前と違う点がある。いつも一人だった通学路を稀衣と共に通っていた。


「もうすぐ三年生か……。そして高校生活もあと一年だね」


 稀衣が名残惜しそうに語りかけてきた。


「三年になる前に期末テストがあるけどな」


「うっ……。そうだ藤井くん、その……約束を覚えてくれている?」


「約束?」


 冬のファンタジーの時に交わした約束のことだ。


「ああ、テスト勉強を教える約束だったね。だけど、もう予見が出来なくなったから、前みたいに出題される問題を上手く当てられるか解らないけど……」


 マギナの未来が見えたのが最後で、やはり誰に対しても未来を見ることは出来なかった。もしかしたら一時的に使用できなくなっているだけに知れないが、今は使えなくなっている。


「だったら尚更一緒に勉強しようよ。一人でするよりも二人で勉強した方が断然良いでしょう!」


「……こんな平凡な自分で良ければ」


「それが普通だよ、藤井くん!」


 今まで特殊な能力……先見の明で、苦しめられたりもしたが随分と楽もしてきた。忌み嫌っていた能力なのに、失ってから惜しいとも思っている。でも、能力が失くなったことで、爽太はこれから先についてよく考えるようになっていた。


「尾林さんはこれから先……将来、どうするか考えていたりする?」


「え? ん~、そうだね……。まだ考えてないな。これまでは自分が死んでしまうことに恐怖して、生き続けていきたいという大雑把なものだったから。でも、やっぱり大学に行ってみたいかな。そこでゆっくりと将来何になるか考えてみても良いかな。藤井くんは?」


「……これまで自分の変な力で、先が解る未来に何の希望も無かったけど、今は違う」


 四十歳ぐらいまで生きていればいい、という考えはとうに消え失せていた。


 自分だけの人生ではなくなった今、稀衣の為に生きていかなければならない……いや、生きていきたい。未来を生きていく理由がある。


 人間が生きていく為には働かなければいけない。

 働くとしたら、趣味でプログラムやネットワークに触れていたので、その関連の仕事に就ければと漠然だが思い始めている。その辺りの情報を今度、勢川先輩に訊いてみようと思っている。


 少しだけ先が見えない未来を楽しく思えてきている。いや、本来はそういうものだろう。

 マギナも言っていた。先見の明は、本来人間誰しもが持っている能力。


 解らないからこそ未来を予測するのだ。喜び溢れる素晴らしい未来を。その為に何をするのかが見えてくる。先見の明とは、そういうことなのだ。

 人はいつか必ず死んでしまう。その運命には抗えない。でも、愛しい人(稀衣)が居る世界を、未来を、共に生きていける時間を少しでも長くありたい。


 世界が滅亡する未来は、マギナが打開してくれると信じている。あの予見したような未来が訪れるはずだ。


「尾林さんの分も長く生きるからね」


「うん、期待しています!」


 そして今はただ――稀衣の隣を歩いていたい。



―了―

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冬休みSiNGULARiTY~シンギュラリティ~ 和本明子 @wamoto

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