第3話 蒼の決意
いつまでも幸せな時が続けばいい。俺はただ、そう祈っていただけなんだ。
だが、その祈りが通じないことくらい、とうの昔に理解していた。知っている。どんなに祈っても、願っても、どうにもならないことがこの世には溢れている。
その日、「驚かないでくれよ?」という前置きを言ってから、ジークは意を決したように口を開いた。
「この間の誕生日会のとき、手紙が届いたんだ」
「手紙?」
「誕生祝いかと思ったけど、違った」
「何が書いてあったんだ?」
「…魔王がエウノミア様を妻に迎えたいと言ってきた」
「…え」
あまりのことに、言葉を失った。
魔王だって?
「どうして」
「分からない。でも、エウノミア様を寄越さなければ実力行使も辞さないと言っているらしい」
「国王夫妻はどうするつもりだ」
「…」
「…引き渡すんだな?」
「母さんは反対したんだ!魔物の、しかも魔王に嫁がせるなんて気が狂ったのかって!」
「なぜ抵抗しないんだ!」
「表立って抵抗は無理だよ!」
「それは、紅だからか?」
「…っ」
「それでいいのか。まるで生贄だ」
「じゃあどうしろっていうんだ!」
「…」
人間というものは、どうも諦めが早すぎるように感じる。自分の子どもでさえ、親しい者でさえ、助けることに躊躇し、手を離す。
ジーク、君ですらそうなのか。
「…返答は、今日なんだ。ここに魔物の使者が来ることに…」
ジークの言葉が終わる前に、拳を握りしめ、その場を足早に去る。
考えることはたくさんある。エウノミア様を危険な目に遭わせないことが先決だ。あとは、情報。俺たちには情報が足りない。この屋敷が外と隔絶された世界であることも関係しているが、俺は昔のように魔物の情報を得ることができていない。
魔王は、おそらく…
いや、今はそんなことを考えても仕方がない。
「エウノミア様は…このことを知っているのか?」
幼き身には、到底耐えきれるものではない。
俺にどうにかできるなど、そんな驕りはない。だが、後悔だけはしたくない。
そんな益体もないことを考えていた、その最中だった。
最初は、轟音。
次いで、まばゆい光、何かが崩れる音、熱、焦げ付いた匂い。
俺は、考えるよりも先にエウノミア様の部屋に走っていた。
「エウノミア様!」
「カイア!」
エウノミア様の部屋は無事だった。しかし煙が入り込んできている。
この場所に長く居ることは危険だ。俺はエウノミア様のそばにかがみこむ。
「俺にしがみついていてください。なるべく煙を吸わないようにして。絶対に俺から離れないでください」
「うんっ」
エウノミア様は、きゅっと口を引き結んで俺の背にしがみついた。
(守らなければ。エウノミア様だけは、命に代えても)
部屋を飛び出す。何らかの爆発が起こったのは確かだ。その地点を避けるように、素早く外に逃げ出すべきだ。俺はひとまず、森の方向に向かって発煙筒を投げつけた。色付きのそれは、危険を知らせる狼煙の役目。しばらくはその存在を主張するはずだ。ジークたちがその信号を見てくれることを祈る。
階段を駆け下りる。すると、聞きなれた音が聞こえてくる。
これは、翼が空気を切る音。それも、鳥の羽ばたきとは違う、もっと力強く、大きな羽ばたきだ。エウノミア様を背に、俺は階段下に身を潜める。
「カイア…?」
「エウノミア様、お静かに…何か、います」
音の方向に耳を澄ます。すると幾つかの声が聞こえてきた。
「おい、紅はどこだ!」「逃げたんじゃないか」「まさか焼けたんじゃないだろうなー」「やばい、焼け焦げてたら魔王様に殺される!」「だから俺はこんな物騒な方法はやめようって言ったんだよー」「仕方ないだろ!魔王様は人間から引き離して連れてこいって言うんだからよ!」
ぎゃあぎゃあと魔物が騒いでいるのが聞こえる。この騒ぎ、どうやらあいつらのせいとみて間違いがないようだ。
ちらりと目線を移すと、翼の生えた人型の魔物がうろうろと彷徨っていた。火事のせいで向こうも視界が悪くなっている。好都合。これなら撒けるだろう。
(くそ…っ、許さん)
出来るならば奴らを蹴散らしてやりたい、という衝動に駆られたが、それよりもまずはエウノミア様の身の安全を守ることが重要だと思い直した。息を潜め、外へと繋がる扉へと向かう。奴らへの報復は、あとで考えればいい。
「…けほっ」
「!」
エウノミア様が煙に耐えきれず、むせてしまう。
「!!あー!いた!」「どこだ?!」「あれだー」「誰かと一緒に居るぞ!」「人間じゃないー? いいよ、そっちは殺しちゃえー」「お前の方が物騒だな?!」
魔物が瓦礫を投げつけてくる。
「エウノミア様、走ります!」
全速力で扉に向かって走る。視界が悪いとはいえ、いくつも投げつけられたら、エウノミア様の身が危ない。
「く…!」
「きゃあ?!」
エウノミア様を庇うように腕を伸ばす。その腕に、熱された瓦礫が当たる。じわ、と焼ける音がしたが、構うものか。
扉に滑りこむ間際、柱に足蹴を食らわせる。ここがスイッチのはずだ。
「なんだ?!屋敷が」「わー、崩れるー」「悠長なこと言ってんなぁぁ!」
轟音と共に、屋敷が崩れ落ちていく。風圧に負けないよう、外に出てからもしばらくの距離を走った。
「…エウノミア様」
「カイア、大丈夫?」
うるうるとした目でエウノミア様が俺を見つめる。ああ、そんな不安にならなくても大丈夫。俺は丈夫で、そうそう死なないから。
「なんともありませんよ」
できるだけ安心させるために、優しく微笑みながらエウノミア様の頭をなでる。柔らかく、指通りなめらかな紅の髪。星の輝きに照らされてとても綺麗だ。この美しい色を損なわせようとする輩は許さない。例え国王や勇者、魔王であろうとも。誰にも奪わせてはならない。
「マーサも…ジークも…フレディも…みんな、もしかして、まだ…!」
「エウノミア様っ!」
「マーサ!!」
「ああ、よかった無事だった!カイア良くやったね!エウノミア様、お怪我は?!」
「大丈夫!」
エウノミア様がマーサさんに抱きつく。俺もほっと胸をなでおろした。
逃げる最中、脱出用の通路が開いているのに気づいていた。きっとそこから外に出たはずだと思っていた。それが間違いではなくて、安心した。
「よかった…よかったよぉ…」
エウノミア様がぽろぽろと涙を零す。
そして、俺と、マーサ、ジーク、フレディを見、ふぅと息を吐いた。
そして、とんでもないことを言い放った。
「私、お嫁に行く」
「エウノミア様?!」
「だって、魔王さんは私をお嫁にしたいんでしょう? だったら、私、行く」
「なぜそんなことを…」
「みんなが傷つくの、もう嫌だよ」
「あたしたちのことは気にしないでくたさい!」
「やだ。マーサも、ジークもフレディも、カイアも…この家にいるみんなが、大好きだから」
「俺は賛成できません!」
「おねがい…みんなにこれ以上、痛いこと、されたくないの …」
エウノミア様の瞳は涙に濡れているのに、強く、揺るがないものを湛えている気がした。
「…それならば、俺も一緒に連れて行ってください」
「え」
「魔物たちの手になんて渡しません。俺が、必ずお連れします」
「俺たちも、」
「駄目だ、ジーク。君も、フレディも、マーサさんも怪我をしているんじゃないか?」
3人とも気丈に振る舞っているが、火傷や怪我が酷い。彼らの思いは、本物だ。そんなこと、一緒に暮らして分かっていたじゃないか。
あたたかさを教えてくれた彼らにこのような仕打ちをしたことは、許しがたい。
ならば、俺のすべきことはひとつ。
「俺がエウノミア様の、剣となり、盾となりましょう」
そして、こんなふざけたことを引き起こした「魔王」とやらに、この煮えたぎる怒りをぶつけてやろうと思った。
蒼の魔王と紅の少女 結城 瞳 @yuki_hitomi
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