大学教授は理解する。

 イベント翌日の午後、三好は後片付けのために大学に出ていた。

 前日のうちに殆ど片付けてあるものの、レンタルした物品を業者に戻す作業が残っている。

(それにしても……飲んだなぁ)

 イベント終了後、片付けが終わるのを待ち構えていた上機嫌なアマゾネス斎藤に『打ち上げ』へと誘われ、散々酒を飲まされた。途中から記憶はないが、ちゃんと自分の部屋に帰って寝ていた。

 起きるのはとても辛かった。本当はそのまま完全休養にあてたかったのだが、布団の中でもぞもぞしていると携帯電話のメール着信音が鳴り響いた。

 画面を見ると宛先が「斎藤」になっている。どうやら昨晩、斎藤と携帯のメールアドレスを交換したらしい。メールを開くと、昨日のお礼から始まって、

「自分の未熟さを思い知ったので修行をやり直して、婆さんになった時でも構わないから彼女を倒す」

 ということが書かれていた。

 文面からも、とても楽しそうなのが読み取れる。斎藤は、既に本日夜のイベントのために活動を開始しているらしい。三好もなんだか身体の奥の熱が上昇して、動かずにはいられなくなった。


 さて、三好がサークル棟までやって来ると、なんだか部室の様子がおかしいことに気がついた。

(――壁が毛羽立っている?)

 恐る恐る近づいて、事実関係を確認した三好は唖然とした。

 なにしろ、部室の外壁全体に様々な紙が貼り付けられていて、そのすべてに「入部届」という文字が書かれていたのだ。

 それが二十枚を軽く超えている。

 そのまま茫然として立っていると、後ろから肩を叩かれた。振り向くと、沢渡である。

「おう、昨日はご苦労さん」

「お、おう」

「なんだか凄いことになったな」

「ああ、なんだか凄い。ただ――」

「ただ、どうした?」

「俺、新入部員勧誘行事だということをすっかり忘れてた」

「俺もそうだ」

 二人で黙って入部届を見つめる。しばらくして沢渡が口を開いた。

「三好――」

「なんだよ」

「前言撤回。お前、面白いわ」

 三ヶ月も前の発言を律儀に覚えているあたり、いかにも沢渡らしい。

「ああ、その通りだ。俺は面白い」

「あ、なんかムカついた。前言撤回の撤回。お前は嫌なやつだ」

 三好と沢渡は笑いながら、入部届を丁寧に剥がし始めた。


 *


 同時刻、信濃大学文学部国史研究室教授の相澤総三あいざわそうぞうは、教授室の隣にある無意味に大きく頑丈に作られた重要書籍保管庫の中を改めていた。

 相澤は、前任の教授からこの保管庫の鍵を託された時、同時に次のことも引き継いでいた。

「この研究室の教授席を確保したければ、保管庫の鍵は自分で厳重に管理し、誰かに鍵を貸した後や出張した翌日には、必ず中の文書を改めること」

 彼は自分が「律儀さだけが取り柄の凡庸な人間である」と自覚している。だから大学教授の地位も、この金庫番の役割に対してつけられているものだという点を十分理解していた。

 その相澤が、昨日は東京の出版社が主催する格闘技関係のセミナーに講師として呼ばれて、東京に出張していた。

 珍しいことだった。

 何の実績も功績もない相澤のような田舎教授を、わざわざ招くとは――しかもテーマが畑違いもいいところだった。

 彼は開き直って、多少なりとも関係がありそうな『松本を中心とした戦国時代の武将の攻防』について話をした。すると予想外に好評で、主催者の月刊誌編集者から、

「これまでお呼びした先生方は、話が専門的すぎて分かりにくかったのですが、相澤先生のお話は大変に分かりやすくて参加者の反応も上々でした。弊社編集長の権藤経由で、四月朔日さんからのご紹介と聞かされた時には面食らいましたが、次の機会もぜひ宜しくお願い致します」

 と、学者としてはあまり嬉しくない褒め言葉を頂いたのである。

(話に出てきたゴンドウやワタヌキという名前に聞き覚えはなかったが、まあ、いいだろう。それに、分かりやすい学者は学者ではなく解説者だが、そのほうが需要があるというのなら、それでもよい)

 相澤はそんなことを考えながら、保管庫の奥にある和綴じの古書を眺める。そして――呼吸がとまるかと思われるほど驚いた。

 延ばした手が震える。

 古書の片隅、一見して分かり難いところに、ごく細い繊維のようなもので封印がほどこされていた。古書を開くとその封印が切れるようになっていたのだが――


 それが見事に断ち切られてぶらさがっている。


 相澤はしばし呆然と立ち尽くしていたが、すぐに意識を取り戻すと前教授からの引継事項の続きを思い出した。

「古書の封印が破られた時には、すぐにこの番号に電話をするように」

 その時手渡された、二つ折りの、いつ頃のものかも判然としないほど変色した紙は、常に相澤の手帳に挟まれている。

 その紙とスマートフォンを取り出して、まだ震えのおさまらない手で記載されている電話番号にかけた。

 呼び出し音一回でつながる。

「――もしもし」

 相澤は、これも引継事項の一つであった短い言葉を伝えた。

「封印が開いた」

 返事も短かった。

「了解。状況を開始する」

 それだけで電話は切れる。

 そこで、やっと相澤も状況を理解した。

 自分が「解説者になる」以外の道を失ったということを――

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パパは覆面作家 第三章 先生と謎の格闘家? 阿井上夫 @Aiueo

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