後編

「はい、お疲れ様でした」


 臨終のために数人の医師と看護婦が静かに入室し、その作業を厳かに終えたところで、妻だった女が穏やかに宣言する。

 その場にいた者の肩から力が抜けた。

「はあ――今回はずいぶんとスムースだったな」

 次女の夫だった男が、懐からハンカチを出すと顔中を拭う。

「定番とは言いながら、ここまできっちり最後まで続けられるのは珍しいわね」

 次女だった女は、プラスチックのコップに入れた冷たい緑茶を、夫だった男に渡した。

「お、ありがと」

「前回はたいへんだったよねえ」

「そうだねえ、最後の最後で『こんなはずではなかった』って正気にかえっちゃって」

「ああ、いらっしゃいますよね、そういう方」

 長女だった女が、首から重たげな真珠のネックレスを外して備品袋にしまうと、前回もその夫役を務めた男は苦笑しながら、その袋を受け取ってアタッシュケースの中に収めた。妻だった女は相槌を打ちながら、そのアタッシュケースを受け取る。

「なんでこんな風に自分の人生はうまくいかなかったのだと、ひどく後悔なさるケースですね。あれはリカバリが大変ですわ」

「そういう時はどうなさるんですか」

 今回、遺族役を初めて担当する次女だった女が尋ねた。

 妻だった女は小首を傾げると、

「そうですねえ――やはり優しくなだめるのが一番でしょうかね」

 と、やはり穏やかに言う。

「なかなかそれができないんですよね。さすが場馴れしていらっしゃる」

「いえいえそれほどでも」

「そういえば、今回のクライアントは録画に同意されていたそうですね」

「そうなんですよ。広告用に使うことも了承頂いています」

「あ、そうなんですか。今回のはよかったから、指名で注文を頂けるかな」

 次女だった女は舞台女優だが、最近は良い役に恵まれず経済的に困っていたので、目を輝かせた。そんな事情を理解している妻だった女は、彼女の少々不謹慎な発言に目くじらをたてることなく、微笑みながら言う。

「そうですねえ。前の広告媒体では確かに私も指名がかなりかかるようになりましたからね。大丈夫じゃないでしょうか」

「そうなんですか。うわ、期待しちゃう」

 彼女のそんな呑気な様子を眺めながら、妻だった女は思った。

(でも、決して演技の勉強にはなりませんけどね。むしろ自然体で真心を伝えるのが役目ですから。貴方にも分かる日がくるとよいのだけれど)


 長女の娘役の少女は、次のスケジュールがあるということで急いで帰ってしまった。あの年代で擦れていない孫役ができる人材は少ない。そして、オーダーが一番多いオプションである。

 人気者は大変だなと思いつつ、長男役の少年は上着を脱いだ。借り物なので汚すと大変なのだ。

 病室の入口では、医師の一人が生真面目な顔で、妻だった女と話をしている。

 息絶えた老人は搬送用の担架に移されて、他の医師や看護婦と共に部屋から出てゆくところだ。

 その穏やかな臨終の横顔を眺めながら、少年は考える。


 大人はおかしなことをするものだ、と。


 この仕事を始めるにあたって、事務所のマネージャーから基本的な仕組みについてのレクチャーを受けた。

「このお仕事は、クライアントの最期の願いを実現するものです。高齢化社会の解決策として、六十歳以降の『自主的な逝去』が合法化されました。そもそも独身高齢者が多い世代でしたが、病気で高額の介護費や医療費を負担することなく、自らの判断で資産に余裕があるうちに逝くことができる訳です。必然的に『せっかくだから、最期の瞬間ぐらい自らの望む理想像に近づけたい』というニーズが生まれました。そのような、資産のある方の最期の願いを全力でサポートするのが、君のお仕事なのです」

 重要なことを繰り返し言うのは、平成生まれの悪い癖だ。

 最期の願いを聞き、埋葬を含めて予算内に収まるよう、その希望に沿った台本と配役で臨終の瞬間を作り出す。

 今回のような『自分を敬愛する親族に看取られての、穏やかな臨終』は特に人気の高い企画で、参入している業者も多かったが、老舗であるこの会社は役者の層が厚い。それなりに値段が高かったものの、費用対効果も高かった。

 また、『自主的な逝去』は合法とはいえ倫理的な懸念が残るため、公的機関が必ず現場で評価する仕組みになっている。大抵の場合、病院が舞台となるので違和感を与えないように医師に扮して、臨終を間近で見届けている。今回は、妻だった女性と最後に話をしていた『医師』がその担当者である。大方、評価の根拠を説明していたのだろう。

 公的機関による評価の平均値で、この会社は十年連続業界トップに君臨している。

 お一人様世代をターゲットにした『寂しくない臨終』は、いまや成長産業だ。

 そういった大人の事情に無頓着な少年は、やはり借り物のカッターシャツのきつめで外しにくいボタンと格闘しながら思った。


 だったら、どうして生きている間にそうなる努力をしなかったのだろう、と。


( 終り )

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最期の願い 阿井上夫 @Aiueo

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