後日談 道化師は使命に燃える(後編)

「こちらにおられましたか、執事セバス様」

「プルチネッラ? これはよくぞナザリックへ戻られました。今日はいったい――」

「いけません。私わ断固として、そのような不幸な誤解を見過ごすわけにいかないのです!」


 ぶるぶると拳を震わせ、力強く言う道化師に、セバスは眉をひそめる。

 この道化師は長く牧場にいたはずだ。デミウルゴスの補佐として。

 それが第九階層の、廊下をうろうろしているからには、てっきり司書長のもとにでも用があるのかと思ったのだが。


 いったい何の話かと問いただそうとしたとき、ちょうど客室のひとつを掃除し終えたツアレが出てきた。

 彼女は立ち止まり、驚いた顔で二人を見やる。それから困惑したていで、


「あの……どうかなさいましたか? 私の掃除に不備が……?」

「ああ、いえ。その確認はのちほどエクレアが行います。我々はただ立ち話をしていただけですよ。……そういえば二人は初対面でしたか」


 言われて、道化師が素早くこくこくとうなずく。唖然とした顔のツアレからすると、その速度は驚異的に映るらしい。ぎりぎり『うなずいている』ということが分かるスピード。ツアレは決然とした顔をして、全力で首を上下に振った。セバスは沈黙してそれを見守った。両者は何かを競うかのようにひたすら頷き合っている。ツアレの顔が赤くなってきたあたりで、セバスは咳払いをして、


「そのくらいでよいでしょう」


 はっとしたようにツアレは止まり、つづいてプルチネッラも小首を傾げて止まった。

 ツアレはちらちらとそれを見ながら、


「わ、私はうまくやれたでしょうか? セバス様」

「……何をですか」

「え? あの、この方にはこのようにご挨拶すべきなのかと」

「そんなことはありません。ふつうに接していればいいのです、ツアレ」


 ツアレは考え込み、プルチネッラをちらりと見やった。

 プルチネッラはまだ小首を傾げている。鳥を模した仮面にふさわしい角度で。

 ツアレは落ち着かなげに両手をこすり合わせ、セバスの顔をちらちらうかがいながら、同じ角度で首を傾げようと試みる。

 セバスが咳払いすると、すぐにやめた。


 ……迷走している。

 ナザリックに馴染もうと努力しているのは分かるのだが、このままではツアレが奇妙な習慣をいくつも身につけかねない。メイドたちによる監督・指導を強化すべきか。しかしそれでストレスが過剰になってしまってもまずい。なんといっても外から来た人間であり、ナザリックの常識では判断出来ないのだから……。


 などと悩んでいるセバスをよそに、プルチネッラは歓迎するように両手を広げ、


「はじめまして、私わプルチネッラと申します。デミウルゴス様の補佐を務めております」

「ご挨拶が遅れまして申し訳ございません! 私はツアレです……い、いえ、ツアレと申します。メイド見習いです。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いいたします」

「プルチネッラ様は、こちらで何を? あの、単純な作業とかでしたら、私でもお手伝いできるかもしれません。私はほかのメイドの方たちのように決まった仕事がまだありませんから……あ、でもセバス様のご許可があればですけれども」

「おお、それわ素晴らしい。実わ由々しき誤解を解きほぐすために私わ参ったのです」

「誤解、ですか?」

「そうなのです。セバス様わデミウルゴス様を誤解しておられるのです」


 ぴくり、とセバスの眉が動いた。

 咳払いして、


「そういう用件でしたら、私が直接お聞きしましょう。ツアレ、あなたはいったん戻りなさい」

「次のお仕事ですか?」

「いえ、それはエクレアの評価を待ってから――」

「ならばツアレにも手伝ってもらいましょう!」


 堂々と道化師は言ってのけた。力強くツアレにうなずきかけるさまは、まるで命令権が自分にあると言わんばかりだ。気圧された様子のツアレを心配げに見やり、セバスはプルチネッラに向き直る。やや厳しい口調で、


「こうしたことにツアレを巻き込むべきではありません。そもそも、デミウルゴスがそのようなことをあなたに依頼したとは考えにくいのですが」

「依頼などと……デミウルゴス様わそのようなことわなさいません。慎み深く、謙虚なあの方わすすんで話されようともなさいませんでした。私が脅――提案をしましたことで、ようやく重い口を開かれたのです。ご存知のようにセバス様、私わ多くの者を幸せにすべく創造主より造られました。ゆえに、この不幸な誤解を解きほぐし、セバス様とデミウルゴス様が心底から睦み合い固い友情を築く手助けをせねばなりません」


 ツアレの目がきらきらと輝く。彼女は感激したように、


「プルチネッラ様、すばらしいことだと思います! いつの間にセバス様とデミウルゴス様の間にそんな問題が持ち上がったのか、あまり突然のことなので私もびっくりしているんです。でもきっとささいな行き違いです! お二方とも、とてもやさしい方たちです。ちゃんと話し合えば、すぐさま仲直りができるはずです!」

「あなたもそうお考えなのですね、ツアレ。私わあなたという理解ある者がナザリックに迎えられたことをよろこばしく思います。そこで、これをお使いください、セバス様」


 突き出されたスクロールをとっさに受け取ったセバスは、そこに込められたものが『伝言メッセージ』の魔法であることを知って顔を歪めた。それをどう勘違いしたのか、あるいは勘違いしたことにしようとしたのか、プルチネッラは陽気な声で、


「ご安心ください。そちらは不良品になります。少し紙が黒ずんでおりますでしょう? ごくまれに、品質不良なものが出てくるのです。これまでの経験からいって、あと一時間もすればぼろぼろになってしまい、使用出来なくなると思われます。ですから、これを利用してデミウルゴス様と通信することわなんらナザリックにマイナスを及ぼしません。むしろ品質劣化が著しくなった状態で魔法を使用した場合の、なんらかの不具合があるかどうかという実験になるくらいです」

「……せっかくのご厚意ですが、ささやかな誤解があるというならばいずれまた膝をつき合わせて彼と話す方がよいでしょう。対面して話してこそ分かり合えることもあるはずです」

「ですがセバス様、デミウルゴス様わナザリックの外でのお仕事がほとんどなのです。次にいつナザリックに帰還されるかわ分かりませんし、セバス様とゆっくりお話になる時間があるかも不明です。そうやってずるずる延ばしていてわよいことわありません」

「いえ、しかし――」

「おお、よいことを思い付きました。ツアレ、これから私といっしょに牧場に行きましょう」


 セバスが目を見開き、ツアレはきょとんとしている。


「デミウルゴス様がいかにお優しい方か、羊たちへの扱いを見れば誰の目にも明らかです。デミウルゴス様についてのあらゆる誤解わ、そこに見られる様々な具体例が打ち破ってくれることでしょう。ツアレからその話をセバス様にしてもらうのです」

「な、なにもツアレを担ぎ出さずともよいでしょう。ええ、私とあなたで別室でゆっくりその話を……」

「いえ、私わもとよりデミウルゴス様に深く肩入れしすぎております。あの方に心酔していると言ってもよいほどなのです。そんな私の話を聞かれましても、セバス様わそこに誇張があるとか、虚偽があるとか疑われるやもしれません。そこで中立なツアレの出番なのです」


 わざとか?

 わざと脅迫しているのか?

 それとも本気でよい案だと思っているのか?


 セバスの驚愕と不安をよそに、ツアレは決意に瞳を輝かせ、「任せて下さい!」などと勝手なことを言い、プルチネッラと意気投合して盛り上がっている。


 まずい。


「……プルチネッラ、やはりスクロールを使いましょう。私が直接、デミウルゴスと話をいたします。ええ、いますぐにでも。ですからツアレの牧場行きはありません。いいですね?」

「セバス様がこの場で仲直りをなさるなら、私に異存わありません」


 残念そうな顔をするツアレは、活躍の機会を失ったと思っているらしい。知らないというのは幸せなことである。


 不良品のスクロールで、デミウルゴスを呼び出す。

 いっそ返事がなければいいと思ったが、返答はきちんとあった。


「デミウルゴス、突然の連絡を謝罪いたします。いまはお忙しいのではありませんか?」

「君が連絡してくるとは珍しいね。よほど重大な用件なのか――どこぞの道化師にそそのかされたのか」

「ええ、まあ後者です。私はあなたと、その……誤解について話し合うべきだと」

「ふむ。だいたい状況は予測がつくよ。それで? 君は私に謝罪なりなんなりするわけかい」

「……何故私がそんな」

「プルチネッラは聞き耳を立てているんだろう。形だけでもやっておかないと、またうるさいよ?」


 デミウルゴスの声は、セバスにしか聞こえない。

 そのことが己の不利をセバスに意識させた。

 なにしろあっちは言いたい放題にして構わないが、こちらはそうはいかないのだ。


 セバスは咳払いして、


「あなたに関して私が……誤解していたことに対して謝罪をしなければなりません」

「なにも謝罪の対象を絞ってくれなくても構わないよ? 私は君のおかげで多大な迷惑を被ることが続いているのだから、もはや君という存在が私にもたらしたすべての害悪について、なんらの制限をもうけることなしに全面的に己の非を認め、心からの謝罪をしたとしてもまったく問題はない」

「我々の間にある誤解に関して、ですが、たいへんに申し訳なく思っております」

「どのへんをどのくらい申し訳ないと思っているのか具体的に言ってくれないかな? その方がプルチネッラも納得するはずだ」

「……つまり……そうですね、例の事件のときに、私があなたの意図を読み違えたことや……」

「聞く耳持たなかったんだったね。まったく情けない話だ。それから?」

「……私がやや短絡的な行動に出てしまったことについて……」

「短絡的? 実に控えめな表現だね。恐れ入るよ」


 言い返したい。というか言葉ではなく拳で抗議したい。

 しかしながら、いまこの場にはプルチネッラとツアレがいる。

 相手はセバスにしか聞こえないからと言いたい放題だが、こちらはそうもいかない。


 ツアレを牧場にやるわけにはいかない。


「たいへん……申し訳ありませんでした」

「もちろん、私は快く君の謝罪を受け入れよう」

「……後日あらためて私の誠意をお受け取りください」

「待ちたまえ、不穏な血の臭いがする発言は撤回してもらいたい」

「ご遠慮なさらず。我々の仲ではありませんか」

「アインズ様は、我々の身を傷つける争いを望まれないよ?」

「ご心配には及びません。限度というものは心得ております」

「君の限度にはまったく信用がおけないのだが」

「お褒めにあずかり光栄です」

「……言っておくが、君が短慮を起こそうものなら困ったことになるよ?」

「ほう、参考までにお聞かせください」

「そこの道化師が君を数週間から数ヶ月の休暇に陥れるだろう」

「丁重にお断りいたします」

「だったらおとなしくしていたまえ」

「分かりました。私なりに工夫をこらした贈り物をご用意いたします」

「……懲りないな、君も」

「お互いさまです」


 やりきった。

 セバスはホッとして、『伝言メッセージ』の使用を終える。


 ツアレが笑顔で拍手する。

 プルチネッラはうんうんとうなずいて、


「素晴らしい! 私わ感動いたしました、セバス様」

「いえ。あなたにはご心配をおかけして申し訳なく思っています」


 デミウルゴス以外には、謝罪がすんなり口から出るのだが。

 あの悪魔に対しては、血を吐くような気分になる。


「あっ、あの!」

「なんですか、ツアレ」

「仲直りの、贈り物だとかというお話をされていましたが……ええと、限度がどうとか……」

「……ええまあ」

「その、もしも贈り物にコストをかけることをデミウルゴス様が心配しておいでなら、私がとっておきの仲直りのしるしを教えて差し上げますっ!」


 セバスの口元が引きつった。

 ツアレは善意にかがやく眼差しを向け、熱意を込めて、


「ハグです、セバス様!」

「……ハグ?」

「そ、そうです。その……わ、私が、セバス様に見本をお示ししても?」

「……ええ、お願いします」


 ツアレはつつつとセバスに近寄り、はにかんだように微笑むと、きゅっと抱きついた。


 セバスの口元は一瞬緩み、続いて固まる。


「……これが『ハグ』ですか」

「はい! 同性でも異性でも問題ありません。実際私も、女の子とハグをしました。彼女とは友達だったのですが、ちょっとしたことで喧嘩してしまって……仲直りしたときに、ハグを教えてくれたんです」


 セバスから離れ、ツアレは緊張した面持ちで見上げてくる。


「いかがでしょう?」


 無理です。あり得ません。却下します。

 喉元まで出かかった言葉は、ツアレの顔を見ていると引っ込んでしまった。


 友達。

 悲惨な人生を歩んできた彼女にとって、それはきっと数少ない輝かしい思い出であるはずだ。


 ナザリックに来る前、彼女は妹には会いたい気持ちがあると告白した。しかし友達のことは口にしなかった。

 ツアレの友達もまた、悲惨な境遇にあったなら――きっとその女性は、もう生きてはいないのではないか。


 ツアレは宝物を差し出したのだ。

 セバスとデミウルゴスのために。


 ……しかし。


 そんなやさしい心持ちも、ツアレへの思いも、

 デミウルゴスと抱き合うことを考えればぐらぐらと揺れた。


 あり得ない。

 いったいなんの罰なのだ。

 至高の御方が命じられでもしないかぎり、絶対にやりたくない。


 こう思い定めたセバスだったが。

 ここまでの逡巡が、すべてを手遅れにした。


「それわよい案です、ツアレ! 素晴らしい。あなたわお二人を幸せにするための最適な解を出されました。このプルチネッラ、賛嘆の念を禁じ得ません」

「あ、ありがとうございますっ」


 ツアレの目がうるんでいる。

 ……非常に断りづらい状況だ。


 さらにひとしきり道化師は騒ぎまくり、なんだかんだで気付けば「折を見てデミウルゴスと会ってハグをする」ということで決まってしまっていた。


 セバスが最後の抵抗にと試みられたことといえば、「日取りなどはデミウルゴスに決めさせてください。私の方がスケジュールを合わせやすいですから、彼の都合のいいように」とプルチネッラに主張して受け入れられたことだけである。


(あとはあなたがどうにかしてください、デミウルゴス)


 あの悪魔の有能さに賭けるしかないのが癪ではあるのだが。

 どうにかしてくれるだろう、と確信する程度には、信頼している。


 ついに飛び跳ねるように道化師は去り、

 二人きりになったとき、ツアレはおずおずと、


「あの……私は差し出がましいことをしたのでしょうか?」

「いえ、そんなことはありませんよ。あなたも、プルチネッラも、善意から行動してくれているのはよく分かります。その気持ちはありがたく思います」


 ホッとしたようにツアレは微笑む。恥ずかしそうにうつむいて、


「私……初めてかもしれません」

「何がですか?」

「あれほど、だれかに必要とされたのは」


 セバスは戸惑い、それから思い当たる。

 たしかにあの道化師は、大げさなほどにツアレを褒めちぎっていた。去り際には「いっしょにナザリックに幸せを振りまきましょう! あなたわ私の同志としてふさわしい方です」などと言っていた。


 しばらくの沈黙。


 セバスは咳払いし、


「ツアレ、あなたとハグをしてもよいでしょうか?」

「えっ、あ、はい。どうぞ」


 セバスは慎重に彼女を抱き寄せる。それはやや親密の度合いが強すぎる、とは思いつつ、ツアレは言い出せない。言い出したくなかった。恋人のような抱擁。


「これで私たちも仲直りですね」

「え? え? あ、あの……ご、ごめんなさい! 私、知らないうちにセバス様を怒らせて――」

「そういう意味ではありません。仲直り、というのは語弊があるかもしれませんが……私が意図したことは、誤解の集積によって互いの関係性が望ましくないねじれをもっていたのを修復する、ということです」


 ツアレの困惑を感じ取って、セバスはふむ、と考え込む。


「……どうも私は言葉が足りないようです」


 今さらすぎるほどに今さらなことを、わりと新鮮な気持ちで反省するセバスである。


「つまり……あなたは誤解しています、ツアレ。あなたを誰より必要としているのはプルチネッラではありません」


 セバスはツアレの耳元で、囁く。


「私なのです」


 ツアレはびくっと身を硬くし、それから――ふわりと身を預け、


「うれしいです、セバス様。あの、よろしければ……いえ、その……」

「なんでも言ってくれて構いません、ツアレ」

「……私とまた、ハグの練習をしましょう。今日だけじゃなく、ずっと」

「こちらこそお願いします。あなたという教官を得たことは、私にとってこの上ない幸せですよ」

 

 抱き合う二人は幸福な雰囲気を振りまき。


 ツアレの仕事ぶりについての審査に来たエクレアと、その運搬役は、出ていくタイミングをつかめないまま、まだしばし待たされるのであった。

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悪魔と執事を仲良くさせる大作戦! byシャルティア ツナサラダ @tunasa

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