一章 中編


「おいおい、こりゃあどういうこった?」

悲鳴の聞こえた三番通りに向かい、抱えていた木箱を降ろした紀辺は目を見開いた。

朝市が終わってほんの少ししか経っていないのに、たくさんの長屋がある三番通りにはそれに見合った数のあやかし達が見当たらない。

地面はまるで化け物でも通ったかのように抉れ、長屋の一つは半壊してしまっていた。

確かに古都街に化け物はごろごろいるが、こんなに目立って秩序を乱すような真似をする輩はそうそういないものだ。東洋のあやかし達の驚かす技法からしてまず彼らではないだろう。

それに診療所で聞こえた雷鳴からして、地面を抉ったのは落ちてきた雷だろう。東洋の雷を使うあやかしといえば雷入道か雷獣くらいのものだ。あの2匹は今大いびきをかいて寝ているだろう。

洋風通りと通称される333通りや666通りのあやかしたちのことも頭をよぎったが、そもそも彼らも自分から騒ぎを起こすような不届き者…いや、不届き者ではあるが好きこのんで和風通りに来るのなんて警備団くらいのものだ。

洋風通りのあやかし達のチンケな誇りと気品を考えるとやはり彼らでもない。

紀辺があれでもないこれでもないと思考を巡らせていると、後ろで微かに物音がした。

軽快、というには違和感があるそれはだんだんと紀辺の傍に近づいてくる。

禍々しい気配を携えて。

紀辺にはその気配に覚えがあった。

診療所をやっている以上、紀辺は妖達の事に関する知識は豊富だ。もう何年にもなる診療所で今まで診てきた妖達は数こそ少ないが、症例から治療法までそれぞれで同じものは誰1人としていなかった。

しかしこの気配は、このどす黒い気配は診療所にくる妖達全員が抱えているものだ。

助けてほしい、どうにかしてほしい。

もともと気ままに呑気に生を謳歌しているはずの妖達がそう思えば思うほど、掻き毟るほどの胸の痛みのように、妖力は暴走していく。

暴走した果てに待っているのは、妖としての死。

紀辺は古都街の住人に死が訪れないように、誰一人消え去る事がないように、常に路地裏で気を張っているのだ。

まさに、今真後ろにいるこの気配は、ある種紀辺が最も恐れているものだった。

まるでこちらを飲み込むようなそれに対して紀辺が振り返ったその刹那、金属の擦れる音と共に、目の前に短い剣が振りかぶられていた。

予備動作のほとんど無い動きを間一髪でかわす。

遅れて揺れた紀辺の髪の毛をひと房薙いで、短剣は空を切った。

剣を持った腕を掴み引き倒して距離を取る。

距離を取る間に紀辺は自身の武器である鉄扇を一つ、裾から取り出した。

防御にしか使えない、開かない方の扇子を構え、急襲相手と対峙する。


「チッ…仕留め損ねた…」


そこにいたのはまるで人の様な生き物だった。

一見すると少女のように見えるそれは、倒れた拍子に手放した短剣を掴むとふらふらと立ち上がった。紀辺がじり、と近寄ると少女はそのぶんじり、と後ろに下がる。

ボロボロの服から見えている肌は青白く、所々継ぎ接ぎがある。こちらを見据えた瞳は光の反射で黒にも灰色にも見え、胸まである髪は一度燃えてしまったのだろうか、煤けてしまっていた。

異質揃いの古都街でも一等目立つ容貌の少女に向かって、紀辺は話かけた。

「おうおう、小生を暗殺でもする気か?え?」

まるで煽るような言葉に少女の顔が険しくなる。

「うるせぇ!お前ら、殺しても死なねえような見た目しやがって!!!」

まるで吐き捨てるような言葉にも紀辺は動じない。妖怪が死なないのは、この世界では当たり前の事だ。

なるほど、余所者かと頭の隅で考えながら紀辺は口を開いた。

「……まぁ、そうだな。死なねえな。」

「っ…。」

驚いている少女を見ながら紀辺はため息をついた。ちょうどその時一房切れてしまった紀辺の髪が伸び始める。

「…うわ…。」

目の前で髪の毛が再生する、それも尋常ではない速度で。そんな光景を見てしまった少女の口から恐怖に震えるような声が漏れた。

「うわって、お前なぁ…。お前だって妖の端くれだ。これくらいできるだろ?」

再生し終わった髪を弄りながら笑う紀辺に、少女は後ずさった。

「違う、違う!!!俺はこんな…」

少女の口から俺、という言葉が漏れた時天から一筋の光が降ってきた。

紀辺と少女の間にあっという間に落ちたそれは

光、というには語弊がある。地面を抉り抜いたそれは正しくは雷だった。

「…っ、と。鼓膜が破れるかと思ったじゃねぇか。お前さんの妖力は雷か…。」

「ヨウリキ…?魔法じゃねぇのか?俺ら人間には魔法が使えるんだって兄貴が…、もうわけわかんねぇことばっかりだ…。屋敷は燃えるし兄貴は死んじまう、オマケにこんな不気味な所に着いちまって…。なんなんだよ、俺が何したって言うんだ…。」

少女の声はだんだんか細く、震えていく。

紀辺は項垂れる少女に近づき、ぽんと肩を叩いた。

「なるほどお前さん、流れものか。そりゃあ驚きもするだろうさ。ま、なにはともあれようこそ、古都街へ。」

「は、離せ!いい加減に…!」

優しく歓迎の言葉をかけた紀辺の手を払い除けた少女はバッと後ろに下がった。

下がったのだが…。

ドン、と鈍い音がして少女は壁にぶつかった。

先程までそこになかった壁に。

いや、よくよく見てみると壁にはギョロリンと一つの大きな目がついている。

「いってェなぁ。あンれまァ、旦那サン。随分と若い嬢ちゃン連れてんネぇ。嫁さんはドッしたァ?」

「ひぃっ…!」

「よお、雷入道。随分とお早い目覚めだこって。」

そう低くはない紀辺ですら首を真上にして見上げるそれは、雷入道の大きな目玉だった。

「んン?朝市はまダなんけェ?おら今日は早起きでキただか?」

とぼけた声で尋ねる雷入道に、紀辺は鼻で笑いながら答える。

「朝市ならもう終わったよ。お前さんが寝こけてる合間にな。そうそう、ちょうどこの…ありゃ?」

紀辺が雷入道との話に花を咲かせ始めようと、少女を指さすが、少女の姿はない。

逃げたかとあたりを見渡す紀辺に、雷入道が驚いた声で告げた。

「あんレ、旦那さん、嬢ちゃん気絶してるゥ!」

その声の通り地面を見ると倒れふした少女の姿があった。

「あーらら。ま、連れ帰るしかねぇか。じゃあな、雷の。今度は早起き出来るといいな。」

そういうと紀辺は少女を俵担ぎに、小箱を肩がけにして、三番通りを後にした。

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