古都街裏道四番通り
羽柴
「序 雨降る深杜にて、少女」
都から北へ北へと向かった果てに、
「雨降る深杜」と呼ばれる森がある。
その森は都がまだ都ではなかった時代から変わらずそこに在った。そして古い文献では突如としてそこに現れたとも神の時代からあったとも伝えられており、その始まりは定かではない。
また、ある噺家の演目では深杜は妖怪の住処とも言われている。やれ傘が一本足で歩いてただのやれ猫又の集会所があるだのという噂話は都では途絶える事を知らなかった。
しかし雨降る深杜には上述した言い伝えの他にもう一つ、あまり知られていないものがあった。
その光景を見た者の話によると森の奥にある闇、その真っ黒な場所の先には妖怪達しか行けない不思議な街があり、
そこに街の主が帰ってきた時、深杜の長く降り続ける雨が一瞬だけ止むのだという。
そのような不気味な言い伝えから人の寄り付かない薄暗い森は、今日も今日とて鬱々とした気配を醸し出していた。
そんな森の奥の奥の最も奥に、誰が建てたのだかわからない鳥居がポツンとある。鳥居の向こう側は人1人飲み込みそうな丸い形の闇が広がっており、その傍らには大きな苔むした岩があった。
この岩は、案内岩と呼ばれるもので迷い込んだ旅人に「ここから先は危険だ」と伝えるための手段である。
その何年もあったように佇む岩の上に、ふわりと一輪、桜の花が舞い降りた。
かと思えば次の瞬間、絵にもかけないほど美しい桜吹雪が辺りを包む。しかしその桜吹雪は幻だったのか直ぐに消え去り、代わりに岩の上に1人の少女が現れた。
岩の上に座る形で現れた少女は、都の人間とは違う雰囲気を醸し出していた。嫌に白い肌も、毛先になるにつれ濃くなっていく薄ら紅の髪も彼女の容貌の異様さをはっきりとさせるものだった。
しとしとと降る雨が少女の髪を、頬を、たんぽぽ色の着物を濡らす。しかし少女は気にも止めずただ鳥居の合間から森を見つめていた。ずっと動かず、瞬きだけを繰り返し、森の一つの方向を見つめていた。
まるで誰かを待っているかのように。
半刻ほどたっただろうか、彼女の瞬きが止まった。そして何かを察知したかのようにゆったりと首を動かす。その視線の先にこの森では相当珍しい、人影があった。いや、よく見ると人ではない。
弁柄色の古臭い着物、似つかわしくない真白の羽織など美意識の欠片もない格好や、傘を持つ手、腰まである長い黒髪は確かに人間そっくりだが、その人影の男か女かもわからない顔の上、ちょうど額の辺りに二つほど人間にはないような突起があった。どうやらそれは見たところ角のようで、案の定その角が生えた人影は鬼だった。
鬼は真っ赤な瞳で少女を捉えるとゆるりとした動きで側まで寄る。
そして女の細い手を掴むと顔をしかめて
「冷たくなってるじゃねえか、一体どれだけここにいたんだ。」
と傘を女の方にもたげた。
手を掴まれた女は、眉一つ動かさずぽつりと
「貴方が遅いからだ。」
と呟いた。それは責めるでもなく、訴えるでもなく、ただ現状を機械的に報告するだけのものに聞こえた。
鬼はそんな少女にため息をつくと、
「伊桜、少しは自分の身体を大事にしろって言っただろ?毎回迎えなんていいから、寝てろよ。」
と傘を一旦細い手に預け着物の上の羽織を少女…もとい伊桜の肩にかけた。そしてもう一度、傘を受け取る。
伊桜は着物の襟を握ると赤く染まった頬を隠すように俯く。彼女の表情の些細な変化に鬼は笑みを深くした。まるで親が子どもを慈しむかのように。
「さぁて、小生達の街に帰ろう。爽生に留守を任せるとろくな事にならねぇからな。」
そう言って森の中のぽっかりと空いた穴を一瞥し、鬼は伊桜を抱えて岩から下ろすと、その腕を自分の傘を持った方の腕に絡めさせた。
伊桜もこれがいつものことなのかされるがまま腕を絡める。
そうして二つの影はゆっくりと闇の中に消えいき、後に残るのは暗闇も岩も、鳥居すらない普通の緑広がる風景だった。
もう雨も、降っていない。
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