星の黒猫
ララパステル
僕はここにいるよ
そこは、土と空しかない場所でした。鳥の声もありません。草木もありません。風の音もしません。
ただ昼と夜がぐるぐる回る。そんな場所。
そこに、黒猫のナーはいました。
たった一人で、とてもとても長い時間、ずーっと、いました。
いつからそこにいたのか、ナー自身にも分かりません。
遠い昔、ナーの仲間もいましたが、今はいません。
さびしいと思う気持ちも、ずっとずっと昔においてきました。
歩いたり、寝てみたり、ジャンプしてみたり。散歩の途中に変な形の石を拾ったり。そうやって繰り返す毎日。
唯一の楽しみは、空を眺めることでした。
空に浮かぶ、大きな青い星。それがナーのお気に入りでした。
ある時、夜空を眺めていると、見慣れない星が目に映りました。
黒い夜空を、右から左へと横切っていきます。
「流れ星だ」
そう思ったナーは、じっとそれを眺めました。すると、その星は少しずつ、大きくなっていきます。
そしてボールほどの大きさになると赤く光り始めました。ついには彼より大きくなり、音を立てて頭の上を通り過ぎました。
「にゃー!!!」
ナーは余りの驚きに声を上げました。
………
……
…ズドン!
音に遅れて、地面が大きく揺れました。
揺れが収まると、彼はそっと、流れ星が落ちた先を目指して歩き始めました。
彼の心は、久しぶりに、わくわくと好奇心で満ち溢れました。
流れ星を見つけた頃には、お日様も昇っていました。
星の周りは大きく凹んで、でこぼこでした。
足を取られないように、そっと近づきます。
鼻をクンクン。目をくりくり。ちょっとだけペロッとなめました。
すると突然、ぱっくりと星が割れました!
そしてそこからひょっこりと、長い長い首をした生き物が現れました。
前と後ろにひれが二つずつ、後ろにはしっぽが生えています。その姿はまるで、恐竜でした。
その姿に彼はびっくりして、尻尾を大きく振りました。
「やぁ、こんにちわ。私はネッシー。怖がらなくていいよ。君と話がしたくて、少し立ち寄っただけなんだ」
ネッシーは不思議な声で、ナーに話しかけました。頭の中に直接響くような、けれど、とても心地よい声でした。
「それにしても、ここは不思議だね。本当はこの星には空気はないけれど、ここにはある。それに君は猫に見える」
ネッシーの言葉に、ナーは「猫って?星って言うのは、空に浮いている星のこと?」と聞き返しました。ナー本人は、自分が黒猫なのを知りません。
「まず猫って言うのは、私が前に住んでいた星の住人さ。君によく似ているよ。次に、星についてだけど、うん、君の言う通りさ。遠くに見える小さな星も、本当はとっても大きいんだ。だから、君がいるこの場所も、遠くから見たら小さく見えるのさ」
それを聞いたナーは、なるほどと、うなづきました。
ナーには、聞きたい事がたくさんありました。だけど、何よりナーが聞きたかったことが、自然と口から出ていました。
「ネッシーは、どこから来たの?」
ネッシーは、空を見上げました。
「見えるかい?あの青い星から私は来たんだ」
ナーのお気に入りの星から、ネッシーは来た。それを聞いて、ナーはとても嬉しくなりました。
聞きたいこともいっぱい増えて、だけど、何から聞いていいかわかりません。
目の輝かせたナーを見て、ネッシーは言いました。
「あの星のことを聞いたいかい?」
こくりと、ナーはうなづきました。
「私はあの青い星の湖に住んでいたんだ。湖はいっぱいたまった大きな水たまりさ。湖から少ししずつ水が流れ出して川になる。川は流れて海につながっている。あの星の青い部分は全部水なんだ」
「海って?」
「湖よりももっと大きな水たまりさ。ただし、しょっぱいけどね」
ナーの胸はうずうずしました。もっと聞きたい、もっと知りたい…
それからしばらく、ナーとネッシーは話しました。海には魚がいること。ナーの何百倍もある大きなクジラという生き物がいること。寒い海は凍ってしまうこと。
聞けば聞くほど、ナーは「楽しそうなところだな」と思いました。そしてふと、疑問が浮かんだのです。
「ねぇ、ネッシーはどうしてここに来たの?あの青い星はすっごく楽しそうなのに」
「私はこれから自分の故郷に帰るんだ。ずっとずっと遠くさ」
「どうして帰るの?」
「それはね、私があの青い星で人間に捕まらないためさ。人間というのは、とても不思議な生き物でね。私ほど大きくはないけれど、頭が良くてすごく器用なんだ。いい人間もいれば、私を捕まえようとする人間もいる。捕まるのが嫌だから、私は故郷に帰るのさ」
そう言ったネッシーの瞳は、少しさびしそうでした。
「私にはね、人間の子供の友達もいたんだ。一緒にいろんな冒険をしたんだよ。背中に彼らを乗せて、いろんなところに行った。海の中のお城で冒険したり、海底の大きなタコから逃げたり、氷の上に住んでいるシロクマと遊んだり。だけど、いつまでも人間の子供とは遊んでいられないのさ」
「どうして?」
ナーには心底不思議でした。大事な友達がいるのなら、ずっと一緒にいたいはずだと思ったからです。
「人間はね、いつか大人になるんだ。大人になると、子供みたいに遊んではいられない。いつまでも、夢だけを見ているわけにはいかないんだ。友達だからこそ、私は離れなくちゃいけないんだ」
「さびしくないの?」
「さびしいさ。だけど、私と子どもたちが過ごした時間も、そして私と子どもたちが作った思い出も、私と子どもたちが育んだ気持も、なくならない。しっかりと胸の宝箱にしまって、子供達は大人になる。だから、私はさびしくても悲しくはないよ」
そう言って、ネッシーは笑いました。
「君こそ、どうしてここにいるんだい?」
ネッシーは、彼に聞きました。
「ずっとずっと前からここにいるよ。他のみんなもいたけど、今は僕だけ」
「そうかい。なら、私と来るかい?」
ネッシーは、彼に優しく笑いかけました。
ナーは少し悩むと、横に首を振りました。
「ありがとう。だけど、僕はここにいるよ」
ナーは、ネッシーの話を聞いて、もっと青い星のことを見ていたいと思ったのです。
さびしい気持ちは、ずっと昔においてきました。だから、つらくはありませんでした。
「わかった。なら、これを君にあげよう」
ネッシーは、彼に細長い筒を渡しました。
「これは望遠鏡と言ってね、覗くと、遠くまでよく見えるんだ。これなら、あの星を今よりずっと近くに見えるだろう」
ネッシーの言う通り、望遠鏡をのぞくと、ずっとずっと遠くに見えていた青い星が、すぐ近くに見えました。
「ありがとう!ネッシー!」
「お礼なんていいさ、私たちはもう友達じゃないか」
友達という言葉をすっかり忘れていたナーの耳に、その言葉は新鮮に聞こえました。そしてとても心地よく感じられました。
友達…そう思うと、少しだけ嬉しくなりました。
「それじゃ、また会う日まで」
ネッシーはそう言って、流れ星に乗って飛んで行きました。
残ったのは、ナー一人。一人ぼっちに戻りました。けれど、遠くに友達がいる。そう思うと、うれしく思えました。
・・・
それから何日過ぎたでしょうか。
ナーは、空を眺めて、青い星を見つめて…そんな日々を過ごしていました。
ただ前と違うのは青い星を見る時、少し胸が躍ること。そしてぼんやりと過ごす時間の中で、たまに目が潤むことだけです。
どうして目が潤むのか、彼には分りませんでした。
ぼんやり胸の内側に小さな穴があいている気がしていました。
「さびしいな」
ナーは、自然とつぶやいていました。そんな自分に驚きました。
ナーはネッシーと出会って、寂しさ思い出してしまったのです。
寂しさに気がついた時、ナーはネッシーに会わなければければよかったと思いました。けれどまた会いたいとも思いました。
心の中が波打ち、波になった涙が瞳からこぼれてしまいます。ナーは涙でにじむ星空を眺めました。
友達からもらった望遠鏡で、ただただ青い星を眺めます。
・・・
それから時間がたちました。ナーはまだ一人でした。
そんな変わり映えのないある晩のこと。
ナーがすやすやと眠っていると、そばでもぞもぞと何かが動く気配がしました。
ナーがゆっくりと目をあけると、そこには白い毛むくじゃらがいました。望遠鏡で覗いた青い星にいる、人間に似ていました。
「こんばんわ。俺はイエティ。ネッシーの友達だ」
ネッシーと聞いて、ナーは飛び起きました。
「どこ?ネッシーはどこにいるの?」
イエティに向かって、ナーは聞きました。
「ネッシーはもう故郷に帰った。君を心配していたから、俺が様子を見にきた」
それを聞いて、ナーのしっぽから力が抜けました。そんなナーを見て、イエティは「大丈夫か?」と心配しました。
「少しさびしかっただけ。大丈夫だよ」
「さびしいのか。そうか、なら俺が話し相手になってやる」
ぶっきらぼうな言い方でしたが、イエティの優しさをナーも感じました。
「本当!ありがとう」
ナーは嬉しくって、毛むくじゃらのイエティに飛びつきました。
「俺がいたのは、青い星の白い部分。雪と岩に囲まれた、山の上だった」
イエティはそう言って、青い星を指さしました。
「そこにも、人間はいたの?」
ナーがそう聞くと、イエティは「ほっほっほっ!」と大きく笑いました。
「あの青い星で、人間がいない所はあんまりない。人間は、毛がないのに寒い所にも平気で住む。変わってるだろ」
イエティは、自慢げにそのふかふかの毛を撫でていました。
「俺は、ずっと人間とかくれんぼをしていたんだ。結局、捕まらなかった!」
「捕まらないのに、ここまで来たの?かくれんぼなら、きっとイエティを人間は探しているよ」
「そうかもしれない。だけど、それでいい」
またイエティは笑いました。
「どうして?」
「俺が見つからなければ、人間は俺を探し続ける。それはそれで夢がある」
「夢?」
「そう、夢だ。果てしない夢だ。夢っていうのは大切なことだ。ああなりたい。こうなりたい。将来こうあったらいい。人間はいつか俺を捕まえると夢を見る。夢を見るから歩いていける。たとえゴールがなかったとしても、それはそれでいいんだ」
「そんなものかな?」
釈然としないナーでしたが、そういう考え方もあるのだと頷きました。
「それに心を持ってるみんなは、夢を叶える力がある。夢をかなえるのは誰でもない、自分。きっと人間は、いつか本当に俺を見つける。例え遠くの星に俺がいても。きっと見つける」
「遠くの星ってことは、イエティもあの青い星に帰るんじゃなくて、遠くに行くの?」
「あぁ、俺も故郷に行く」
ナーの心が、またずきりと痛みました。
そんなナーに、イエティは、「俺と一緒に行くか?」と声をかけました。
ナーは、すごく悩みました。長い長い沈黙の後、ナーは「ここに残るよ」そう言いました。
「どうしてだ?」
イエティは不思議そうに、ナーに聞きました。
「さびしいけど、僕は人間と話をしてみたい」
ナーははっきりと言いました。
ネッシーやイエティが、話してくれた人間。 どうしても彼らと話をしてみたいと、ナーは思いました。
「僕は、ネッシーやイエティと仲良くなれた。だからきっと、人間とも仲良くなれる」
そんなナーに、イエティはそっと小さな袋を手渡しました。
「これは?」
受け取ったナーは、クンクンと匂いをかぎました。優しい香りがしました。
「それは、種。中を見るといい、小さな粒が入っているだろう。それを地面にまいて、水をあげると緑の植物が育つんだ。あの青い星の緑は、それのおかげだ。青い星からナーのいるこの星は見てても、君は見えない。だから、いつか君があの星の人間や、動物と知り合いたいと思ったらまくと良い。きっとあの星の生き物も気が付いてくれる」
「本当かい!ありがとう」
「でも、これだけは忘れちゃいけない。あの星のには、いい人もいれば悪い人もいる。それは決して忘れちゃいけない」
そういったイエティは、とてもまっすぐで真剣でした。
ナーは、ゆっくりとうなづきました。
・・・
それから、数え切れないほど星が廻った頃。ナーの住んでいた星は緑に覆われていました。
土ばかりだった場所は、植物におおわれ、色とりどり花々が咲いています。
緑の星の真ん中には、色違いの草木で文字が書いてありました。
それは大きく、はるかに大きく、青い星からも見えるはずです。
「僕はここにいるよ」
ナーは待っていました。さびしさより、何より、ナーは人間と話せる未来を、夢見て待っていました。
星の黒猫 ララパステル @lalap
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