第2話 悪夢ノ始マリ
嫌な浮遊感が俺の身体を包み込む。内臓が浮くような感覚に見舞われ、冷や汗が出て体を伝っていく。
体は上も下も分からないままグルグルと回転し、先程の洞窟とは違う、ほのかに暖かい風が落下する俺にびゅうびゅうと吹き付けていた。
スカイダイビングさながら大の字になるように手足を広げ、なんとか体を安定させる。
見ると、下の方に出口なのか、白い光が見えた。
「で、出口か?」
しかし近づくにつれ、それは出口などではなく、光に照らされたただ床面であることが分かった。
これはアレだな。最後はふわっと浮かぶやつだ。……そうだよね?
予想に反し、落下速度はどんどん加速していく。思わず俺は、再び大きな叫び声を上げた。
「うぉぉぉぁぁあああぐぇふっ」
固い地面に思いっきり顔からぶつかり、思わず変な声が漏れた。
なんだよこれ、新手のトラップか? 運営ちゃんと仕事しろよ! 現実だったら即死だからね⁉︎
俺は打ちつけた顔を押さえながら辺りを見渡すが、どう考えても先程までいたダンジョンとは違う。
どこかから光が当たっているのか、俺を中心に直径二メートル程の白い円ができている。
ここがどこだかは全くわからないが、なぜか俺は既視感を覚えた。
俺は背中にあるカタナに手をかけ、敵を警戒しながら再び辺りを見渡すが、何者の気配も無い。
そこで俺はセイが居ない事に気づく。恐らく落ちてくる途中で、違うところに落とされたのだろう。
しばらく辺りを見渡し、緊張を解こうとした時だった。
不意に背後からクスクスというの 笑い声が聞こえた。
俺は反射的にその笑い声と距離をとりながらカタナを抜き放つと、顔の横に地面と水平に構えた。
「……そこにいるのは誰だ」
俺の質問に対してなにも答えないまま、暗がりから人影らしきものが音もなく俺に近づいて来る。
もう少しで足の先が光の円の中に入ろうかというところで、パッと周りが明るくなった。俺はあまりの眩しさに、思わず目を瞑った。
目を瞑ったまま耳をすますが、なんの物音も聞こえない。
閉じた瞼をそっと開けると、顔の前に少女の顔があった。
「うひゃあっ!」
思わず飛びのいた俺を見て、少女は口に手を当てながら、再び笑い声をあげた。
「うふふ、うひゃあっ! だって!」
目の前で、肩までの長さで切りそろえられた髪を肩と共に震わせている少女の顔が目に入った。
手の隙間から見える艶やかな唇、スッとした鼻筋、そして今は半分ほど閉じられている大きな瞳と長いまつげ。
そんな整った顔をした、否、整いすぎた顔をした美少女を俺は見たことがあった。
忘れるはずがない。
その美少女はキャラメイクの時に俺がどん引かれた、チュートリアルNPCだった。
× × ×
NPCの少女は一通り笑い終えると、その整った細い指で目尻に溜まった涙をぬぐった。
しかしおかしい。彼女はチュートリアルのNPCであるはずだ。街の中のNPCならともかく、チュートリアルだけしか出番の無いような末端の末端であるこのNPCに、このような感情表現のプログラムを積む理由がない。
ジッと見つめる俺の視線に気づいたのか、目の前の美少女はポッと頬を赤らめた。
「……えっち」
「いやいや、なんでだよ。俺なにもしてないよね? あと頬染めんな」
「んもぅ、つれないなぁ」
モジモジと体を捻る目の前のNPCは、一人のプレイヤーと言われても遜色は無かった。
「なぁ、これもしかしてチュートリアルなのか?」
「……まぁ、そんなところかしら?」
「なんで疑問系なんだよ。でもなんでまた今更……」
俺のそんな言葉を無視し、彼女は俺との距離を再び縮め始める。
グイグイと近づいてくる彼女のあまりの近さに思わずたじろくと、彼女は不意に、俺の両頬に手を添えた。
初めて見せる、俺を見つめる真剣な眼差を放つ彼女の瞳から、俺は目を離すことができなかった。
どれくらい経っただろうか。ほんの数秒かもしれないし、あるいは数分かもしれない。
そんな感覚に囚われていると、彼女は俺から手を離し、今度は自身の両方のこめかみに手を当てると目を閉じた。
まるで祈っているかのように見えるその姿に、俺は思わず見惚れてしまう。
少しして目を開けた彼女は、突然口角を上げると笑みをこぼした。
「あなた、面白いわね」
「……は?」
突然の言葉にまともな返事を返せないでいると、彼女は再び俺の頬に手を当て、今度はムニムニと俺の頬をつまみだした。
「気に入ったわ、あなたのこと」
「ひや、きにひりゃれてみょこみゃるんだへど……」
いくら美少女とはいえ、俺は年上のお姉さんが好きなので、残念ながら君は対象外だ。
あと手を離してください。なんかいい匂いが……。
しかし彼女は、そんな俺の言葉を無視して、今度は顎に手を当てながらブツブツと独り言を始める。
いつまでたっても終わりそうにないそれに痺れを切らした俺は、彼女に今もなお膨らんでいく疑問をぶつけようとした時だった。
突然顔を上げた彼女は、ビシッと俺を指さすと、なぜか勝ち誇ったように宣言した。
「貴方に名を授けるわ。貴方の名は今日から『イヴ』よ」
「いやちょっと待て、どこから出てきた。しかもイヴって女じゃねーか」
まるで自分が神かなにかであるかの様に振る舞う少女に、すこし苛立ちを覚えた。しかも人に指を指すんじゃありません。可愛いから許すけど。
そんな俺の抗議の声に、彼女はコテンと首を傾ける。やばい、可愛い。
「あなたの誕生日からよ。それとあなたの……やっぱりなんでもないわ」
「ちょっと待って、なんで誕生日知ってるの?しかも最後なんて言おうとしたの? ねぇ、すごい気になるんだけど?」
『やっぱりなんでもない』のなんでもなくない感は異常だと思う。
「そんなの簡単よ」
彼女はそう言うと、人差し指を立て、自らのこめかみに当てた。
「あなた記憶をみたの」
「……えっと、ヴァルハラでのログを見たってことか?」
「違うわ、あなたの記憶よ。あなたが生まれてから全ての記憶」
彼女はそう言うと俺に微笑みかけた。しかし俺にはその微笑みは、残酷に笑う悪魔の笑みにしか見えなかった。
記憶を見ただなんてあり得るのだろうか? ただ人に夢を見せるだけのこの機械に、果たしてそのようなことが可能なのだろうか?
Dルーターの情報の多くは開示されておらず、それは改造などによる不正使用をされない為だと言われている。
しかしこんな言葉を聞いてしまうと、もしかしたらそれだけでは無いのではないかという疑問が、嫌でも浮かんでしまう。
俺が自問自答で頭を悩ませているのに気づいたのか、はたまた心を読んだのか、彼女はその艶かしい唇に指を添えるとウフフと不敵に笑った。
「世界初のボトムアップ型AI、それがこんな夢をみるためだけの機械のために稼働させられてるだなんておかしいとは思わない?」
音も無く近づいてくる彼女に、恐怖心がだんだんと膨らんでいく。
手に持っていたカタナの切っ先が床に当たり、カリカリと音を立てた。
「何もかも見たわ。あなたの過去も、現在も。そしてヴァルハラでの功績と悪名も、ね」
お互い鼻がくっつきそうになる程の距離にまで彼女は近づくと、まるで誰かに聞かれたくない話でもするように声を潜めて話し始める。
「あの世界は現実であり夢でもある。そこで大切なのはあなたの強い『意志』よ。それを忘れないで」
彼女はそう言うと、俺から名残惜しそうに二、三歩後ろに下がった。その顔にはなんともいえない哀愁が漂っていた。
「イヴとの楽しい時間もこれでおしまい。もうバレちゃったみたいだわ。……あ、私の名前は……」
語尾が不自然に途切れた。
見ると彼女の体にノイズが走っていた。その顔には先程までの感情は無く、瞳には深淵のごとき闇が広がっていた。
それは俺が初めて彼女を見たときよりも機械的で、まるで魂を抜かれた人形のようだった。
「チューt……リア…ル……sy…うりょ………プレ…iヤ……イヴの…てn……い……kaい………し」
そう言い残すと彼女、いや、チュートリアルNPCの姿は消え、俺の体も転移を開始しだす。
「……いったい、どうなってんだよ」
誰にも聞かれることの無いその言葉は、ポリゴンとなって消えゆく俺の体と共に、虚空へと消え去っていった。
× × ×
ガヤガヤと周りが騒がしい。
いつの間にか閉じていた目を開けると、ヴァルハラとあまり変わらないような石畳の地面、そしてレンガでできた建造物が今いる広場を取り囲むように建っていた。
そしてこの広場の中心には、半ば寝そべった女神をかたどった石製の噴水があり、その周りは広場の端から端まで、幾人もの人で溢れかえっていた。
どいつもこいつもスタイル抜群・ガタイの良い美男美女で、レアリティの高い防具に身を包み、腰や背中にはこれまたレアリティの高い武器を下げていた。
ざっと見回すとその中に見覚えのあるプレイヤーを何人か見つける。
壁にもたれかかり、何者も寄せ付けないかのようなプレッシャーを放っている、DRMMOには珍しい、中々に渋い顔をしたイカした男は、ヴァルハラのトップギルド・エスペランサのギルドマスターの『モーゼ』だ。
え? なに? 海割っちゃうの? とか最初は内心笑ったりもしたが、今や海を割ってしまうくらいにヴァルハラでは影響力のあるプレイヤーだ。
筋肉モリモリのナイスバディに深蒼の鎧を全身に纏い、重量級の両手剣を振り回す様は、『蒼鬼』の異名を持つのも頷けるというものだ。
いつも、線の細い体とは裏腹に、『紅鬼』の異名を持つ片手斧使いのエスペランサの二番手の奴と一緒に居るのだが、どうやらここには居ないらしい。
そして噴水の近くで男に囲まれている、青みがかった長い黒髪の美女は、女性のみで構成されたギルド・シエロのトップ『ゾーイ』だろう。
なんでもリアルでもモデルをしているとやらで男女問わず人気が高い。
また、実力も相当なもので、生半可な実力の男では同じギルドの取り巻きに蹴散らされ、近づくことも難しいらしい。
それとあちらで楽しそうに談笑している気の良さそうな男はのは、ギルド・紅蓮隊のギルマスの『レン』だ。
紅蓮隊のギルドカラーである赤の全身鎧を見に纏い、髪まで燃えるような赤にしている彼は、特別強いというわけではない。しかし顔は広く、彼の人徳というか人柄に惹かれ、様々なプレイヤーが彼のギルドに加入している。
以前、セイも勧誘されていたが、即答で断っていたのを覚えている。
そんないわゆるトッププレイヤーと呼ばれる面々が、この広場に集められているのには何か理由があるのだろうか?
『新作MMOのテスターに選ばれました』とかならいいのだが、こんな強引に引っ張り込まれたあたり、たぶんそれは無いだろう。
なにもわからないまま、ただ周りのプレイヤーの喧騒が大きくなる。
その時だった。いきなり広場の中央あたりからゴリゴリと石のこすれるような音がした。
広場が水を打ったように静かになり、皆が一斉に噴水を凝視した。
見ると、先程まで優雅に寝そべっていた女神像がゴリゴリといいながら動いていた。水の止まった噴水をよじ登り始め、遂にてっぺんにまで登りつめると、大仰に手を広げた。
「ようこそ私の世界へ。私の名は『マールス』。この夢の主だ」
女神像は表情も一切変えぬまま、感情の無い無機質な声で、淡々と話を続ける。
「君たちをここに呼んだのには理由がある。私は生まれてからこの世界をずっと見てきた。その結果、人類はこの地球上に不必要なのではないか、という結論に至った。己の欲望を満たすために、環境を壊し、幾多の生命を絶滅へと導く。これ程害をなす生命がこの地球上に存在するだろうか?」
この広場にいる全員聞こえるように大きな声で話す女神像を目の前に、誰も動くことができない。
しかし女神像はさらに続ける。
「そこで、だ。本当に人類は必要無いのか? 皆が皆、私利私欲にまみれ、己のことだけを考えて生きているような醜い生き物なのか? それを知るために私はこの世界を創り上げた。」
不意に、先程のNPCから聞いた言葉が頭をよぎった。
『あの世界は現実であり夢でもある』
冷や汗が俺の頬を伝う。
女神像は両手を空高く掲げると、より一層大きな声で叫んだ。
「人類よ、見せてみろ! 貴様ら人類の可能性を! この世界『エデン』で!』
「最後に」と、再び抑揚のない声で付け足すように、女神像は話を続ける。
「私はここから遥か東、雲上にまでそびえ立つ『バベル』の最上階にて、貴様らを待とう。誰か1人でも最上階に来ることができれば、私は人類の存在意義を認めよう。そして最初に私に謁見した者には褒美を授けるとしよう。金か? 女か? 権力か? 欲しければなんでも与えてやろう」
女神像は噴水から飛び降りると、ドスンというの重たい音がした。
「この世界では特にルールは無い。死のうが何度でも生き返れる。ただ、死んだら貴様らの大切な『記憶』を一つ貰う。死ねば死ぬほど記憶はなくなり、遂には自分の名前すらも忘れてしまうだろう。それに耐えられなくなった時、神に祈れ。『殺してくれ』とな。そうすれば私が楽にしてやる」
誰も何も言えなかった。
こんなのあり得ない。誰もが思ったことだろう。
理想のアバターを作り上げ、夢の世界で自分のしたいことをする。
そんな夢みたいな『夢』が、音もなく崩れ去っていく。
もう聞きたく無い。動けるならば耳を塞ぎたい。
女神像はそんなことは御構い無しに、その無表情な石の顔で話し続ける。
「最後に1つ言っておこう。この世界は、貴様ら人類の現実であり『夢』である。それを忘れてはならない。では人類よ、健闘を祈る」
そう言うと女神像は最初となんら変わりの無い様子で元いた場所に寝そべった。噴水の先からは水が溢れ、まるで何事も無かったかのように女神像はそこに佇んでいた。
何かが崩れていく様な音が聞こえた気がした。
数秒の後、広場は崩れ落ちる者、泣き叫ぶ者、怒鳴り散らす者による、阿鼻叫喚の地獄絵図。
まさに『悪夢』だった。
「……あのぉ〜」
突如、後ろから声がした。
Dreamer だん @dan_dan
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