【エンドロール】やさしい世界のはじめかた


 空に浮かぶ綿雲を掴むように手を伸ばしてみると、ヒラヒラと舞っていた蝶が指先で羽を休め、そしてまたどこかへ飛んでいった。


 寝転がって見上げる空は果てしなく広く、青い。

 青々とした若葉と土の懐かしい匂いを、南の風が運んでくる。

 

 鳥たちのさえずりを聞きながら、キラリは上半身を起こした。

 少し伸びた黒髪を気にしながら、不思議な色の光瞳を細めて辺りを見回す。


「ふぁ……!」


 どうやら小高い丘の上で、寝てしまったらしい。


 眠い目をこすりながら遥か向こうを眺めると、ベイラ・リュウガインの堅牢な城壁に囲まれた町並みが見渡せた。


 キラリのいる小高い丘の上から見下ろす景色は、すっかり様相が変わっていた。

 2ヶ月前まで、血の匂いと瘴気に満ちていた地には平穏が訪れていた。


 恐ろしい怪物達の軍勢に蹂躙され、陥落寸前だったこの街を救ったのがまるで昨日の事のように思い出せる。人の屍で覆われてた大地と鉛色の重苦しい雲、それらがまるで嘘のように変わっている。


 手前には鮮やかな若草色の絨毯のように麦畑が広がり、その間を縫うようにして小川が流れ、細い農道を牛車がのんびりと荷を引いている。


 世界は、めまぐるしく変わり始めていた。


 踏み荒らされ枯れ果てたと思われていた麦は、驚くべき生命力で再び青々とした芽を出すと、ぐんぐん伸びはじめた。

 収穫量は半減するだろうが、それでも人々にとって大きな希望となった。


「……キラリ?」


 傍らで同じように寝ていたミュウが目を覚ました。

 青い目を眠そうにこすりながら身を起こし、小さなあくびをする。


「ミュウ」

「ん?」

「ついてる」


 手を伸ばし、頭についていた草の葉をとってやると、ミュウはキラリの手を捕まえて、頬にそっと押し付けた。

 肩まで伸びた緋色の髪を風が優しく揺らす。


「ありがと、キラリ」


 静かだが、はっきりとした口調でミュウが言った。

 毎晩のようにふたりで勉強しているので、ミュウは徐々に言葉を話せるようになっていた。

 元々言葉を覚えられなかったのではなく、発声ができないだけだったので訓練でそこはカバーできた。

 やがて疲れると二人で眠りエネルギーを養った。


 キラリとミュウは、しばらく寄り添うように座ってぼんやりと空を眺めていた。こんな穏やかで満ち足りた時間が来るなんて、考えても見なかったことだ。


 キラリとミュウのいる小高い丘から見下ろす近くの畑では、農夫が畑を耕していた。

 そのすぐ近くには「キラリ洗礼・・」を受けた豚人間オークが二匹、農作業を手伝っているのが見えた。


「ぷぎ!」

「ぷぎー」

 見つけたミミズを取り合って食べていると、近くの農夫に「そんなもん食ってサボるなや!」と苦笑混じりに怒られた。

「ぷぎ」

 素直に従う様子は、かつての恐ろしい姿とはまるで重ならない。


 体の大きさは人間よりも小さく縮み、豚顔で腹がぽっこりと出ていてボロ布を巻いている以外は、人間と変わらないように見えた。

 彼らは労働と祈りで罪を償いながら、僅かなイモと野菜を得て暮らしている。

 キラリの洗礼、つまりは体内のドロップスの無毒化処置・・・・・を受けて、元の無害な豚人間オークに戻れる確率は僅か0.1%。千匹に1、2匹にすぎない。

 人々は最初、元に戻った豚人間さえも親兄弟の敵とばかりに殺してしまった。

 だが今は、キラリがベイラの神聖教会に働きかけて、そうした行為は止めさせることにした。千分の一、万分の一の奇跡で、光に許された命として許すべきだと訴えたのだ。


 今や、生ける救世主・・・となったキラリの言葉は、重い。


 と――。


 二頭の馬に乗った二人の人物が近づいてきた。正確には二人プラス、クラゲっぽい何かだ。


 キラリを見つけた黒い馬が、ぶひゅるると嬉しそうにいなないた。すっかり傷も癒え元気になったウーマくんと、もう一頭はあの時一緒だった牝馬だ。


「キラリ、こにいたか!」

「ずるいよキミたちだけでイイコトしようだなんて」


「ボクを置いていくなんて酷いップル!」


 蒼髪の女戦士アークリート、そして金髪が美しい錬金博士のリーナカインだ。カインの肩にへばりついているのは水色クラゲのホイップルだ。


「みんな! ミュウと散歩してたら疲れて昼寝してただけだよ。っていうか、……よくここがわかったね?」


 キラリは喜びと驚きの表情を浮かべつつ、僅かに小首をかしげた。


「ふふん、キミに支給された制服! そのバッチの裏に……ドロップス同調感応発信石シンクロナイザを仕込んでおいたのさ! 試作品だけどね」


 キラリは支給された青い色の制服を身に着けていた。光の天使になるときにいちいちバラバラになるので、すぐに脱いでまた装着できるように改良された特別製の衣服だった。

 デザインは教会の司祭と戦士、そして錬金博士の制服を混ぜたような独特のものだ。


「うそ!? 首輪をつけてるってこと!?」

 キラリが慌てて制服のローブの止め具を裏返すと、青い宝石が輝いていた。

 

 原子転換魔石・・・・・・通称、トランジット・ドロップス。


 キラリの放った光により、豚人間のドロップスが無害化されたことをヒントに、リーナカインとベイラ・リュウガインの生き残りの錬金術師達が作り出した無毒・・化ドロップスだ。

 キラリの「洗礼」すなわちビーム照射という力を借りねば作り出すことは出来ないが、世界に安定的に存在しうる元素に核転換することで、安定化させて毒性を失わせたものだ。


 そして、これには実に驚くべき性質が秘められていた。


 ある種の刺激を与えることで、エネルギーを放出することが分ったのだ。


 信号とは即ち、熱や圧力あるいは特殊な波長の音波・・など。

 まだ十分に解明されてはいないが、ある種の言語・・で刺激を与えることで共鳴し、放出したエネルギーの性質さえも操作できる。


 分りやすくいえば……炎や、氷、あるいは光など、物理事象を励起できるのだ。


 それはまさに「魔法」の原点のようなものだと考えてもいい。


「キラリに仕込んだ通信魔石はね、トランジット・ドロップスの研究を進めていた過程で出来た副産物よ。遠く離れた二つの石を共鳴させて通信を行える可能性があるんだ」


 カインはそう言うと「ふぁ……!」と、あくびをしながら背伸びをした。

 ここのところ毎日研究研究で、かなりお疲れのようだ。


「遠隔通信の可能性ってことか……」

「魔法みたいでしょ?」

 カインがキラリの表情を覗き込む。キラリも興味ありげだ。


「錬金術師が魔法の研究にお熱っプル。おかげで……ボクまで調べられたっプル」

 プルがやれやれと肩(?)をすくめる。


 錬金術は金属加工や化学反応など、いわゆる化学の基礎のような学問だ。『魔法』となればこの世界においてさえ幻想文学の範疇にすぎなかったはずだ。

 それも、偉大なる種族が暴れ周り、キラリという異界から着た「天使」が彼らから人間を守るべく戦いを繰り広げるまでは。今やその力が対抗する手段になりうるのではないか、という一歩手前まで来ているのだ。


「プル自体が魔法の生き物なんじゃないかって皆が言い出してね。今までなんで気がつかなかったんだろう?」

「うむ、確かに」

「そ、そんなことどうでもいいっプルー!」

 顔を赤くしてくるりと背を向けるホイップルの背中には、チャックのようなものが見えた。……単なる模様だと思いたい。


「今は魔法そっちの研究が盛り上がり始めて、毎晩徹夜で議論と研究……。もし実用化で出来たら、おとぎ話みたいな『魔法使い』がほんとに出来ちゃうかもしれないしね」

 いよいよカインは眠そうだ。


「それが戦局を左右するのだ……! というやつね」

「そゆこと」


 キラリがマネをしたのは、ベイラ・リュウガインの将軍の口癖だ。

 カインが良き理解者である年下のキラリの言葉をきいて、満足げに頷いた。


「うむ、キラリとカインのおかげで、ベイラの軍は負け無しさ」


 アークリートが誇らしげにいう。


「うん、けど……毒化ポイズンドロップスの量産化・・・はなんとか軌道に乗ったとはいえ、まだ300本の剣、そして4000本の矢にしか装備されていないの」


 カインが発見した「毒化ドロップス」技術は、兵士達が凶暴な敵と対峙する上で、決定的な切り札となりえるものだった。

 剣に装着しドロップス共振を起こさせることで、敵に致命傷を負わせられるのだ。


「300本もあれば十分だろう。最初は3本の矢しかなかったんだからな」

「そうね」

 アークとカインは優しい目線を交し合う。


 アンチ偉大なる種族イア・ルーク兵装が実用化されたのも、リーナカインがこの国にもららした知識のおかげだった。

 ブグルント将軍率いる遠征開放軍・・・・・は港町ヒンディル・ブリークまでをこの二ヶ月の間に開放に成功、5万人もの人間を救ったのだ。


「将軍さんの軍は士気が高いうえに対抗しうる新装備もある。それに……キラリの加護があるからね」

「まぁ空からビームを撃つだけの、簡単なお仕事だけどね」


 アークの言葉にキラリが苦笑する。

 それは以前と変わらぬ、普通の少年の笑顔だった。


「てかさ、今月だけで遠征3回だよ!? いい加減休ませてよ……」


 ゴロリと草原に再び横になるキラリ。


「天使でも疲労するんだな」

「するよ! てか天使ってのやめてくんない?」

「はいはい」


「というわけで、今日はみんなでお休みっプルね!」

「そうなんんだが、何をしていいかわからなくて……」


 アークは昨日から始めての「休日」を貰っていた。

 とはいえ、傭兵としての鍛錬・・以外、何をすればいいか分らないというアークを、カインは女の子らしい服に着替えさせ連れ出したらしい。


「休むときは徹底的にグダグダすればいいップル!」

 そう言うとプルはウーマ君の背中で本当に溶けたようにグッタリと形を崩した。クラゲ姿が緊張感のある姿だったとは、キラリも知らなかった。


「じゃ、私も……」

 街娘のような平服姿のアークリートは笑顔を浮かべると、馬をさっと下りて丘の上へと静かに立った。

 下ろした紺色の長い髪が、ふわりと風に流れる。


 アークリートと出会ってから「甲冑と剣と巨大な弓」という印象しかなかったが、始めての可愛らしい女子姿にキラリはドキリとした。


「なんだか……奇麗だね」

 思わず言ってからキラリがハッと赤面する。


「……えっ!? あっ! 花、花だな!? 花が……こんなに」

 けれど、それ以上に赤面したのはアークリートの方だった。


 丘の上、一面に咲き誇っていたそこで初めてアークの顔がほころぶ。


「そうだねアーク。この丘はベイラの街からも見えていて気になっていたんだ。一面に花が咲いて絨毯のようだったからね」

 リーナカインも馬を下りて、甘い香りのする空気を吸い込む。


 同じような年頃の女の子のような服装。ドレスのようなフリルの付いたものを着ている。黄金色にエメラルドグリーンの瞳が、何故だかこの景色に良く似合っていた。


 アークとカインの言うとおり、丘の上には黄色やピンクの花が咲き乱れ風に揺れていた。


 同じ「休日」を貰ったキラリとミュウも、この景色に引き寄せられて足を運んだのだ。


「アーク、花冠つくってあげるよ」

「え!? い、いや……恥ずかしい」

「いいからいいから」

 カインとアークはきゃっきゃと笑いながら、花冠をつくりはじめた。


「キラリにも、作ってあげる」

 ミュウもそれを見て見よう見真似で作り始める。


「いや、それ普通は女の子にあげるものでしょ」

 笑いながらキラリは、近くに咲いていた花に手を伸ばした。


 けれど、花弁に触れたところで手を止める。


 綿雲の白さに目を奪われたキラリは、風に誘われるまま目線を転じた。

 そこには仲間達の笑顔と、色彩を取り戻した美しい世界が、どこまでも広がっていた。



<了>

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キラリ! 粒子ビーム少年の異世界解放戦線! たまり @tamarishowyu3000

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