【29話】僕たちの解放戦線

 キラリは白い翼をふわりと羽ばたかせながら、ベイラ・リュウガインを囲む城壁の上へと舞い降りた。


「う、うぉお!?」

「てっ……天使!」


 キラリが天使のように降り立つと、今まで拍手と歓声を送っていた兵士たちも、慌てて逃げるように距離をとり後ずさった。

 神々しいまでの「力」を目にしては、逃げ腰になるのは仕方の無いことだろう。


 街をぐるりと囲う城壁の上は、幅2メートル程度の道になっている。兵士たちはここから矢を放ち石を投げ、押し寄せる豚人間オークの群れと戦い続けていたのだ。


 腰を抜かす者、口と目を開けて遠巻きに眺める兵士達を掻き分けて、元気のいい少女達の声が近づいてきた。


「ちょっ、どいて! どいて!」

「すまん! 通してくれ!」


 蒼髪を束ねたアークリートを先頭にリーナカイン、そしてプルを抱いたミュウが、白い翼を生やした天使の元へと駆け寄ってゆく。


「――キラリ!」

「キラリッ!」

「勝ったっプルー!」


「ミュウ! アーク! カイン! それにプルも……よかった!」


 キラリはホッとした笑みを浮かべた。駆け寄った三人はそのまま抱きつこうとしたが、リーナカインが直前で待て待て! と静止する。


「ちょっとまって、触れても平気!?」

「あ、……そか」


 ビームジャケットは人間には何も無害なのだが、化け物を消滅させる力を目にした後では、警戒するのも無理はない。


 キラリはビームジャケットを解除する。

 背中の羽は白い光の粒子になって霧散し、身体を包んでいた白い光も消えてゆく。


 と……、


「えっ……裸!?」


 ハッ! とキラリが前を隠す。光のパワーで覚醒した瞬間、服が吹き飛んでいたのを忘れていた。解除したからといって元に戻る都合のいい道理は無いらしい。


「キラリ! 見えてる! 見えてるぞ!?」

「ほぅ、ぅほぉおおお!?」


 アークリートは赤面しつつも指の隙間から覗き、リーナカインは満面の笑みを浮かべて堂々と正面からガン見している。


「服! 誰か服っ!」

 キラリが細い身体をくねらせながら前を隠し、顔を真っ赤にして訴える。


 不思議そうに小首をかしげていたミュウは「んっ!」と、何かひらめいたように手をポンと打ち鳴らすと、おもむろにパンツを脱ぎ始めた。


「わ――!? 誰かミュウを止めて!?」


 脱ぎたてのホットパンツをキラリに渡すつもりだったのだろうが、膝下までずり下ろしたところでアークリートが慌てて止めに入る。

「こんなとこで脱いだら汚らわしい男が劣情をだな……!」

「んー?」

「なんでもいいから服ちょうだい!」

 生まれたての子鹿のような状態でキラリが叫ぶ。

「あ……あの、これ」

 ドタバタを唖然と眺めていた兵士の一人が、見かねて見張り用ポンチョを差し出してくれたので、キラリはようやくひと心地ついた。全裸にマントだが無いよりはいい。


「――この上か!?」


 ガシャガシャと武具の音を響かせながら、キラリたちのいる壁の上に繋がる塔の階段を昇ってくる気配がした。

 姿を見せたのは青と黒のローブに身を包んだ壮年の紳士だった。将校が着る制服と基本は同じだが、勲章や装飾が多めに施されている。

 兵士達が背筋を伸ばし敬礼をする。


 都市国家ベイラ・リュウガインの実質的な首長であるブレーゲンス大公、その人だった。


「君が……さっきの光の少年か?」


 にわかには信じられないという顔でキラリに近づく。あまりにも普通で華奢な少年を目の当たりにして目を見開いたが、すぐに天使・・だと確信し一礼をする。


「あ、あの……」

 戸惑うキラリに変わり、ずいっと前に出たのは、錬金博士の服装に身を包んだリーナカインだった。

 隣国ヒールブリューヘン支給の物だが、それでも権威の象徴として他国でも通用する。


「私たちは亡命を希望します。そして……共に戦いたい。光の少年……ううん。キラリの力を見たでしょう? 私たちには対抗しうる『力』がある。それだけじゃない、連中の弱点も対抗手段も知っている」


「な、なんと申された!?」


 大公の横に居た大臣が驚きの声を上げる。


「対抗手段。彼ら『偉大なる種族』を倒す方法です。私の知識があれば、一般の兵士でも十分に対抗しうる力を持てるのです」


「それを提供すると申されるのか……、そしてキラリ君も……わが国に亡命と……」

「はい。ですが、まずは身の安全を保証すると約束してください。彼女たちも」


 アークリートとミュウにも目線を向ける。

 リーナカインは臆することもなく、毅然と言い放った。

 付き人の将校と、大臣らしい中年男性が顔を見合わせて頷くと、兵士達がざわめいた。


 ブレーゲンス大公はキラリにリーナカイン、そしてアークリートとミュウへと順に目線を向けた。

 だが、ブレーゲンツは精悍な顔に、僅かな迷いを浮かべて口を開いた。


「安全……か。消えて久しいものだが……」


 食料も底を尽きかけている。周囲の3割の豚人間をキラリが吹き飛ばしても街の周囲に敵は溢れている。


「私たちと一緒なら取り返せます。人間の……世界を」


「……! わかった。約束しよう」


 リーナカインの聡明にして淀みない姿勢に、ブレーゲンツ大公は心打たれたかのように表情を緩めた。


「キラリ君は、神の御使いかと思っていたが……、人間なのだな?」


 ブレーゲンツ大公が歩みよる。

 その瞳には興味と驚きが浮かんでいる。ブロンズの髪を後ろに撫で付けた体格のいい王は、鳶色の澄んだ目をしていた。

 キラリは銀河のような光を帯びた瞳を、ブレーゲンツ大公に向けた。


 覚醒したことにより、キラリの瞳には特別な力が宿っていた。

 遠くを、そして未来・・真実・・を見通す力が。


 目の前の男は国民と国を守ろうという一心で戦い続けてきた信頼の置ける人物だ……と、キラリは感じ取った。


「もちろん人間です。あなた達と同じ」

 キラリはそこで、意を決したように言葉を継ぎ足す。

 少年キラリの深遠な輝きを持つ瞳に、ブレーゲンツは魅せられていた。


「お尋ねします王様、この国に奴隷はいるのですか?」

「キラリ……!?」

 突然の言葉にカインが思わず振り返る。


「奴隷……じゃと?」

 ブレーゲンツ大公は僅かに眉根を寄せた。 


「はい。僕とミュウは……はじめ奴隷としてある村で扱われました。途中、他にもそういった人たちを見ました。村人の代わりにと、豚たちに……差し出されるためだけに買われたりした人たちです」


 キラリははっきりとした声で告げた。

 ミュウや自分がこの世界に来て最初に受けた仕打ちを忘れたわけではなかった。それは、豚人間オークとやっていることは何も変わらない。


 もし、この国も同じような事をしているのなら、救う価値は無い。

 そんな風にキラリは考えていた。


「わがベイラ・リュウガインは勿論、隣国ヒールブリューヘンでも奴隷制度は30年も前に廃止されておる。そのような辛い仕打ちを見たとなれば……国が滅び、人心も乱れたからじゃろう、惨いことじゃ」


 大公は深い皺の刻まれた顔に憂いを浮かべた。


「では……! もし奴隷として扱われる人を見つけたら救うと約束してくれますか?」

「無論じゃ。約束しよう。やはり……君は、天使と同じであったな」

「天……使?」


 ブレーゲンツ大公は目を細めキラリを眺めると、口元に笑みを浮かべる。そして、


「ワシは人類の解放の為に戦うことをここに誓う! そして歓迎しよう! 勇敢なる……英雄達を!」


 どおおおお! と周囲の兵士達から歓声と気勢があがる。

 リーナカインとアークリートがホッとした様子で顔を見合わせると、互いの指をそっと絡めて微笑んだ。


「――我らが危機を救ってくれた天からの使い! 英雄たちは我らベイラ・リュウガインと共にあるぞ!」


「お、おぉおおおおおおおおおおお!」


 兵士達が沸き立った。

 空の暗雲は晴れ、辺りには暖かな日差しが降り注いでいた。


 豚人間オークを主力とする亜人たちは、統率もなく散り散りに遁走を始めていた。


『ぴぎぃ?』

『ぷぎー?』 

 気がつくと、キラリにドロップスだけを破壊された豚人間オークの何匹かはヨロヨロと立ち上がり、辺りをキョロキョロと見回しては、怯えたように逃げ始めた。身体は小さく縮み、まるでおとぎ話に出てくるような姿で。


「見よ、我等が気勢にきゃつらめも尻尾を巻いて逃げ出しおったわ」


 どっと笑いが起こる。

 おそらく兵士達にとっては数ヶ月ぶりの、笑顔だったに違いない。


 キラリもようやく辿り着いた地に、こんなにも大勢の人間が残っていたことに、希望を見出していた。


「これで……ひとまずは大丈夫っプルね!」

「うん!」


 ホイップルの焼け爛れていた半身は、自己修復されつつあるようだ。空中にフワリと浮かびキラリの頭上に座る。


 キラリはホイップルにだけ聞こえるような声でささやいた。


「プルは知ってたの?」

「何をっプル?」


 青いクラゲはキラリが何を言っているか察しかねたようだ。

 キラリは無言でそのまま目線を空へと向ける。


 青空の向こう、遥か上空――。


 人間の目ではもちろん、ホイップルにさえ捉えられない遥か宇宙空間・・・・、衛星軌道を越えた場所。

 

 月と星の重力が釣り合うラグランジュ点に「それ」は居た。


 直径1キロメートルにも及ぶ魔石――超巨大ドロップス。

 幾重にも歪曲空間を重ねて結界を張り、闇に浮かぶ悪魔の目玉のように赤黒い脈動を繰り返している。


 それは自らの破片を散らしながら、世界の歪みをもたらす元凶・・だ。


「……キラリ?」

「ううん。いいんだ、今はまだ……大丈夫」


 それが降ってくるのは、おそらく数百年、あるいは千年も先の未来のことだろう。


 キラリは銀河色の瞳で遥か未来を見通そうと試みる。けれど、未来は曖昧に揺らぎ、見ることは適わなかった。


「……ねぇプル、一つ聞いていい?」

「なにっプル?」


「この世界に、僕とミュウの居場所はある?」

「なんでそんな事を聞くップル?」


 キラリはホイップルに優しい瞳を向けた。神の端末だったはずの擬似クラゲは、神と呼ばれた存在との接続コネクトが途切れていた。


 それが何を意味するのか、キラリにはわからなかった。


 ただ一つ言える事。プルはおそらく「開放された」のだということだ。


 宇宙衝突という次元を超えた災厄に見舞われたこの世界では、ドロップスもキラリ自身も一つの「波」なのだ。

 歪め破壊しようとする力と、元に戻そうとする応力。

 振幅が大きく揺れれば、その分対抗する力も大きくなる。


 おそらく、自分はそういうものなのだろうと――なんとなく漠然とだが――キラリは心のどこかで感じていた。


「これから……見つけていけばいいよね」

「変なキラリップルね」

「うるさいな!」

「いたいプル!」


 むぎゅーとひっぱるとプルンとするプルに、思わず笑みがこぼれた。


 長く苦しい戦いはこれからも続くだろう。

 戦いは世代を超え、数世紀にも渡って続くのかもしれない。


「おーいキラリ! とりあえず食事がもらえるぞ! その後は会議と会議と……いろいろ忙しいぞ!」


 向こうでカインが手を振ってキラリを呼んでいた。

 プルにミュウ、アークリートにリーナカイン。

 気がつけば多くの仲間に囲まれていた。ささやかだけど今はここが自分の居場所なのかも知れないと、そんな風に思えてならなかった。


 キラリは、景色を眺めていたミュウの手を握る。


「行こうミュウ、皆が呼んでる」

「ん!」


 空色の瞳を細めミュウが微笑むと、柔らかな風が吹き抜けて、緋色の前髪を揺らした。

 キラリはミュウの手をしっかりと掴んだまま、カインとアークの元へと歩き出した。

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