第13話




 ――番長だ……!! マジ番長だよ、番長がいるよココに……!!

 咄嗟に鳥肌立ててそう思ってしまったくらい、それを言った吉原よしはら先輩は、まさに“番長”って風格タップリだった。



『ウチの生徒に手ェ出す、ってことが、どういうことか……モチロン、分かってる上でやってんだろうな、テメエら?』



 …そりゃー確かに先輩はもともと、そのデカくてイカツい如何にも怖そうな見た目から、また、前期・今期ともどもの生徒会役員の面々と必要以上に並々ならぬ繋がりがあることからも、ウチの高校における番長格と全校生徒から目されている人ではあるけれども。

 また、生徒たちの口から口を飛び交う、先輩が為した数々の武勇伝…が、どこまで真実かは知らないが、それによって称された『喧嘩させれば〈向かうところ敵なし〉』『校内最強の格闘猛者』という称号は、間違いなく伊達ではない。そこは紛れも無い真実だ。――おそらく。

 とはいえ、普段の素の先輩は、悪ぶったところなど全く無い、ちょっと身体がデカくてイカツくて如何にも怖そうな見た目をしてるってだけの、温和で善良な一般生徒、でしかないのだ。

 坂本さかもと先輩をはじめとする、今期の面々よりも更に一癖も二癖もある前期生徒会役員と“昔ながらの友人関係”なんてものがあるゆえに、一緒くたにされては同様に“食えない人”だと思われがちではあるが……とーころがどっこい。

 逆に吉原先輩こそが唯一、彼らの暴走に歯止めをかけられる“ストッパー”の役を担っているといっても過言ではない。

 ホント見た目に似合わず、吉原先輩ほど常識的な人はいないだろう、ってくらいに、普通にマトモで真面目な人、なのである。



 ――ていう先輩の姿を、同じ部活動に所属しているという繋がりから充分に熟知している俺にしてみたら。

 にわかには、いま目の前にいる先輩の姿が信じられない。

 だって、俺の中で全く結び付かないのだ。――今の先輩の姿と普段の先輩の姿が。

 …素行不良と悪名高い高校の、いかにもな不良生徒十数名を前にして、貫禄タップリに堂々たる啖呵を切ってる吉原先輩と。

 …ヒマさえあれば天文部の部室のスミっこで一人もの静かに文庫本のページをめくっている、争いごととは無縁の吉原先輩と。

 その、どこをどう合わせれば、同一人物になるというのか―――。



 ――て、ゆーか……まずそもそも、どうして吉原先輩がココに居るんだよ……?



“そもそも”で言うなれば、なにはさておいても、これに尽きる。

 だって、吉原先輩が俺を助けに来てくれる、なんて、間違ってもあるハズは無いのだから。

 第一、俺が昨日コイツらに襲われかけたことからして、吉原先輩にはヒトコトだって言ってないのだ。

 加えて、昨日の部室でのやりとり以来、一回もマトモに顔すら合わせてもないし。

 そこは吉原先輩とだけのことじゃなく、三樹本みきもと先輩や碓氷うすい先生とだって同様だ。

 やっぱり、昨日のあの部室でのやりとりは……そりゃー、あんだけメタクソにコケにされたらわだかまりも残ろうってモンだろう。

 いま顔を合わせれば、どうせ何かしら馬鹿にされるかからかわれるのがオチだし、この件がキッチリ片付くまでは絶対に顔なんぞ合わせてなるものか。…と。

 それで今日も、部活をサボって、授業が終わるなり速攻、帰宅の途についていたワケだったしな。

 だから、俺がコイツらに狙われていることを吉原先輩が知っていようハズなんて、そもそもからして、ありえない。

 いくら情報通と名の高い三樹本先輩だって、こんな昨日の今日ってことまで知っていようハズもないだろうし。

 もし仮に知っていたとして、それで三樹本先輩の口から吉原先輩に伝わったのだとしても……俺のそこそこ長い空手歴と実力のほどを、加えて、俺がトコトン平和主義者だってことまでをも充分に知っている先輩が、ワザワザ助けに来てくれるハズが無いことも明らかだ。

 吉原先輩と俺とは、同じ部活動に所属してる先輩と後輩であると同時、時々軽い手合わせなんかしたりもするような、“空手”という共通点で繋がった間柄でもある。――とはいっても、先輩の都合を窺っては俺が一方的にお願いして付き合ってもらってる、ってだけのことなんだけどな。そこは。

 俺にとって先輩は、いわば“目標とする人”、でもあるのだ。――てなことは、鼻で笑われそうだから面と向かって言ったことは無いけれども。

 噂だけにとどまらない、実際に実力の伴った吉原先輩の強さには、学ぶべきことが沢山ある。わざわざ頭を下げてまで“お願い”する価値だって充分にあるってものだ。

 ともあれ、そのようにして何度も手合わせしている間柄である以上、先輩が俺の力量を正確に把握していない、なんてことは絶対に無く。

 ゆえに、よっぽどの相手にでも絡まれたりしない限り俺は自力で何とかできる人間だ、ってことも、ちゃんと理解してくれていることだろう。

 また、平和主義者の俺が売られた喧嘩を自分から買いにいくほど血気盛んな人間じゃないってことも、もとより重々知っててくれているハズなのだから。

 そんな吉原先輩が、自分からワザワザ、こうやって俺を助けに来てくれようハズは無い。

 というか、『危なくなる前に逃げろ』というのは、もともと先輩の持論でもあるのだ。

 それを忠実に実行し得る能力を十二分に持っている俺を、今さらワザワザ改まって助けに来てくれるハズなんて、無いじゃないか。



 ――ならば……単に、偶然たまたま通りがかっただけ、ってことか……?



 …それも無いな、絶対に。

 たまたま通りがかるにしても、ここは先輩の帰宅ルートからは真逆の方向にある。普段の先輩なら絶対に通るハズなんてない道だ。

 おまけに今は、普段なら部室にいる時間でも、ある。

 ここは学校からもかなり離れているし、たまたま部室の窓から外を見たら俺が絡まれているところが見えて助けに来てくれた…というセンも、絶対に無いだろう。

 なぜなら、たとえ学校からこの場所が見えたとしても、天文部部室の窓は、その反対側に位置しているのだから。



 ――ならば何故……? 一体、何があって、こうやってここに吉原先輩が俺たちを『引き取り』にくるようなことに、なってるんだ……?



 吉原先輩の変貌ぶり、そして今ここに現れた理由……俺には何が何やらサッパリで、全くワケが分からない。わからないことずくめで眩暈まで起きてきそうなくらいだ。

 一体、いま俺の前で何が起こっているというのだろう。

 吉原先輩は、一体ここで何をしようとしているのか。

 理解できなさ過ぎて、俺一人が状況に付いていけずにうろたえている。――雪也ゆきやは雪也で、言わずもがな相変わらずの無表情だし、平然としてるのか驚いているのかさえハタから全く分かりゃしない。

 困って先輩の顔を見上げるも、そんな俺に気付いていてかいないでか、相変わらず笑みを湛えた表情で飄々と立っているだけ。

 対するその視線の先では、怒髪天を突くってくらいに頭に血を上らせている物騒な連中の姿。



「――おもしれェじゃねえか!」



 吉原先輩のドスの効いたハクリョクで、その場が静まったのは、ほんの一呼吸分の間だけで。

 その静まった空気を断ち切るかのように、間髪入れず、件の金髪頭が半ば噛み付くかのような勢いでもって、先輩へと食ってかかった。

「上等だコラァ!! テメエらに手ェ出したらどういうことになるか、とっくり見せてもらおうじゃねえか!!」

 そのセリフで煽り立てられたか、同意を返すように連中それぞれの口から野太い叫びとも罵声ともつかない声が次々に上がり、その場が険悪なムードで沸く。

 だが、それを向けられた当の吉原先輩は、それでもなお、あくまでも飄々とした態度を崩さない。

 だけじゃなく、あろうことか、「バカだねえ、テメエら」などと言いながら、鼻で笑ってあしらう始末。

 これで相手が逆上しないハズも無い。

 即座に「なにを…!!?」とばかりに気色ばんだ一同へ対し、そこで先輩は、まるで連中の血の気を制するかのごとく、サッと軽く片手を上げてみせた。

「勘違いしてんじゃねえよ。相手が違うだろ」

「なんだと……!!?」

「オマエの今のそのセリフ、言う相手は俺じゃねえだろ? ってこと言ってんの」

 そして、どこまでも穏やかに、口許に笑みまで浮かべた余裕シャクシャクの表情と口振りでもって、軽い世間話でもするみたいに、それを告げる。――とはいえ、その笑みは充分に不敵さを湛えていたけれど。



「――、元気ー?」



 途端、ガクッと片肩が脱力する。

 過言でなく、聞くなり肩が脱けたと思ったくらい脱力したから今! マジで!

 ――何それ先輩!? 何だよそれ!? 何なんだよ『サトミちゃん』!!

 思わずそんなツッコミを入れたくなってしまったが、なのに咄嗟に声が出ない。

 あまりに予想外な展開で、脱力したあまりに呆れ返ってモノまで言えなくなったらしい。

 声も言葉も出ない口を酸欠の金魚のようにパクパクしかけて、やおら思い出したように深く息を吐き出して、気を静める。

 そんなん本当に世間話じゃねえか……今のこの状況で敢えて言うことなのかソレは……? ――つか、そもそも誰だよ『サトミちゃん』……?

 先刻までの緊迫した状況に、これほど相応しくもないセリフも無いだろう。

 ホント一体、ここに何しに来たんだろう、この人は……。



 だが、そんな俺の様子とは対照的に。

 俺たちの目の前に立つ連中は、途端ざわりとした動揺を見せた。

 吉原先輩が『サトミちゃん』と言った、まさにその言葉を聞いたが否や、ってタイミングで。

 ざわっと、その場の空気が揺れた。

 そして、ひそひそと小さな動揺が波紋のように全体へと広がっていく。

 そんな様子は、まるでその『サトミちゃん』という言葉に怯えているようにも、俺には見えた。

 コイツらにそんな反応される、って……だからホントに誰だよ『サトミちゃん』……?



「その様子じゃあ……やっぱりサトミに許可とってココへ来てる、ってーワケじゃあ、なさそうだなぁ?」



 告げる態度にどことなく“そらみたことか”と言わんばかりの風情を滲ませて掛けられた吉原先輩の言葉に対し、即座に「う…うるせえッ!!」と例の金髪頭が、あからさまに動揺を隠し切れない声音でもって返してくる。

「だから何だってーんだ!! 別に構いやしねえ、こんな小さなヤマごとき、サトミさんの許可なんざ取るに及ばねえってんだよ!! それがテメエに何の関係がある!!」

 慌てたように、そして噛み付くかのように、焦りを多分に含んだ色合いを曝して怒鳴る…というよりは喚き立てると云うのが相応しいような、その様子から察するに。

 今の吉原先輩の言葉は、コイツらにとって相当ーに痛い図星を、突いたようだ。――って、それが『サトミ』ってコトか……?

 そこで俺はハッと気付く。

 ――そうだ、『サトミ』って確か……!!?



 そういえば以前、テツから聞いたことがあったっけ。

 ここら一帯の高校を…そして不良たちを一手にシメている“総番長”のこと。



『いいか、すばる。悪いことは言わない、そいつとは何があっても絶対に関わるなよ』



 まず、そう重々と念を押すように告げられて。続いて、まーあれやこれやと、そいつに関しての風聞の数々を聞かされて。

 一校の番長格に君臨する人間でさえも絶対に逆らえないほどに、このあたりでは最も権力を持っているんだとか。喧嘩させれば、その強さに並ぶ者は居ないんだとか。高校生の身ながら既にヤーさんとも繋がりを持ってるんだとか。――その他諸々。

 そいつがいかに危ないヤツなのかということを、懇々と諭された。

 とにかくまず、あのテツが、そんな猛者を前にして『喧嘩してみたい』と言う前に『危険だから関わるな』なんて言うホドだ。

 そりゃー間違いなく危険なんだろうな、本当に名実伴った“総番長”なんだろうなー、なんて認識を、ボンヤリと頭の中に植え付けつつ。

 とはいっても、どうせそんな総番なんかが俺に関わってくることなんて無いだろう、と、テツには適当に相槌を打ちながら、のほほんと右から左に聞き流していたような覚えがある。

 そんなウロ憶えな記憶でも手繰ってみれば……そいつは確か、いま俺たちの目の前に居る連中と同じ高校の三年生、って聞いたような気が、しないでもない。



 そいつの名前は……そう、思い出した! ――『里見さとみ宗二郎そうじろう』だ、確か!



(そいつか、『サトミちゃん』って―――!!)



 気付いた途端、顔面からサァーッと血の気が引いていくのが、自分でも分かった。

 ――ここら一帯をシメてる総番長を『ちゃん』付け呼び、って……だから先輩、アンタ一体ナニモノだ……?



「関係ねえ…なんざ、それは言わせねーぜ?」



 気付いた事実に驚愕のあまり蒼白になって呆然とするしか出来ないでいる俺のことなど気付きもせず、そう相変わらずの調子で返す吉原先輩。

「テメエらがウチ相手に一切の手出しをしない、ってのは、互いの“頭”同士が決めた、歴とした約束事だぜ? いわば“不可侵条約”だ。それも知らないとは言わせねーよ」

 先輩のその言葉で、目の前の連中に一瞬、思い当たることがあったような、後ろめたげな空気が走った。

 ――てことは……そういう“不可侵条約”は実際にある、ってことか? しかも今、『“頭”同士が決めた約束事』って言ったよな?

 じゃあ、ウチの“頭”ってやっぱり吉原先輩、だったってことか? ――などと考え出したら、ミョーなオソロシイところに思考がハマってしまいそうだったので。

 とりあえず今は考えないことにして、目の前のナリユキを見守ることにする。…その方がきっと賢明だろう。…多分。

「テメエらが里見の手下である以上、頭の意向を無視して動いていいハズもねえだろうが。それは間違いなく里見のカオ潰す行為になる、ってこと……そんなカンタンなことが、どーしてわからないのかねえテメエらは?」

 ――なんていう挑発的なセリフを終始にこやかーに言ってのけちゃってるトコロからして……更にソラ恐ろしいこと極まりないんですけどーッッ!!?

 それはあたかも、俺の“よもや…”という小さな疑念を裏打ちしてくれるかのよーな言いっぷり。

 加えて、明らかに副音声で『バーカ』とこき下ろしてるに等しいその言葉には、さすがに言われた側もガッツリ理解できたらしく。

 途端、目の前の連中が一斉に、まるで“ぎり…”とでも聞こえてきそうなくらい葉を食い縛ったようなスサマジイ形相に表情が一変した。

 けれど、言われたことが至極尤もであることも理解できているらしく、誰もが何事か言いたそうな含みのある色を表情に湛えてはいたけれど、誰も何も言い返してくることはなかった。

 そこを更に畳み掛けるかの如く、「まあ、そういうことだな」と、吉原先輩が続ける。



「どうしてもコイツら二人に手を出したきゃー、まず里見の許可を取り付けてから出直すんだな」



 しばしの間……誰も言葉を発することは無かった。

 目の前の連中は、相変わらず刺すような視線で俺たちを睨み付け続け。

 それを受け止める側の先輩も相変わらず飄々とした風情で、その口許に笑みまで浮かべる余裕を見せて、奴らの返答をただ待っているだけ。

 睨み合い…とも呼べない変な雰囲気のこの対峙が、一体どこまで続くことだろうか、…とゲンナリし、密かに俺はタメ息を吐いた。

 ――その時フと、視界のスミで雪也が俺を振り返ったのが分かった。

 何だ? と俺も雪也の顔を見て。

 それと同時に、自分の間違いを悟る。

 雪也が振り返ったのは、俺に、じゃなかった。

 なぜなら、俺の耳にもハッキリと聞こえたから。



 雪也が視線を遣った先――つまり、俺を通り越して更に向こうに通っている道路、その更に向こうの方から、響いてくる爆音に。



 ヴオオオオオン!! ――そう低く唸るような腹に響くエンジン音は、おそらくバイクのだ。しかも中型だか大型だかのデカイ単車。

 その音は、だんだんとコチラへ近付いてくるようだった。徐々に聞こえる音が大きくなり、次第に耳の奥まで深く抉るように響いてくる。

 この場に居る、おそらく全員が、気付いてその方向を振り向いた頃には既に、すぐ横の道路の向こうに一台のバイクの影がハッキリと見えていた。

「…ようやくお出ましか」

「え……?」

 頭の上から降ってきた、そんな小さな呟きに気が付いたのは。

 多分、それを発した張本人である吉原先輩の、すぐ隣に居た俺だけだったに違いない。

 それくらい、その爆音は、周囲の音すべてを奪ってしまうほどのところまで近付いてきていたのだ。

 きゅるるるる、ずざざああーっ! という、強いブレーキ音とアスファルトの路面をタイヤが滑る音を続けざまにけたたましく響かせながら、やがて俺たちの至近距離で、そのバイクは停止する。

 唸るエンジン音が完全に止められて、その場が先刻までの空気に戻るも……しかし後には、先には無かった小さなどよめきが、まるで細波さざなみのように残っていた。

「――テメエら……!」

 まるで喉の奥に張りついているかのように、くぐもって響く低い声が、なのに、どよめく場の空気を切り裂くかのように鋭く飛ぶ。

 その声を発したのは、ノーヘルで件のバイクに跨っていた人物――目の前にいる連中と同じ色の学ランを着た、一人の男子生徒だった。

 ――つか、学ランのままノーヘルで堂々とバイクに乗ってる、って……タダモンじゃねえし、コイツ。

 勿論、決して良い意味でなく。何があろうと近寄りたくないくらいヤバイ奴、って意味で、コイツはタダモンじゃなかった。見るからに。

 ということは、きっと、コイツが―――。



「よーう里見チャン、久し振りぃー」



 咄嗟に考えた俺の思考を読み取ったかのように絶妙なタイミングで、そう吉原先輩がソイツに、よりにもよってヒラヒラと片手を振りながら、のほほんとした声を投げ掛けた。

 ――って、やっぱりコイツが里見かよ! つか、当の本人を目の前にしてまで“ちゃん”付け呼ばわり!!?

 思わずギョッとして気持ちだけ遙か彼方後方にまで後退さして仰け反った俺の心中が現れ出たかのように、その瞬間、あたかも“オマエ何者!?”とでも問いたげな視線が一斉に先輩へと集中した。

「おまえに“ちゃん”付けされて呼ばれる覚えはねえッ!!」

 そこで間髪入れずに響いた怒号で、また一斉に視線が元の位置へと戻される。

 その声を発した張本人――里見の上に。

「だいたい、何でテメエがここに居るんだよ吉原!!」

 収まりやらない怒号と共に、ヘタしたら人一人射抜き殺してしまいそうなホドに剣呑な視線を向けられるが……しかし、対する先輩は相変わらず。

「そんなつれないこと言うなって。いつ見ても冷たい男だよなオマエは」

 この里見を前にして、どこまでも飄々とした態度が崩れない。――つか、ふざけてませんか? その態度、おちょくってます?

 吉原先輩も……いい加減、どこまでもタダモノじゃねえよなマジで……。

「まあ、挨拶はさておき。――俺だって、何も好き好んでオマエの顔なんざ見に来ねーっつの! 何でココに居るかって? そんなもん、言われたからに決まってんだろーが。わざわざ分かりきってること訊くんじゃねーよ」

「…………」

 そう肩を竦めてみせる吉原先輩を、しばし憎々しげに睨み付けていた里見だったが。

 ふいにギッと、その視線の矛先を逆方向へと向けた。

 その先に居たのは――言わずもがな、くだんの『お礼参り』ご一行サマ。

 俺と同じく、ポカンとしたまま眼前のナリユキを見守るしか出来なかったであろう奴らは、それを向けられたことで我に返ったか、一斉にビクッと肩を大きく波打たせた。

 どうも自分たちは“頭”の逆鱗に触れることを仕出かしてしまったようだ、と……今更ではあるが、咄嗟にそれが理解できたのだろうが。――しかし、〈時、既に遅し〉だ。

「…キサマら、何ボサッと雁首そろえて突っ立ってやがる」

 おもむろに紡ぎ出されたのは、低く――まるで地獄の底深くから響いてきたかのような、人を震え上がらせずにはおかないほど目に見える怒気を孕んだ、低い、どこまでも低い声。

 誰かが「ヒッ…!」と、喉にこびり付いて離れないような声にもならない声で悲鳴を上げた。

 …そりゃそーだろう。あの射殺されそうな視線を真っ向から向けられてちゃ、きっと俺だって声も出ないだろう。恐怖のあまりに。

 自らの“頭”とした者ゆえに、その恐ろしさを充分に知り尽くしているだろう連中ならば、それは尚更のことであるに違いない。

「いいか、テメエら!! 今度この俺の許しもなく勝手に他校ヨソ縄張シマで暴れやがったら、タダじゃおかねえ!! ――わかったか!!?」

 その恫喝に、一糸乱れず「ハイッ!!」との返答。――いくら“頭”の言うこととはいえ、こんな頭ごなしで言われてさえ誰も何も反論できないなんて……よく統制されているもんだ。様子から察するに、この里見というヤツは、よっぽどの恐怖政治を敷いているに違いないな。

「わかったなら、とっとと散りやがれ!!」

「ハイッッ!!」

 途端、一斉にてんでバラバラな方向へ逃げるように駆け出して去っていった、そんな連中の姿を、しばしの間、そのままで見送って。

 改めて里見は、ギロリと剥いたその視線を、再び吉原先輩の上へと戻した。

「これで“借り”は帳消しだ。――と、あのバカに言っておけ!」

「残念ながら、コッチも『あのバカ』から伝言。――『これで“貸し”が帳消しになったと思うなよ?』、だってさ」



 ――この二人の言う『あのバカ』とは……察するに、坂本先輩のこと、なんだろうか……?



 そういえば先刻、吉原先輩が言っていた。――『何でココに居るかって? そんなもん、言われたからに決まってんだろ。わざわざ分かりきってること訊くんじゃねーよ』、と。

 その言葉からすれば……この場へ吉原先輩が着てくれたのは、坂本先輩に差し向けられたから、っていうことになるだろうか。

 また、それが『分かりきってること』と疑いもせずに飲み込んだ里見も……つまり、吉原先輩と同様、なのかも、しれない?

 つまり全ては、坂本先輩の差し金、っていう、こと、に―――。



 ――としたら、この里見と、あの坂本先輩の関係って、一体……!!?



 急浮上してきた思いもよらない事実に再び、もはや何度目かも分からない眩暈を覚える。

 先刻まで、この里見とタメ張れるウチの高校の“頭”は、やっぱ吉原先輩しかいないとばかり考えていたが……案外、そうでもなかったのかもしれない。

 真の黒幕は……、―――やめよう、〈君子、危うきに近寄らず〉だ。世の中、知らなければ幸せなこともあるさ。

 しかも、互いに“借り”とか“貸し”とか……この二人、どんだけ仲が良いんだよ? ――いや、やめよう。そこも考えないほうが幸せだ。

 この人たちと俺は全くの無関係。――誰が何と言おうとコレッポッチも無関係! だからなっ!?



 ともあれ、吉原先輩の“伝言”を聞くや否や里見は、ケッと憎々しげに吐き捨てると。

 だが、それも想定内とばかりに何の反駁もせず、そのまま踵を返し、ひらりと傍らのバイクへと跨った。

 即座に鳴り響いたエンジンの爆音。

 それと共に、去り際に里見は、最後にヒトコトだけ、こう言った。



「――二度目は無いからな!」



 爆音と共に去っていく、その後ろ姿を、俺はしばし呆然と見送っていることしか出来ずにいた。

 だが、やおら頭の上からプッと小さく吹き出す声が降ってきて、そこでようやく我に返り、そちらを見上げた。

 …言わずもがな、里見を見送って吹き出したのは吉原先輩で。

「まったく、どこまでも意地っ張りだねえ相変わらず」

 その口許は、いかにも楽しそうーに、ニヤニヤと緩んでいる。さも、面白いオモチャを見つけた子供みたいな表情で。



 ――だからアンタも……ヤツと一体どんな関係なんだよ、オイ……?





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