#03. ライヴ
シゲちゃんが癌だと告白したのは、俺たちがBitter Tearsを結成してから3年が経とうとする頃だった。
いつも借りるスタジオで、次のライヴに向けての練習をしていた時だ。通しで練習をした後、少し休憩しようと言ったのはノブだったか。
たわい無い会話の中で、シゲちゃんはとても落ち着いて、
「俺、癌なんだってさ」
苦笑しながら言ったのだ。元々、なんというか、儚気な雰囲気を持っていたシゲちゃんだけれど、その時は一層そう感じだ。
どうして気づかなかったんだろう。もっとはやくに癌だってわかってれば。そんな人並みのことが頭を巡った。今時、癌は恐くないとは言うけれど、俺は、ただただ恐かった。祖父を癌で亡くしていたからかもしれない。
そんな思いをシゲちゃんやメンバーに悟られたくなかったから、俺は努めて平静を装った。本当にそう出来ていたかはわからないけれど。
ヤナは騒ぐタイプでも感情を顔に出すタイプでもないから、正直、どう思ったのかわからない。ノブは、明らかに苛立っているように見えた。けれど、すぐに落ち着きを取り戻して、
「そうか」
とだけ言った。
病院に通わなくてはいけないシゲちゃんの都合と、彼の体調を考え、ライヴの数は減らさずを得なかった。それでも俺たちは活動を続けた。けれど、シゲちゃんの容態は芳しくないようで、俺たちは彼の家族とも相談を重ねていた。入院をして治療すべきだという話しがあったが、シゲちゃんはそれを拒んでいた。バンドを続ける事を彼は望んでいたのだ。長期の入院という事になれば、バンドとしての活動は休止しなければならない。それをシゲちゃんは嫌がったのだ。バンドを続ける事が彼の一番の望みだった。
その頃の俺たちは、ライヴの観客動員数を着実に増やしていっていたのだ。それは、ライヴの数を減らしていたからなのかもしれない。限られたライブだからこそ、その一公演にかけるエネルギーが大きなものになっていたことも、集客に繋がっていたのだと、今にして思う。
その結果だろうか。Bitter Tearsには、とある事務所との契約の話しが浮上していた。シゲちゃんが活動休止を嫌がったのはそれも理由だったのかもしれない。流れを、止めたくなかったのかもしれない。
いや、そうではないのか。彼は口にはしなかったが、恐れていたのだろう。Bitter Tearsに自分の居場所が無くなる事を。そんな心配など、しなくて良いのに。
シゲちゃんの告白から2ヶ月程が経った頃だ。スタジオでの練習を終えたときだった。いつもはスタジオの料金が安い深夜に練習をしていたが、その日は違っていた。スタジオを出たのは20時頃だった。
「お前ら、この後ちょっと付き合って」
ノブはそう言ってスネアのケースを摑み上げると、ずかずかと行ってしまう。俺たちは断る理由もなかったので、彼についていった。
道中は、あまり会話をしなかった。シゲちゃんの体調が気になったが、彼は特別疲れた様子もなく、長身のノブの歩調についていっていた。
ノブが立ち止まったそこは、小さなバーの前だった。繁華街からは少し外れた場所だ。ずいぶん前に閉店したらしく、看板は色褪せ、当然ながら電気も付いていない。
こんな所に何の用だろうと俺たちは一様に首を傾げた。すると、ノブがポケットから鍵を取り出し、鍵を開けた。扉を開く。
「ほら、入れよ」
俺たちは促されるままに店内に足を踏み入れた。
中は埃っぽかった。真っ暗だ。ふっと、一点の明かり。ノブが携帯のライトをつけていた。その明かりを頼りに、入り口正面のカウンターの方へ進む。カウンターの後ろの壁に手を触れると、店内の照明がついた。そこに電灯のスイッチがあるらしい。電気が通っているとは思わなかった。
「ノブ、ここは?」
シゲちゃんが問う。俺たちはノブのいるカウンターの周りに集まった。
「買った」
「え?」
ノブの言葉に俺たち3人は驚いた。
「だから、買ったんだよ、この店を。中はバーとステージを併設させる。いつでも俺たちのライヴが出来るようにな」
ノブは、真っすぐシゲちゃんを見た。
「お前の帰る場所はここにある。だから、安心して治療に専念してこい」
シゲちゃんが入院したのは、それから1ヶ月後のことだった。
+++++++
サエにチケットを渡されてから2週間が経った。GUNSLINGERのワンマンライヴを観るため、俺たちはここに来た。
雑居ビルの地下1階にあるライヴハウスだ。細い階段を下ると受付がある。チケットを見せてロビーへと出た。正面にフロアへ続く防音扉。左手にロッカー、右手にはドリンクカウンター。
俺とノブとヤナは連れ立ってドリンクカウンターへと移動する。顔見知りのスタッフと軽く挨拶を交わす。
「久しぶりだな、お前ら」
ここのスタッフにはBitter Tearsとしてはもちろんの事、Tear Dropをオープンする際に相談にも乗ってもらっていたのだ。店の調子はどうかと声をかけてくれた。
「まー、ボチボチって感じかな。最近はバーがメインになっちまってるよ」
ノブは苦笑して応え、3人分のビールを注文する。
「今日のバンドってどうなの?」
「GUNSLINGERか? まー、そこそこ人気はあるな。今日もノルマ分のチケットは捌けてるよ。都内でのワンマンは初って話しでそれだからな。大したもんだよ」
俺たちはビールを受け取るとフロアへ移動した。中に入るとSEがやかましいくらいに流れていた。
フロアの後方に陣取る。そこに見知った顔が2人。
「あれ? 露藍と鏡じゃん」
「お久しぶりです、イツキさん、ノブさん、ヤナさん」
俺たちが近づくと、2人は控えめに会釈をする。明るい茶色に染められた、鏡の長い髪が揺れた。
2人はBitter Tearsの後輩にあたる。過去に俺たちのローディをしていた。そして、鏡はシゲちゃんの弟子なのだ。
「最近ライヴしてないみたいだね」
俺の問いに露藍が肩をすくめた。アシメトリーの黒髪の下に覗く瞳は大きい。
「やりたいんですけどね。メンバーが……」
2人のバンド、Marionetteは活動休止状態だ。ドラムとベースが抜けてしまったのだ。今はボーカルの露藍と、ギターの鏡しかいない。どうしてそうなってしまったのか。面倒ないざこざがあったらしいが、俺は詳しくは聞いていない。ノブとヤナも同様だ。2人が話したくなれば話すだろうと、問いたださなかったのだ。
「2人はGUNSLINGERを知ってるの?」
「ええ、何度か観てます。ここ数ヶ月の間に結構な数のライヴをやってますよ、彼ら」
「数ヶ月?」
サエがTear Dropにはじめて姿を見せたのは1ヶ月前だ。その前からGUNSLINGERは東京で活動をはじめていたらしい。
「へー。評判は?」
「良いですよ。上手い……というよりセンスが良い」
聴けば分かると鏡は笑った。
フロアは客で埋まっていた。SEとざわめきが混ざり合う。ライヴが始まる前の高揚感がフロアを満たしている。
時計を見た。19時を指そうとしている。もうすぐ始まる。
フロアの灯りが消える。メンバーがステージに現れた。ドラム、ベース、最後にギター——サエだ。
各々楽器を構える。ドラムのカウント。そして、音がフロアを埋め尽くした。
立て続けに3曲。
「あーもう、何だよアイツ」
無意識に声が出た。ノブがこちらを伺うのが気配で分かる。
鏡がセンスが良いと言った意味が、わかった。
ドラムとベースはどちらも手数が多い。それでいて、お互いが邪魔にならないよう、メロディを殺さないよう、抑えるべきところは抑えている。音がぶつかり、潰し合っているのではない。信頼した上でのぶつかり。そこに絡み付くギターは繊細かつ大胆。無遠慮にカッティングが入ったと思えば、それは計算されたタイミングだ。
そして、メロディ。
耳に残る。ポップなのに独特な、そんなメロディ。
サエの低音で響きのある歌声。ボーカルが見つからないから歌っていると彼は言っていたが、荒削りながら歌唱力は十分だった。
俺は、胸のざわめきを感じていた。これ以上、彼らの曲を聴いてはいけない。そんな思い。
暗転したステージでチューニングをいじっていたサエがマイクスタンドに手をかけた。ライトが彼を照らす。汗で重くなった黒髪が、ライトの下で輝いていた。
「“こんばんは、GUNSLINGERです”」
彼の声にフロアが応えた。
「“東京に出てきたて2ヶ月? 3ヶ月? やっとこっちで初のワンマン、遊びにきてくれてホンマありがとう”」
関西訛りの彼のMC。
「“大阪からきてくれてる子もおるんかな? まぁ、そんな子らはわかってるとは思うけど、俺らかっこええから。絶対満足させたるから。せやから”」
サエが、俺を見た。気のせいではない。彼の視線はまっすぐに俺に向けられていた。
「“逃げずに最後まで観てってや”」
その言葉が合図だったのか、再びフロアに音が満ちた。
俺に向けての言葉、だったのだろうか。
——逃げずに最後まで観てってや。
見透かされていた。俺は、MCの間に外に出ようと思っていたのだ。
ノブが俺の腕を小突いた。
「大丈夫か?」
俺は頷いた。あんなことを言われてこの場を去るのは嫌だった。
そこからさらに5曲。ハイテンポ、スローテンポ、フロアが狂う様な暴れ曲……バラエティに富んでいた。全てオリジナル曲らしい。
再びステージが暗転する。サエはアコースティックギターに持ち替えた。
マイクスタンドの前に立つと、ライトが彼に向けられた。
「“次、ラスト。最後までおーきに。新曲です”」
短いMC。新曲のアナウンスに湧くフロア。サエは人差し指を立て、それを唇にもっていく。静かに、と無言で示す。
フロアが静まる。目を閉じて、ゆっくりと弦を爪弾き始めた。少し切ないアルペジオが数小節。テンポは90BPMくらいだろうか。
彼が目を開ける。そして、こちらを見た。眼が合う。ニヤリ、とあの自信ありげな笑みを浮かべる。が、それはほんの一瞬だった。サエはすっと視線を外し、一呼吸おいてから、激しくコードをかき鳴らす。そして、息を吸い込んだ。彼の声と同時に、ドラムとベースが音を奏でる。
激しいAメロ。けれど彼の声はどこか切なさを持って響いてくる。
Bメロで少し落ち着いた雰囲気へと変わる。切なさが際立つ。けれど、サビで再び激しさをまとう。
ドラマティックな構成。ミディアムテンポのなのに激しい。けれども切なさを孕んだメロディ。今までの楽曲とは明らかに違うその曲の存在感に、ステージに釘付けになる。
クライマックス。掻きむしるようにギターを弾く彼。ドラム、ベース、ギター。3つの音の追い立てる様なクレッシェンド。そして、全ての音が同時に止む。
フロアの歓声。ステージ上の彼が一礼した。頭を上げる。彼は、真っすぐに俺を見ていた。笑みをたたえながら。彼の唇が静かに動いた。そしてステージを後にする。
マイクを通さずに発せられた彼の言葉は、俺の耳には届かなかった。けれど、間違いなく、彼は俺に何かを告げた。
アイツは何と言った?
聴こえなかった彼の言葉が、俺を縛り上げでもしたのだろうか。俺はその場から動けなくなっていた。
文字通り、その場に立ち尽くしていた。
ノブの声でやっと我に返ることができた。
「おい、イツキ! 大丈夫か?」
視線を動かせば、ノブは勿論、鏡と露藍も心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。あれ、ヤナはどこだと思ったところで、彼はペットボトルを持って現れた。
「いっちゃん、お水飲みな」
どうやら水を買いに行ってくれていたらしい。俺はペットボトルを受け取ると、一口飲み込んだ。
「俺、どうかしてた?」
「心ここにあらずって感じだったぞ」
「ごめん、ちょっと頭の中が混乱してた」
思わず苦笑する。
「アイツ、袖にはける前に何て言いやがった?」
ノブも気づいていたらしい。聞こえなかったと、俺は首を横に振った。けれど、覚えていた。彼の唇の動き。彼は、おそらくこう言ったのだ。
——待ってるで。
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