#06. ロックスター

 風が、俺の頬を撫でる。優しい風だ。

 昼過ぎ。出勤時間にはまだ余裕がある。

 俺は墓地に来ていた。少し道に迷いながら、俺はその場所に来た。手には花と、墓を洗う為の水が入ったバケツと柄杓を持っている。

 墓前に立つ。

「久しぶり。シゲちゃん」

 シゲちゃんの墓だ。

 萎れた花を取り除く。墓石に水をかけ、汚れを流す。それから、花を生ける為の小さな穴に水を注ぎ、持って来た新しい花を供えた。

 そっと墓石に触れる。とても、冷たい。

「来るのが遅くなってごめんね」

 俺は、はじめてシゲちゃんの墓を訪れたのだ。

「お葬式の日……以来だよね。ごめん……会いに来ようってずっと思ってたんだけど…………」

 恐かったんだ。俺は独白する。

「シゲちゃんがいないんだってこと、認めるのが恐くて怖くて、避けてた。ごめんね、臆病な俺で」

 濡れた墓石が、日の光を受けてきらきらと輝いている。

「でもね、やっとここに来る決心がついたんだ。シゲちゃんに報告することがあるから」

 シゲちゃんが、そこにいる様な気がした。だから、俺は彼を真っすぐに見た。

「俺、歌うよ。歌い続けるよ。俺、歌が好きだから」

 ありがとう、シゲちゃん。俺の歌を好きになってくれて。

「シゲちゃんが俺の歌を好きだって言ってくれたから。俺は歌い続けるよ」

 それを報告しにきたのだ。

「これからは、俺の隣で歌ってや」

「え?」

 突然の声。

 俺は驚いて後ろを振り向いた。そこにはサエがいた。手には、花。

「サエ? なんでここに?」

「ノブさんに聞いた」

 サエは俺の隣に来ると、墓石を見つめる。

「シゲさん、俺の勝ちやな」

 あの自信ありげな笑みを浮かべる。

「いっちゃんが歌いたいと思う曲、ちゃんと作りましたよ」

「どういうことだよ、サエ」

「俺な、シゲさんと会ったことあるねん」

「いつ?」

「シゲさんが入院するちょっと前。いっちゃんをくれって言いにな」

 もちろん断られたけど、とサエは笑う。

「せやからな、いっちゃんが歌いたくなる曲を作ったら、GUNSLINGERに引き抜くって宣戦布告してん。シゲさんも、いっちゃんが納得するならええって言ってくれはったし」

 せやから、とサエは続ける。

「それからの俺が作る曲は、いっちゃんに歌ってもらう為に書いとる。いっちゃんが歌いたいって思ってくれるようにな。特にあの新曲は、実際にいっちゃんと会って話して、いっちゃんの声、まとってる雰囲気、空気感……そういうモンを俺なりに解釈して作った曲やねん。それを気に入ってもらえんかったら諦めるつもりやった。Bitter Tearsのイツキの声が、歌が、ステージに凛と立つ姿が……俺は欲しくてたまらんかった。せやから——」

 風が吹いた。

「俺はあの曲を作った」

 サエの真っすぐな瞳。

「はやく、いっちゃんに歌って欲しい。一緒にステージに立ちたい」

「俺も……歌いたいよ」

 あの曲を。そして、ステージに立ちたい。この衝動はもう抑えられない。

 サエは手にしていた花を墓前に供えた。

「見とって下さいよ。いっちゃんが加わったGUNSLINGERを」



 ざわつく店内。テーブル席は全て撤去したオールスタンディング。300人ほどだ。Tear Dropのキャパシティいっぱいの人。その様子を眺め、俺は深く息を吸い込んだ。

「あれ? いっちゃん緊張してんの?」

 声をかけてきたサエを睨みつける。

「悪いかよ。人前で歌うの、何年ぶりだと思ってんだよ」

 ライヴの告知を打ってから2週間。GUNSLINGERに新ボーカル加入と銘打ったライヴだ。長らくボーカル不在であったGUNSLINGERにボーカルが加わるというニュースは、ファンの間で瞬く間に広まったようだ。ボーカル名は伏せていた。それがさらに集客に繋がったのだろう。

 今日が俺のお披露目の日という訳だ。

「はいはい、イツキさんもサエも無駄口叩いてないで準備してや」

 間に入ったタクミは既に着替えもメイクも済ませていた。かく言う俺も、身支度は済ませていた。

「わかってるよ」

 応えた俺の顔を、しばしタクミが見つめている。何だろうと首を傾げると、小柄な彼は子犬のように笑った。

「やっぱりイツキさんは金髪が似合うなー。いつ染めに行ったん? 昨日のリハの時は黒かったやん」

 俺の髪は金色に染められていた。この色にするのはBetar Tearsが活動休止になって以来だ。

「昨日のリハが終わった後。ステージに立つなら、それにふさわしい格好をね」

 だって、俺は——。

「俺はロックスターだから」

 シゲちゃんがそう言ってくれた。俺の姿をそう称してくれた。なら、俺はそれに応えるだけだ。

 サエが俺の背中を強く叩いた。

「痛っ! なんだよ、サエ!」

「かっこええやん、ロックスター」

 サエが笑う。

 俺は彼のようにニヤリと笑い返した。自信のある、あの笑み。

「おい、お前らサボんなよ」

 ドラムのマコトがドラムのセットを終えて袖に戻ってきた。

「サボってへんよ。いっちゃんが緊張してるみたいやから和ませてあげててん」

「うるさい。大丈夫だよ。そこまでじゃない」

「イツキさん。改めて、今日はよろしくお願いします」

「やめてよ。俺、もうメンバーなんだし。畏まるのは無し」

「せやで、マコ。よそよそしいねん」

「サエは黙っとれ。イツキさん、俺は一緒にステージに立ってはじめてメンバーやと思ってます」

「ああ……だから、俺はまだメンバーじゃないって言いたいの?」

「失礼を承知で言わせてもらいますけど、ウチにアナタを加えるのはサエの希望です。勿論、俺もタクミもその事に文句はあらへん。せやけど、それはアナタがサエの曲を歌うだけの力があったらの話です」

「なるほどね。今日のステージで無様な姿を晒すようなら、GUNSLINGERに俺はいらないってことだね」

 マコトはそうだと頷いた。

「一応、俺がリーダーなんで。どんなにメインコンポーザーのサエがええと言っても、GUNSLINGERにとってプラスにならんのやったらメンバーとしてはむかえられません。リハでは問題無くても、本番でこける様なヤツはウチにはいらん」

 大柄なマコトは目の前に立つだけでそれなりの迫力がある。彼は真っすぐ俺を見ていた。強い言葉に彼の真面目さがうかがえた。

「おい! マコト!」

「いいよ、いいよ。バンドのことを考えるなら真っ当な意見だし」

 抗議をするサエの声を俺は遮った。

 ロックスターと名乗るなら、当然それに見合ったパフォーマンスが出来なくてはお笑いぐさだ。

 俺はキッとマコトの眼を見返した。

「ありがとう、マコト。良い感じに気が引き締まった。ロックスターがどういうもんか、お前に見せてやるよ」

 不安から来る緊張感ではない。わくわくすることが起こる高揚感。先程までとは違う胸の高鳴りだ。

 最後のチェックを済ませる。

 ステージの袖にノブの姿があった。今日は鏡と露藍が手伝いに来てくれている。PA卓に2人の姿が見えた。照明はヤナだ。

「お前ら、準備良いか。客電落とすぞ」

 フロアの電気が落とされる。それと共に溢れる歓声。俺たちは円陣を組んだ。サエが向上を述べる。

「新生GUNSLINGERお披露目式や。いっちゃんの入学試験でもあるみたいやけど。そんなこっちの事情は客には関係あらへん。最高の音楽と最高のパフォーマンスをみせたるで!」

「おう!」

 全員の声が重なった。

 SEが流れている。マコト、サエ、タクミの順にステージに出る。ノブが俺の背中を叩いた。

「暴れてこい、ロックスター」

「ああ」

 俺は、ステージに出た。

 見慣れたTear Dropの店内。けれど、今日はいつもと違うように感じる。フロアを埋め尽くす客。視線。熱。

 帰ってきたんだ。この場所に。

 俺がマイクスタンドの前に立つのを見計らって、サエが弦を爪弾き始めた。曲は、あの日、俺の心を捉えたGUNSLINGERの新曲。

 アルペジオから一呼吸置いて激しくギターを搔き鳴らすサエ。俺はマイクに手をかけた。

 声がちゃんと出るかなんていう不安は一瞬で消えた。いや、ステージに立ったその時から、そんな不安はどこかに消え去っていた。

 この場所に立ったらどうすれば良いのか、俺は知っている。

 俺は、俺たちは格好良いだろうと見せつけてやれば良い。それだけなのだ。

 

 音が止む。俺は一礼した。一曲歌っただけなのに、汗が頬を幾筋も伝っていた。息を吐いて、頭を上げる。あっけにとられたような顔をしていた観客が、思い出したかのように拍手をした。その音がフロアを包み込んだ。

 気持ち良いな。俺は思った。

「“こんばんは、GUNSLINGERです”」

 拍手が止む。視線が、俺に集まっている。

「“そしてはじめまして。ボーカルのイツキです”」

 フロアがざわついた。かすかにビタティアという単語が聞こえてきた。

「“サエの歌や、その前のボーカルの歌が好きだった人には申し訳ないけど、これからは俺がGUNSLINGERのボーカルです。もっと凄いの聴かせてやるからさ。最後までついてこいよ”」

 マコトのスリーカウント。爆発するように音が室内を一瞬で埋めた。疾走感のある曲だ。

 2週間で俺はGUNSLINGERの曲を頭に叩き込んだ。あまり物覚えは良い方ではないのだけれど、不思議と曲と歌詞は頭に入った。

 どう歌えば良いのか、どう煽れば良いのか。どうすれば客の興味がこちらに向くのか。自然と体が動く。どうすれば良いのか、俺は知っている。

 噛み付くように、吼えるように、歌う。

 立て続けに5曲。MCを挟んでさらに3曲続けて歌った。

 熱い。けれど、楽しい。

 一口水を飲んでからマイクスタンドの前に立つ。サエがアコースティックギターに持ち替えるのを確認してからMCを始める。

「“少し前にあったGUNSLINGERのワンマンに行った人いる? その時に新曲演ってたでしょ? 今日の一曲目にも演ったけど。俺、あの曲すげー好きなんだけど、歌詞が気に入らなかったからさ。俺が詩を新しく書いた。で、アレンジもちょっと変えて、もっとカッコイイ感じにしたからさ、聴いてくれる?”」

 俺はサエに視線を送る。それを合図に激しくギターを搔き鳴らすサエ。俺はマイクに手をかけた。

 息を吸い込む。



 手からこぼれ落ちる砂のように

 時は儚く 流れて行って


 僕の声は君に届きますか?


 まるで泡沫の夢

 どうか消えないでくれ


 そっと君に寄り添い

 ずっと鳴り響いてくれ

 この歌声よ


 手からこぼれ落ちる水のように

 戻らない日々 流れて行く


 君に僕は見えていますか?


 これは始まりの唄

 どうかこの唄よ届け


 そっと風に乗せて

 ずっと君の側で 鳴り響いてくれ


 この始まりの唄よ



 クライマックスは3つの音の追い立てる様なクレッシェンド。しかし、そこからベース、ドラムが徐々に音を落とし、最後はギターのアルペジオが優しく響く。テンポが徐々に遅くなる。それにあわせてステージの照明も徐々に落とされていく。

 音が止むのにあわせて、俺はゆっくりと丁寧に一礼した。

 フロアからの拍手と歓声。

 俺は頭を上げ、ステージを後にした。

 ステージ袖でノブが出迎えてくれる。

「おつかれ」

「サンキュ」

 手渡されたタオルを受け取る。

「どうだった?」

 問うノブの顔がニヤついている。

「最高に楽しいに決まってんだろ」

 応える俺に、後ろから誰かが抱きついてきた。

「いっちゃん! やっぱり俺が思った通りや!」

 サエだ。

「重いよ! つーか暑苦しい!」

「サエどけ」

 マコトがサエを引き剥がした。

「イツキさん、お疲れ様です」

「お疲れ。で、俺は合格? 不合格?」

 意地悪く訊いてみる。マコトはそれに苦笑して応えた。

「合格に決まってるやないですか。生意気言ってすんませんでした」

「いいよ。だからさ、そのよそよろしい態度も終わりな」

「はい」

 俺が右手を差し出すと、マコトはそれを力強く握り返した。その手のテーピングやマメの数から、彼の誠実さと真面目さを確信する。

 そんな俺とマコトのやり取りを遠目に見ていたタクミがひょいと近づいてくる。

「和解完了? よかったな、サエ」

「おう。ま、いっちゃんがヘタクソなわけないって俺は分かってたけどな!」

 俺を捉えるサエの視線。

「俺が求めとったロックスターそのものやわ」

 その言葉が俺の胸に突き刺さる。

 サエが、シゲちゃんが、俺の事をロックスターと言ってくれる。

 歌わないロックスターなんて、いない。

 俺は歌が好きだ。音楽が好きだ。ステージに立つ事が好きだ。

 シゲちゃんの曲が好きだ。その思いは変わらない。けれど、今、この瞬間に俺が歌いたい曲はサエの曲だ。それはシゲちゃんの曲を否定するわけじゃない。

 音楽が血液のように身体の中を巡るのだとしたら、俺の身体の中にシゲちゃんの音は間違いなく流れている。その俺がサエの曲を歌うのだ。その音もまた、俺の身体を巡る。たくさんの音が俺の身体を巡って溶けて混ざり合って、新たな音として俺が歌えたならば、それはとても素敵な事じゃないだろうか。

 そう思えたのは、サエが俺の歌を求めてくれたからなのかもしれない。ノブとヤナが背中を押してくれたからなのかもしれない。シゲちゃんが俺の歌を好きと言ってくれたからなのかもしれない。

 きっとそれら全部だ。

 アンコールの声が響いている。

「呼ばれてるぞ」

 ノブが言った。

「アンコールは1曲。暴れてやろうや、ロックスター」

 サエが俺の背を叩いた。

「ああ」

 俺は歌う。それが答えだ。

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ロックスターは歌わない 安東りょう @andandryo

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