#02. 誘い
夕暮れの駅前。俺は友人のライヴを観る為にそこに来た。季節は冬に変わる頃だったろうか。俺は黒のレザージャケットに、腿と膝の辺りが破れたダメージジーンズを穿いていた。胸元に届く長さの金髪はセットするでもなく、そのままに、首にまとわりつく髪を少し鬱陶しく感じていた。
帰路につくサラリーマンやOLの流れに逆らうように駅から出る。駅前には、何人かのミュージシャンが歌っていた。珍しい光景ではない。いつもの光景だった。
人の足音、話し声、ギターの音、キーボードの音、歌声。
いくつもの音が混ざり合っている。
そんな中、彼の音は、やけにはっきりと俺の耳に届いたのだ。
ギターを片手に彼は独りで歌っていた。
黒のロングコートに黒のハットを被っていた。ハットの下から覗く髪は赤い。華美ではない。けれど、派手さはある。そんな見た目に反して、ギターの音色は繊細だ。
その曲が、そのメロディが、あまりに綺麗で格好良かったから。俺は足を止めた。
歌いたい。この曲を歌いたい。そう、強く思った。
気づけば、俺は彼の目の前に立って、彼の奏でる音に聴き入っていた。
演奏が終わる。彼が顔を上げた。
夕日が彼の顔を朱く照らしていた。髪の赤と、日の朱。まるで、燃えているみたいだ。
目が合った。
「今の曲」
俺は彼に言った。
「俺ならもっとカッコ良く歌えるよ」
突然の挑戦的な物言いに、彼は一瞬きょとんとしたようだったが、すぐに俺に興味を持ってくれた。
「へぇー。凄い自信じゃん。君、ボーカルなの?」
「そうだよ。俺ならもっと良い詩でもっと格好良く歌うよ。だから、俺にその曲を歌わせてよ」
「詩も書くって? 本気で言ってるの?」
「本気だよ」
彼は俺の全身を品定めをするように見た。それからにやりと笑う。
「いいよ。歌ってみれば?」
俺はその場で詩を考え、彼の演奏で歌ってみせた。という事だったら良かったのだけれど、生憎、俺の記憶力はそんなに良くはない。一度聴いただけでは曲の構成、メロディの全てを覚えることができなかったのだ。俺がもう一度聴かせてくれと言うと、彼は声を上げて笑った。
「大口叩く割には普通じゃん。いいよ、デモテあげるからさ。次に会った時に歌ってみせて」
差し出されたCDの印刷面には何も書かれていなかった。俺がそれを受け取ると、彼は時計をちらりと確認する。
「もう行かなきゃ。俺はシゲ。来週も同じ時間にここにいるから歌いに来なよ」
そう言うと彼はギターを抱えて去ってしまった。
それが、俺とシゲちゃん——中野重行との出会いだった。
++++++++++++
こんなに通ってくるとは思っていなかった。
サエはあの日からほぼ毎日、店に来るようになった。来なかった日は別のライヴハウスに出ていただの、バイトをしていただのと、こちらが聞きもしないのに、店に来た際には教えてくれる。
Bitter Tearsを知っているかどうかについては、聞いていない。どう切り出すべきか考えているうちに時間が経ち、聞くタイミングを逃してしまったというのが実状だ。
彼が通い始めて一ヶ月が経っていた。
また歌えと、自分のバンドに入れと言われるのではないかと警戒していたのだが、彼は初めてここに来た日以来、誘い文句を口にしていない。ボーカルを探しているという話はするが、俺に対しての勧誘はしてこない。正直、拍子抜けだ。
元々話し上手なのだろう。くわえて、この店の常連客と音楽の趣味が合うようで、すっかり馴染みの客の一人となっていた。ここに通っているのは、単純に店を気に入ったからなのかも知れない。
はじめは俺と同じく警戒していたノブだったが、今ではサエと打ち解けているようだ。あまりキッチンから出ないヤナとも、いつの間にか仲良くなっているから驚きだ。これは常連客と同様に、音楽の趣味が同じだったというのが大きい。
しかし、そんな彼がここ数日、姿を見せていなかった。今までは空いても3日、週2回は店に来ていたのに、だ。
6日ほど彼の姿を見ていなかった。珍しいなとノブとも言葉を交わしていたら、彼はやってきた。噂をすればというやつだ。
時刻は22時をまわった頃だ。店内はそれなりに賑わっていた。テーブル席は全て埋まっている。しかし、料理は全て出し終わっており、どのテーブルもゆっくりとグラスを傾けているため、そこまで忙しいという感じではない。
入り口の戸が開いた。
「いらっしゃいませ」
俺がカウンターから声をかけると、サエは片手を挙げてそれに応えた。海外バンドのTシャツに、黒いジャケットを羽織っている。ボトムはラフなジーンズ。肩にはいつものギターケースを提げている。手にはエフェクタ—ケース。
テーブル席の注文を取っていたノブも、サエに軽く挨拶をする。その席の常連客もまた、サエに声をかけた。
「よう、サエ」
「おー。自分らまた来てたん?」
「お前には言われたくねーよ」
顔馴染みの客としばし談笑をする。それからテーブルの間をぬってカウンターにくると、俺の前の席に座った。手にしていたギターとエフェクターケースを傍らに置く。
「ビールでいい?」
俺が問うと、彼は頷いた。
ビールを出すと、それを一気に飲み干した。
「やっぱり、いっちゃんが入れてくれるビールが一番美味いわ」
彼は、いつの間にか俺を「いっちゃん」と呼ぶようになっていた。周りにそう呼ぶ友人や客が多いからだろうか。自分もそう呼びたいと言ってきたのだ。断る理由もないので、そのままにしている。
「そりゃどーも。もう一杯?」
「おう、頼むわ」
俺はオリーブと一緒に、新しいビールを彼の前に出した。今度はビールを一口だけ飲んでグラスを置く。彼がビールを飲み込むタイミングをみて、俺は声をかけた。
「珍しく、一週間くらい来なかったね」
「俺が来んくて寂しかったやろ?」
「全然」
即答すると、彼は分かりやすくずっこけた。関西人ってみんなこうなのだろうか。
ノブがテーブル席の注文をとって戻って来た。俺はサエの視線を感じながら、頼まれたドリンクを作る。
「なんで来ぉへんかったか訊かんの?」
「訊いて欲しいの?」
「訊いて欲しいなぁ」
そんなやり取りを、にやつきながら窺っているノブに作ったドリンクを手渡す。ノブがテーブル席にそれを運ぶのを見送ってから、俺はサエに視線を向けた。
「何で来なかったの?」
彼が求める問いをすると、嬉しそうに笑う。
「コレの準備が忙しくってな」
傍らのギターケースのポケットからビラを取り出し、こちらへ差し出してきた。
ビラを受け取る。GUNSLINGERのライヴ告知のフライヤーだ。
「ワンマン?」
「そ。こっちに来てから初のワンマンやねん。せやから」
彼はジャケットの胸ポケットからチケットを3枚取り出した。
「皆で観に来てぇや。この店、ライヴがないときは月曜定休日やろ?」
フライヤーをよく見る。2週間後の月曜日だ。200キャパくらいの渋谷のライヴハウスの名前が書かれていた。俺自身、何度もステージに立ったことがあるライヴハウスだ。
Tear Dropの定休日は月曜日だ。ライヴがブッキングされているときだけは営業を行っている。俺はカウンター脇の卓上カレンダーに視線を移した。2週間後の月曜日、ライヴの予定はない。
「今のところは休みの予定だね」
「なら問題あらへんな。その日はブッキングせんといてよ」
そう言って、チケットを渡そうとしてくる。俺は受け取るか迷った。
正直、サエのバンドは気になっていた。
今は歌っていないとはいっても、俺はバンドをやっていたし、音楽が好きなのだ。そして、サエに歌を褒められ、歌って欲しいと言われたことは純粋に嬉しかった。俺を誘うヤツがどんな音楽をやっているのか、興味が湧くのは当然の事だろう。
しかし、それと同時に一抹の不安がある。彼のバンドに再び誘われたらどうするのか。
サエは、歌いたいという俺の想いを見透かしている。だから、恐い。彼の曲を聴く事が。一緒にバンドをやろうと誘われる事が。
正直なところ、俺はサエの人となりに惹かれはじめていた。初めて出会った時のように、強気に断る自信がない。
逡巡する俺に、サエが苦笑した。
「怖い顔して、どないしたん? 安心してぇや、その場で歌えなんて狡い真似はせぇへん」
そのつもりなら3枚もチケットを用意なんかしないと、彼は冗談めかして言った。
「純粋に、俺らのバンドを観て欲しいねん。いっちゃんはもちろん、ノブさんとヤナさんにも」
再びチケットをこちらによこしてくる。俺は助けを求めるように、カウンターに戻ってきたノブに視線をやった。
「いいんじゃね? 観に行ってやろうぜ」
ノブは俺の手からフライヤーを取り上げ、目を通した。そして、俺にチケットを受け取るよう促す。俺はサエから3枚のチケットを受け取った。
「サエ、フライヤーまだある? ウチでも配れるけど」
「ほんま? おおきに。じゃあ、頼むわ」
先程と同様のポケットからフライヤーの束を取り出してノブに手渡す。
「しかし、これ綺麗に作ってるな。サエがデザインしたのか?」
「ちゃうちゃう。俺は曲作り以外の事はからっきしや。それはベースのタクミが作ってん」
サエが言うには、タクミは手先が器用でイラストやデザインをするのが得意らしく、GUNSLINGERのフライヤーやポスターは彼が製作しているそうだ。残念ながら、俺はタクミがどんなヤツなのかよく知らない。サエはGUNSLINGERのメンバーを店に連れてきた事が一度もないのだ。なぜ他のメンバーと来ないのか訊いた事がある。サエは今は無理なんだと、よくわからない回答をした。深く追求するほど気になる事でもなかったので、そのままになっている。
サエはグラスに残っていたビールを飲み干すと、胸ポケットから財布を取り出した。
「今日はこれで失礼するわ」
「早いね」
「これからスタジオ行かなあかんからな。いっちゃん達が来てくれるなら、もっとええ演奏にしたいし」
会計をすませると、サエは席を立った。
「またな。ノブさん、フライヤー頼むで」
サエが去ってから、俺はチケットを改めて眺める。
サエは「歌え」とはきっと言わないだろう。俺が一番恐れているのは、俺自身が歌いたくなってしまうということ。
彼の曲を聞いたとき、俺が何を思うのか。
ぐるぐると頭の中で考えていても仕方の無い事だとは分かっている。そもそも、GUNSLINGERがどんなバンドなのか、俺は知らないのだ。もしかしたら聴くに堪えない演奏をするかもしれない。けれど、サエを見ていると、とても魅力的な曲を彼らは演奏するのではないか、という気がしてくるのだ。
サエのあの自信ありげな笑みが脳裏に浮かぶ。
もしかして、俺は歌うきっかけを待っているのだろうか。
約束を反故する理由を求めているのだろうか。
俺はそれを期待しているのだろうか。
それらの考えを払拭するように頭を振った。
GUNSLINGERがどんなバンドであれ、どんな曲を演奏するのであれ、俺の約束には関係がない事だ。先ほど頭に浮かんだ馬鹿な考えを、改めて一蹴した。
俺は約束を破りはしない。どんなに歌いたいという衝動に駆られたとしてもだ。
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