相談と行動

「まあまあ、黒崎さんに鶴木君。それに茶倉先生まで」

「すみません、こんなにゾロゾロと……」

 先頭の茶倉さんが申し訳なさそうな声で頭を下げた。

 その後ろに続いていた俺と悠菜さんもそれに倣う。

「いいんですよ。夫も今日は用事があるとかで、退屈していたところです」

 本日二度目の訪問で、しかも病室に3人で押しかけたにも関わらず、香田さんは優しく笑ってくれた。

 昼休みが終わり、伝達管理部で出した結論は、たとえ可能性の話であっても、香田さん本人に事情を説明する。そして、その上で日程の変更をするかどうかを考えることとなり、茶倉さんも合流し、こうしてやってきたわけである。


 悠菜さんは言っていた。

 「生きている人は死に近い人に対して、どこか冷たくなってしまう」と。

 「人間は、そういう生き物なのかもしれない」と。

 今がどうこうの話ではないからか。

 未来、将来の話をしているから、か。

 未来を生きている方が、偉いわけでもなんでもないだろうに。

 言い方は悪いが、自己的で、利己的な生物だと思ってしまう。

 自分がそういう人間に会ったことがあるから、その言い方を肯定してしまうのかもしれない。


「娘さんと息子さんは?」

「孫の学校が終わってから来るかもしれませんがね、今日は来ないと思いますよ」

「?」

 来る可能性を口にしておきながら、次にきっぱりと否定した香田さんの言葉に、俺と茶倉さんは顔を見合わせていた。

「家は変なところで足並みを揃えるんですよ」

「そういえば、旦那さんも娘さんも息子さんも、一緒にお見舞いに来てましたね」

「私が個々にお見舞いのお菓子とかを持って来られても食べられなくて困るって言ったら、来る前に合流して、何を買うか決めてるみたいなんですよ」

「なるほど……」

「いつの頃からか、変な家族会議が開かれるようになっちゃって。重要なことは、家族で話し合って決めることがなんだか癖みたいになっているのかもしれませんね」

 「いい歳なのに、ちょっとお恥ずかしいです」と、香田さんは照れながらも、嬉しそうに笑っていた。

 その直後に、話が一段落したと見たのか、悠菜さんがちょっとだけ間を置いて本題を口にする。

「香田さん、娘さんが今週末に来られるという話は聞いていますか?」

「ええ。孫も休みだから皆で行くと言っていました」

「その時に、相続のお話をするということは?」

「それは、聞いていません。お見舞いに行くという連絡だけです」

「実は、娘さんから週末に私と相談がしたいと、茶倉先生の方へ連絡があったそうです」

「……」

 香田さんは次第に冷めていく部屋の雰囲気を感じていたようだったが、口を挟むことはせずに、悠菜さんの次の言葉を待っているようだった。

「これは、私共が感じたことであり、可能性の話ですが……」

 悠菜さんが次の言葉選びを慎重にしている、その間に「わかっています」と香田さんが呟く。

「ええ、わかっています」

 悠菜さんも茶倉さんも心配そうな視線を香田さんへと送る。

 娘さんが悠菜さんに会いたいと、その話を聞いただけで全てわかったのだ。

 今知ったことを喜ぶべきであるとは言い切れない。早かれ遅かれ、香田さんは知ってしまうだろう。それに、いくら娘さんが上手く母親を丸め込めたとして、母親の側からしてみれば、これほど簡単に気付けてしまう嘘もないのではないかと、俺は思う。

「本来であれば、私が口を出すべきことではないのですが……」

「いえ。教えてくださりありがとうございます」

 香田さんは俺達に向かって深々と頭を下げた。

「私達は香田さんの意思を尊重することが一番であると思っています。それでも、どうかお互いに納得のできる結論をお願いします」

「わかりました。夫とも話をしてみます。相談日時の方は変更せずにそのままでお願いできますか?」

「はい。では、当初の予定通り来週にお伺いします」

 俺は最後に一礼して、病室を出る茶倉さんの後に続いた。



 伝達管理部のソファでは、茶倉さんが人仕事終えたことに安堵した表情で座っていた。

 茶倉さん、今日の仕事いいのか……?

「ふぅー……なんとか、阻止できそうだな」

「わかんないわよ」

「なんだよ、随分弱気じゃねえか」

「あんたのその自信がどこからくるのか逆に疑問よ」

「根拠はない」

 茶倉さんは真顔で悠菜さんに言い切る。

 確かに、香田さんに対して、伝達管理部は状況を可能性の話で伝えただけである。この行動が阻止に繋がるかも、無駄に終わるのかも、誰にわかることではない。

「言い切ったわね……」

「ま、他人の家庭のことに口出さねえほうがいいし、口出せないんだから、待つしかない。なら多少根拠のない自信あったっていいだろ」

「……何その理論」

 悠菜さんはこれ以上付き合っても仕方がないという雰囲気で肩を竦めると、俺にソファに座るようにと促し、自分も茶倉さんの向かい側に腰を下ろす。

「さてと。時間も中途半端になっちゃたので……晴真君」

「はい」

「レアケースにもお目見えできたことだし、今日の問題です!」

「ここで?! ですか?!」

 一息つくように座ったところを、満面の笑みで心臓を一突きされた気分である。

「おいおい……随分唐突だな」

「はいはい、文句は聞きませーん。今日はこのレアケースに関しての問題です」

「俺、相続とか法律とかよくわからないんですけど……」

 今回のレアケースは相続に関するもので、相続欠格を未然に防ぐには伝達管理部がどうすべきか、という感じだった。

 もちろん、法律の勉強なんてしてきていない俺は、相続欠格なんて言葉も初めて聞いたくらいだし、相続も遺産関係のことだろうというイメージしか持っていない。専門的な話が来るとは思っていたが、方向の違う専門的な問題に、俺はスタートする前からリタイアの白旗を振ろうか迷っていたところである。

「気にしなくていいわ。そんな難しいこと私だってわからないもの」

「……えっと?」

「詳しいことは弁護士の先生に任せるしかないんだし。簡単な部分は一般知識として覚えておくだけでよし。わからないことは専門家に頼みなさい」

 悠菜さんが笑ってしまうくらい真剣に専門外には関わらないというので、俺は大きく頷いて答える。

「……わかりました。知らないことには首はつっこみません」

「よろしい」

「お前らそれでいいのか……」

 茶倉さんの呆れ声にムッとしたようで、悠菜さんは「あんたは外科の先生の仕事に口出すのか」と一言で茶倉さんを黙らせた。

「では問題! 香田さんはこの後どうするでしょうか?」

 とーってもシンプルな問題であることは一目瞭然だ。

 さーっぱりどういうことか全くわからない。

 わからないというか、知らないのだ。

 っていうか、今週末どうなるか決まることだ。誰かが知っているはずもない。

「……えと、わからないんですけど?」

 俺は悠菜さんに向かって、こう答えるしかなかった。

 一方の悠菜さんは、キョトンとした顔で俺を見たまま、何を言い出すんだとでも言いそうな雰囲気で笑い出した。

「そりゃあ、私も知らないわ」

「ええええ?!」

「お前、出題者も答えの知らない問題出すなよ……」

 茶倉さんも俺と同じ驚きを感じていたらしく、呆れ気味に悠菜さんを嗜める。

「ま、答えは来週教えてもらうとして、考えてみましょ。香田さんがどうすると双方にとっていい結果を生むのかを」

「は、はい」

 「今日は時間あるから電子ボードにまとめて」と言われ、俺は立ち上がって電子ボードを起動し、端末の準備を始めた。

「そういえば、茶倉いい加減に戻れば?」

 悠菜さんの向かい側でコーヒーを啜っていた茶倉さんが大きく息を吐き出して「今日は別」とだけ言うと、ソファに浅く座り直す。

「……悠菜」

「何よ」

「俺だって用事がないのに他部署に居座ったりはしねえよ」

「?」

 悠菜さんの反応が乏しかったのか、茶倉さんは眉間を押さえながら説明を始めた。

「あのな? 今朝、香田さんの話を持ってきた時ちゃんと言ったろ」

「何言ってたっけ?」

「あ、多分俺いなかったと……」

 悠菜さんに問いかけられたが、俺が部署に来た時には既に香田さんの面談の話が進んでおり、それ以外の話題を俺は今日聞いていない。

「そっか……えーっと……ああ、相談したいことがある、だっけ?」

「まあ……それだ」

 端末と電子ボードを操作しながら、聞き耳を立ててはいたが、茶倉さんが仕事よりも優先するような相談事があったとは初耳だった。

 でも、それにしては催促とかがなかったような……。

 香田さんの件が一段落した時点で悠菜さんに切り出しておけば良かったのではないかと、少し疑問にも感じる。

「それで? 何よ、相談って」

「……お前じゃなくて」

「は?」

 茶倉さんの声に、俺はいよいよわからなくなっていた。手元でフリック入力していた文字列が変換待ちで止まる。

 悠菜さん以外に、伝達管理部で相談する相手などいないだろうに、どういうことだと、俺は考えていたが、茶倉さんからの視線が気になってタブレット端末から顔を上げる。

「そんなわけで、仕事終わったらちょっと手伝ってくれよ晴真」

「……って俺ですか?!」

「お前、この部署のどこに悠菜以外の人間がいるんだよ」

「そ、そうですけど……。そんな相談に乗れることなんて……」

「あー、そこは心配しなくていい。お前以外の適任がいないから」

「?」

 俺は返す言葉もなく、茶倉さんを見つめ返していたが、相談相手が自分ではなく俺だということを知った悠菜さんには思い当たる節があったらしく、声を上げた。

「あ、インターンか」

「インターン?」

「来週から南見市総合病院としてのインターンがあるんだよ」

「ほら、説明会あったでしょ?」

「はい。覚えています」

 もちろん覚えてもいるし、実際に靖人も来ることになっている。

 ただ、来週からだというのは知らなかった。

「俺も担当になったんだよ。だから、病棟業務とかのシフトから外された……」

「茶倉さん、?」

「ああ、先生方に学生2人か3人つけて、色々とな」

「茶倉は?」

「俺は2人。で、晴真に学生のこととか聞きたいんだよ」

「が、学生のことと言われても……」

 確かに、俺以上にうってつけの人物がいないと言った意味もわかるが、俺とて茶倉さんの役に立てるようなことを言える素晴らしい学生ではない。

 俺の意見で行われるインターンが結構心配になってきた。

 茶倉さんだから、俺の意見を取り入れていいインターンになるだろうとも思えたが、結構心配だった。

「例えば、こういうことをやってほしいとか、インターンはこんな雰囲気がいいとか」

「えっと、今現在進行形でインターン中ですが」

「あ、そうだった」

「とりあえず、本当はこういうことをやってほしいとかな!」

「……はぁ」

 それを言うということは、目の前の悠菜さんに文句を言うことと同義であるのだが……。質問者・茶倉さんはまったく気付いてない。

「でも、すごいですね。インターンのためにシフトを変えるって」

「茶倉なんてただの暇人じゃないの」

「準備期間なんだってよ!!」

 来週のインターンについての意見を求められている中で、俺は来週からのインターン期間中、靖人からどう逃げ果せようか、そのことについて避難経路などを頭のなかでひっきりなしにシミュレーションをしていた。

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