CASE4 生者は死者に対して、冷淡なのか
疑心と欠格
インターンシップも中盤に差し掛かろうかとしていたある日。
急遽面談をして欲しいという担当医からの要望により、この日は朝一番で面談の予定になっていた。
もちろん、という訳ではないが、俺も同席した。そして20分程で終わり、部署に戻ってきたところで悠菜さんはミカンの皮をむきながら尋ねてきたのである。
「どうだった? 第2回面談参加の感想」
「いや、感想も何も……1回目って森岡さんですよね?」
忘れるはずもない、オセロ珍事件の元凶となった森岡老人である。
「そーね」
「イメージ違いすぎてなんとコメントしてよいのか……」
すごく、気構えて行った。
朝、出勤して、悠菜さんが嫌々な顔で「なんか! 急遽仕事入ったから面談行くよ!!」と怒り気味に言うものだから、いつも通り、俺は緊張の塊と化していたのである。
「それもこれも、茶倉のせいなんだけどさ」
1つ、また1つミカンを口に運ぶ悠菜さんの視線の先に、壁に寄りかかった茶倉さんがいた。
っていうか、この人いつもここにいるような気がする。
「ちょっと待て。なんで突然茶倉の責任問題になってんだよ。話の流れおかしいだろ」
「だってさー、茶倉がうるさいから、わざわざ面談に行ったけどさー。ミカンもらっちゃった」
「俺は煎餅もらいました」
話の流れはよくわからなかったが、俺も煎餅の小袋を茶倉さんに見せる。
「お前ら仕事しろ!!」
「あんたにだけは言われたくない」
「うぐっ……」
言い返された茶倉さんが言葉に詰まる。
今のは、悠菜さんが正しいと、俺も思う。
寧ろ、面談してきたのだから、悠菜さんは仕事してないわけではない。
「まあ、冗談はさておき。茶倉がうるさいだけはありそうね」
「そんなにうるさかったんですか? 茶倉さん」
「怪しかったからな。怪しかっただろ?」
「怪しい?」
茶倉さんは俺の問いに答えた後、悠菜さんに問いかけ直す。
悠菜さんはその質問に答えようとはせず、大きく息を吐き出してそっぽを向いた。
「今回の依頼人。今会ってきただろ?
「とても優しいおばあちゃんって感じがしましたけど……」
「そこに異論はないし、そこに問題はない」
俺の感想に、茶倉さんは頷く。
今しがた会ってきた依頼人、香田智子さんは俺達にミカンやら煎餅やらをくれたとても心優しいおばあちゃんだった。
「おはようございます、香田さん」
「あらあら、朝早くからすみませんね黒崎さん」
香田さんは黒崎さんと朝の挨拶を交わした後、俺の姿に気付いて柔らかく微笑んだ。
「今、伝達管理部に研修に来ている鶴木です。本日は同席させてもらいますがよろしいですか?」
病院内での俺の紹介は“研修医の鶴木”だった。
病院内でも、医師の先生方と挨拶をすることもあり、考え出された対策案でもあった。まあ、伝達管理部であることを言えば先生方は納得してくれていた。
「ええ、構いませんよ」
「鶴木です。よろしくお願いします」
「黒崎さんも随分お若い方だと思っていたのだけど、それよりもお若いのかしら?」
「は、はい。大学生です」
「あら、学生さんだったのね。お仕事のお勉強頑張ってくださいね」
「ありがとうございます」
俺は少し恥ずかしくなって、顔を逸らすように深々と頭を下げた。
そんなやりとりから始まったんだったなと思い出した俺はどうしても、というか、何もかも腑に落ちなかった。
「さっきお会いした感じでは、何が問題なのか全然わからなかったんですけど」
「問題は娘と息子の関係らしいのよ」
「……家族関係、ですか?」
「香田さんは今すぐ伝達物を作成しようとしてるわけじゃない。だけど、今回の入院をきっかけにして伝達ってものを知ったらしくてな。声かけてみたんだよ。話だけでも聞いてみますかーってな」
「香田さんの主治医、茶倉さんだったんですか」
「そーいうこと」
どうりで病室に向かう前の確認をしなかったわけだ。茶倉さんは、朝から伝達管理部にいたのだ。そこで既に相談と確認が終了していたと考えれば納得できる。
「香田智子さんと旦那さんが、まずはってことで相続に関して悠菜と相談してたんだ」
「相続って、親のお金を子供に分ける……アレですよね?」
「そう。こういうのはちゃんと文書として残しておいたりしないと結構大変でね……。私も専門ではないんだけど、相談内容を本部局の人とやりあってなんとかしてたんだ」
「香田夫妻の考えは、子供に平等にってことだった。が、娘と息子の仲があんまりよろしくない」
茶倉さんのテンションが2段階ほど下がっていく。
「……仲が、よろしくないと何かあるんですか?」
「別にね、兄妹喧嘩してるくらいなら何もないし、こっちが首を突っ込めるわけじゃないんだけど……」
「昨日な、娘さんから電話がきたんだよ。面談の日程を組んで欲しいってな」
茶倉さんの言葉に、俺は首を傾げて電子ボードの表示を予定表に切り替えた。香田さんという名前を聞いた時から思っていたことだったが、予定表を改めて確認してみると、明らかに変だとわかった。
「香田さんの面談の予定、ありますよね?」
「そ。既に決まってる日程が存在しているの」
日程は、もちろん今日ではなく、来週に組まれている。
わざわざ日程を変更する理由があるのだろうか。
「その日程の変更ですか? って聞いたら、そうだって言うんだよ。母ともう一度話合いをするから、それが終わったら私と面談してくれるように組んでくれって」
「今まで娘さんや息子さんとの面談はしていたんですか?」
子供達が悠菜さんとの面談をしたことがあるというなら、都合上の日程変更も考えられなくもない。そう思って俺は悠菜さんに聞くも、悠菜さんは即座に首を横に振った。
「旦那さんは一緒に面談していたんだけど、お子さん達はないわ。お見舞いに来ているのを見かけたりしたことはあるけど、話をしたことはないの」
「んで、怪しいってな」
「さっきも言ってましたね。どういうことなんですか?」
香田さんの何が問題なのかは理解できた。
次の問題として、俺が気になっているのはこの部分だ。
すなわち、茶倉さんが何を怪しいと感じたのか。
「娘が遺産相続をコントロールして、自分だけに与えるように仕組むんじゃないかって話だ」
「え」
状況の理解が追いつかず、呆然とした俺にどう説明しようか迷っていた茶倉さんに代わり、極端な例を挙げたのは悠菜さんだった。
「娘さんが私と面談して、両親の意思は私に全てを相続することですーって言ったとするじゃない?」
「えっと、仮定の話なのでツッコミはしないほうがいいですか?」
半人前以前の伝達管理部研修医である、俺ですらわかるほどの問題点を含んでいたので、俺はあえてスルーすべきかを確認する。
「うん。で、もしもこれを伝達管理部として記録しちゃうとする」
「ダメですね」
これは以前の面談を行った時に教えてもらったことなのだが、面談が終われば、その面談内容を記録するための書類を作成する。実際、資料室に保管されているファイルの中身の大半がこの面談記録である。
まさかそんなものに、本人の意思ではないものを記載して残すわけにはいかないだろう。
「伝達物の作成の面談じゃないとは言っても、記録として残しちゃうと、ちょっとねぇ……。もしも本当に作るってなった時に記録を引っ張り出すから、どうしてもそっちに意見が偏る可能性があるわ」
「本人の意思を、他人が操作してしまう……ですか」
「そういうこと。で、茶倉が怪しいって言って、娘さんへの返事を保留にして私のとこに来たのよ」
「なるほど……。ホントに詳しいですね、茶倉さん」
これは本心からくるものだった。
本当に、悠菜さんの一番の理解者は茶倉さんであると、再認識した場面でもある。
「まあ、一緒に仕事する仲でもあるからな。お互いに協力して防げることがあるならすべきだろ」
「あんたほど伝達に知識のある先生がいないから私は大変なのよ」
「じゃあもっと茶倉に感謝しろよ!!」
「はいはい。ありがと茶倉」
「軽い!!」
いつも通りの茶倉さんと悠菜さんのやりとりを見ながら、俺は煎餅を割って頬張った。
喧嘩するほど仲がいい、というか。
信頼って、こうやって築いていくものなのか……?
とりあえず、茶倉さんって口じゃ悠菜さんに勝てないんだろうか。
昼休み。昼食を食べ終わった食堂で、悠菜さんは唐突に切り出した。
「レアケースとご対面した感想は?」
「いや、なんというか……思ってもみませんでした。こんなことが起こるなんて」
正直、伝達管理部の仕事を実際に体験したり、話を聞いているだけでは考えられない事態でもあった。
「それが普通。本来ならこんなことにはならないんだけど、どうしてもね。今生きている人は死に近い人にはどこか冷たくなっちゃうところがあるのよ。人間って、そういうもの、なのかもね」
「そういう、ものですかね……」
寂しそうな顔をした悠菜さんの言葉を心の中で繰り返しながら、俺は相槌のような返事をする。
俺だって人間の本質とか、そういう難しいことはわからない。それでも、悠菜さんの言った言葉がわからないとも言えなかった。
実際に、前回の面談の時だって、言い方は悪いが森岡さんは娘さんに蔑ろにされていたとも言えるのだ。自分が感じてしまったことと、今回の事が重なってか、いつも以上に悠菜さんの悲しみが深く俺にも突き刺さっているように思えた。
「でもね、こういうことって未然に防がないとね。双方にとって良くないのよ」
「まあ、勝手にお金を独り占めしようとしたわけですし……」
「いやいや、もっと良くないの」
「もっと?」
独り占めしていたことで、家族内の雰囲気が悪くなって双方に良くないことくらい俺にもわかるのだが、もっとと言われるとよくわからない。
「相続に関してね、遺書の捏造とか勝手に破棄しちゃうことって、法律違反の重大な不正行為にあたるのよ」
「なんか、いきなり話が大きくなりましたね」
「ホントに大きな話なのよ。これやると、“相続欠格”って言うんだけど。意味はそのまんまね」
「その、相続人としての資格を失うってことですか?」
相続欠格なんていう初めて聞いた壮大な言葉に、俺は恐る恐る答える。
「正解。不正にお金をもらおうとして、1円ももらえなくなっちゃうのよ」
「争いの火種の匂いがします……」
「うん。悪いことをしたら罰せられるのは当たり前だからそんなことも言ってられないんだけどね。だから、防止って意味では私達も気をつける必要があるのよ」
「じゃあ、やっぱりこういうことを知ってる茶倉さんがいるっていうのは頼もしいですね」
茶倉さんが怪しいと言って悠菜さんのところに来た意味と、悠菜さんが朝一番で面談予定を組んだ意味がわかったような気がした。
それに、悠菜さんが言っていた通り、茶倉さんみたいに伝達に詳しい先生が多いわけではないが、とても心強い協力者がいるということは事実だ。
「まあ、ね。……本人に言うと調子に乗るから言わないだけよ」
「……もう少し言ってあげてもいいと思います」
ちょっと照れた悠菜さんに、俺はそっと呟いた。
茶倉さんが調子に乗るとか乗らないとかはよくわからないが、もう少し褒めてあげてもいいような気がしたのは今日初めて思ったことではない。
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