森の赤ずきん

第6話「マッチの犠牲は無駄じゃない! ……と思いたい」

 家を出てから丸二日。俺たちは時々睡眠をとりながら、王都を目指して歩き続けている。まあ、歩いているのは俺だけなんだが。


最初は馬車が通ってならされた道を進んでいた。が、森を抜けた方が近いとリリアが言うので、途中から道なき道を行くことに。うっそうと茂る木々、規則性のない地面のくぼみ。極め付けは両手に抱えたリリア。歩くスピードはかなり落ちた。疲労が溜まるのも早い。俺は傍にあった大きな木の幹に背中を預け、地面にどしんと腰を下ろした。


「ちょっと休憩……」

「また休憩? これじゃ道を辿った方が近いんじゃないかしら」


 リリアはあきれ顔だが、ごもっともだ。森に入ってから、休憩の回数は多くなっている。まさかこんなにペースが落ちるとは思わなかった。体力にはいくらか自信があったんだが。


「お前が大人しくリュックに入ってくれれば少しは楽なんだけど」

「さあ、休憩しましょう」


 リリアの熱い手のひら返し。どうしてもリュックには入りたくないらしい。上を見上げると、木々の隙間から空が見える。青かった空がもう橙色に染まっていた。すぐに夜になるだろう。

「いや、夜まで歩こう」

 夜は視界が悪くなって危険だ。リリアを抱えたままだと松明一つ持つのにも苦労する。今の内になるべく進んでおきたい。俺はリリアを抱え直すと、ゆっくりとまた歩きだす。




「あれ? なんかこのへん広くねえか?」


 夜の闇があたりを覆いだした時、俺たちは突然、木々がまばらに生えている場所に出た。良く見ると、ちらほらと切り株になってしまった木が、そこら中に見える。綺麗な断面から、人間の仕業だと容易に想像がついた。


「人が近くに住んでいるのかしら」

「かもしれないな」


 俺は暗い森の闇の向こうから、人々の生活する音が聞こえやしないかと神経を集中させたが、無駄だった。闇は大きく口を開け、光も音も、全てを飲み込んでしまっている。

 俺は諦めて、近くにあった丁度いい高さの切り株に腰かけた。前にある切り株に、向かい合う様にリリアを安置する。やっと重労働から解放された両の腕が、とても軽く感じられる。


「今日はここで休もう」


 俺はその辺に落ちている石と小枝を拾い集め、たき火の準備をした。リュックからマッチ箱を取り出す。


「げっ」


「どうしたの?」

「マッチがあと一本しかない」

「火をつけるのに何本も何本も使うからでしょ」

 リリアが露骨にため息を吐いた。

「しょうがないだろ。中々火がつかないんだから」

「手際が悪いのよ。物資は貴重なんだから大事に使わないと」


 リリアの説教を聞きながら、最後の一本に火をつける。ジュッと気持ちのいい音をたて、マッチの先端で小さな炎が踊り出した。


 何としても、この一本で火をつけなくてはならない。俺は乾燥した落ち葉をかき集め、マッチを慎重に近づけていく。


 その時、一陣の風がタイミングを見計らった様に吹き、落ち葉を巻き上げた。


「「あっ」」


 もちろん、マッチのか弱い炎が無事な訳がない。貴重な最後のぬくもりは、あっけなく俺たちの前から姿を消した。


「最悪な夜になりそうだ……」


光源は月があるからまだいいが、熱源がないのは痛い。夜は冷え込むし、何より調理ができない。


「小僧、ぬくもりが欲しいか?」


 リリアが声を低くして、上から目線で告げた。正直、今はそんなノリに付き合うほどの元気はないのだが、この寒いノリよりも、夜の寒さの方がきつい。


「ほ、欲しい! 夜の寒さに負けないぬくもりが欲しい!」

「うむ、よかろう。私をその枝の前へ連れて行け」

「こうか?」


 彼女を抱きかかえて、火が付くのを待っている枝たちに向けて掲げた。その動作の時、彼女の眼が赤く燃え上がるのを俺は見逃さなかった。


「ふ~」


 彼女が思いっきり息を吐くと、その息の軌跡を追う様に、炎が豪快に現れた。炎は枝たちを包み込み、ものの数秒でたき火は出来上がった。


「どう? すごいでしょ」


 リリアはしたり顔だ。しかし、俺はたき火に火がついた感動よりも、魔女の口から炎が出たことへの驚愕で、あっけにとられていた。


「魔者はみんな火が噴けるのか?」

「さあ、どうかしら。あまり他の魔者がやっているのは見ないわね。私だって首だけじゃなければ、もっと優雅に火をつけていたわ」

「……というかそれできるんなら最初からやれよ‼ 何で今なんだよ!」

 俺の脳裏に、儚くも無駄死にしていったマッチの顔が浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。みんな同じ顔だけど。

「あなたが火をつける為に悪戦苦闘しているのが面白かったからよ」

「さっき物資は貴重だから大事にしろとのたまっていたのはどこのどなたでしょうねえ⁈」

「うるさいわね。私の明日を生きる糧になったんだからいいじゃない」

「お前不死身じゃねえか! 糧なくても生きていけるよ!」


 リリアが「早く降ろしてよ」とうざそうに言ったので、俺はそそくさと彼女を元いた切り株の上に降ろしてやった。

 黙ってたき火の火だけつければいいものを。どうして俺のイライラの導火線にまで火をつけてしまうのか。

 彼女の顔が、たき火の明かりを受けて煌々と輝いている。黙っていれば本当に美人なんだが。


「何? 私の顔にゴミでもついてるの?」

「いや、別に……。なあ、他にはどんな魔法が使えるんだ?」

 君の顔に見惚れていたなんて言えるわけがない。強引に話題をそらす。

「そうね。他には特に使えないわ。周囲の光を曲げる偏光魔法、自在に火を操る魔法、私に使えるのはそれだけよ。後はおまけで不死身って感じね」

 なるほど。伝説の魔女といえど使える魔法は限られているらしい。


「魔法を使うと疲労するのか?」

「そうね。体力を消耗するわ。この程度なら、どうってことないけど。せっかく時間があるのだから、少し魔法について教えてあげる。私がどのレベルのことまでお喋りしていいのか、テストも兼ねてね」


 リリアが舌を出した。そうだ、彼女は発話に制限をかけられているのだ。ファルマが隠したがっている秘密。そのヒントがこれから彼女の口から紡がれる、無数の言葉の連なりの中にあるかもしれない。


 静寂の中に、枝が爆ぜる音だけが聞こえる。俺は一言も聞きもらすまいと、身を乗り出した。それを見た魔女は、満足そうに笑う。


「まず、魔者は一人で魔法を使えるわけではないわ。魔法はね、絆なのよ」

「絆……?」

「そうよ。どこか遠い遠い東の国には、八百万の神といって、万物に神が宿るとされる信仰があると聞いたわ。それは、あながち間違いじゃない。私たち魔者は、その万物に宿る精霊或いは神と繋がりを持つ。その絆の証として、魔法というものがあるの」

「じゃあお前もその精霊とやらが見えているのか?」

「いいえ、見たことはないわ。魔者には声が聞こえるだけ。魔者というのは先天的な性質ではなくて、後天的なものなのよ。普通に生活していたら、ある日突然、声が聞こえるの」

「声……」

「そう。まあ声といっても、私たちの言語を喋れる訳じゃない。何て形容すればいいかしら……まあ耳鳴りの様なものね。耳鳴りなんだけど、何となく意味が分かる、みたいな」

 俺も耳鳴りは経験したことはあるが、そこから意図の様なものを感じたことはない。俺はやはり、良くも悪くも普通の人だということだ。だが、魔法が後天的な性質であること。それはつまり、もしかしたらこの先、俺が魔法を使える日が来る可能性もあるということでもある。


「その声と意思の疎通をしてしまったら、望む望まないに関わらず、絆が生まれ、魔法が使える魔者になるってワケ。だから魔者は、その精霊の性質により使える魔法が変わってくる。私は太陽ノ魔女だから、文字通り太陽の神様と繋がってるのよ」

 なるほど。それで使えるのは火や光の魔法なのか。


 だが、疑問が残る点がある。それは彼女があの晩、俺にかけた呪いという魔法だ。あれはどこをどう考えても、太陽の性質と接点があるとは思えない。うまく光と火の魔法を使った応用技、もしくは見せかけだけのトリックか。


 しかしあの時、確かに俺の体は彼女の思うままに動いた。あの首に突き付けられた刃の冷たさも本物だった。決してまやかしの類いではない。


 彼女に呪いについての説明を求めるべきじゃないだろうか。


 俺が質問するよりも先に、リリアが口を開いた。

「私からは以上よ。では、対価としてあなたの話を聞かせてもらうわ」

「俺の? 特に話すことはないぞ」

 リリアが悪い笑みを浮かべている。


「お風呂で私見ちゃったのよね~」


 見た? お風呂で? 何の話をこいつはしているんだ。しばらく考えてみたが、これといった何かを見られた記憶はない。


 いや、待てよ。風呂に入る時すら肌身離さず身に着けている物があるじゃないか。俺は十の指輪をはめた両の拳を、思わず握りしめた。まずい。これは俺があいつからもらった、大切な物だ。そして、俺のリリアに対抗できるたった一つの、最強の切り札だ。別にリリアを信用していないわけではないが、万が一ということもある。呪いで体の自由が効かない時には、この指輪だけが頼りなのだ。


「ふふふ。あなたも油断したわね」


 まさか風呂の時にマークされていたとは。さすが伝説に聞く魔女だけはあるということか。さて、どうする。ここでみすみすこの指輪を奪われるわけにはいかない。

 俺が額に汗を垂らして焦っている間もリリアは喋り続けている。


「まさかそんなにしょぼかったなんて、ちょっとがっかりだわ」


 俺は指輪を見る。指輪は火の光を受けて、銀色に輝いている。確かに一つ一つは小さいただの指輪だ。が、魔女がもしこの指輪の力を見抜いていたら、「しょぼい」などと形容するか、いや、しないはず。

 とすれば、だ。彼女が何を指してしょぼいと言っているか。風呂場で見た、俺の何か。全裸の俺の、しょぼいナニか。


「あああああああああああああ!」

「うわ! びっくりしたじゃない! 何なのよ⁈」


 俺の脳みそに電撃が走った。そうか、そういうことか。全て繋がった! 最初に浮かべたあの笑み、あれはリリアが俺をからかう前に浮かべる笑みだ。そうに違いない。そして風呂場で見ちゃったナニか。さらにそいつはしょぼいときたもんだ。これは間違いないぞ。つまりリリアはこう言いたいのだ。「そんなお粗末なものをお持ちなら、さぞ寂しい人生を送ってきたんでしょうね。少しお話しを聞かせてもらってもいいかしら?(嘲笑)」、と。


「……って誰が一生独り者だああああああ!」

「はあ⁈ そんなこと私一言も言ってないんだけど!」

 リリアが可哀想な人を見る目で俺を見る。


「あなた、何か勘違いしてない? 私は“レベル ”について聞かせて欲しいって言ってるの」


「え⁈ レベル⁈」

「そうよ。狩人に教会から与えられる、そのレベルについて詳しく聞かせて欲しいの。あなたのレベル、腹部に刻印されているでしょ? お風呂で私気付いたのよ」

「ああ、何だレベルか。なるほど、そうかそうか」

 どうやら俺は勝手に一人であらぬ妄想をし、そして勝手に一人で納得していたらしい。良かった、男の尊厳を馬鹿にされずにすんで。


「何を勘違いしてたのか知らないけど、あなたのそのご自慢のナニは、小さすぎて目に入らなかったから見てないわ。安心して」


 リリアが呆れ顔で言った。彼女はフォローしたつもりなのか、はたまた俺を傷つける為にわざと言ったのか定かではない。が、一言多かったのは事実だ。おかげで俺の尊厳という名の要塞が、こうもあっけなく、ガラガラと音をたてて崩れ去ってしまったのだから。

 ああ、無情。

「あら、泣いてるの?」

「べ、別に泣いてねえし!」

 これぐらいで泣いてなんかいないんだからね!


「なら良かった。話を戻すけど、レベルのシステムについて教えてくれない?」

 無慈悲な話題転換。俺の傷はまだ癒えていないのに。

 リリアが真剣な表情で聞いてくるので、俺はズタズタにされた精神を奮い立たせて、何事もなかった様に質問に応じるしかない。


「知っているとは思うが、教会とは狩人の管理を王に任されている組織のことだ。狩人になる時は組織の者に、身体のどこかにレベルを刻印される。魔物を倒した時に流れた血を、刻印された“レベル ”が吸収する。それを組織の者に差し出すことで、レベルは増加していく。そうして、レベルに応じた強さの魔法武器が支給されるんだ」

「なるほど……」

 珍しくリリアが真面目な顔をして考え込んでいる。どこか引っかかる所があるのだろうか。


 俺は弱くなったたき火に新たな枝をくべる。放り込んだ枝は、もう炭になってしまった古い枝を砕いて、自らの居場所を手に入れた。だんだんと、また炎が強くなる。


「それであなたのレベル、一二というのは強いの?」

「はっ、レベルなんかじゃ俺の強さは測れないぜ」

「それはレベル的には自分は雑魚だと言っている様なものよ。やっぱりしょぼかったのね」

「しょぼい言うな! これには深~い訳があるんだよ!」

「深い訳、ねえ……」

 リリアがあからさまに疑っている。しょうがない、少し話してやるか。

 俺は話を整理する為に黙った。静かだ。とても静かだ。彼女は俺がどんな話をしてくれるのかと、期待に目を輝かせている。心地よい沈黙だ。たっぷりとその沈黙を味わってから、俺は口を開いた。


「狩人になってほぼ一年。俺はまだ魔物を殺したことがないんだ」


「は?」


 リリアが目を丸くしてこちらを見ている。無理もない。狩人とは魔物を殺す者だ。狩人になったのに魔物を殺していない奴なんて、この国中探しても俺一人だと思う。

 だが、リリアが気になったのはそこではないらしい。


「それならどうしてあなたは十二もレベルが上がったの?」


 魔物を殺していないなら、レベルはゼロのはずだと思ったのだろう。だが、それは厳密にいえば違う。魔物を殺さずとも、レベルは上げられる。


「狩人になりたての者は、まず初心者同士でチームを組み、弱い魔物を倒して、レベルを上げていくというのが定石だ。さっきも言ったが、レベルが上がらないと、強い魔法武器は支給されない。初心者がいきなりS級の化け物と戦うことになりゃ、そいつは蟻同然だ。簡単に捻りつぶされる。だからこの弱い魔物を倒す、いわばレベリング段階で少なくとも一匹は魔物を殺すことになるんだ」

「じゃあ、あなたは?」

「俺はあの最強の男、ファルマの甥っ子だということで、少し目立っていた。おじさんは国民には好かれていたが、同業者の中には妬む輩が少なくなかった。それで俺はいわゆる期待の新人いびりに付き合わされるはめになったんだ。そう、初の魔物との戦闘で俺は、S級の魔物と戦う羽目になった」

「そんな……」


 彼女なら「死ねばよかったのに」とか、「逃げ回るだけで何も出来なかったんでしょ?」とか、軽口を言うものと思っていた。しかし彼女は悲しい表情を浮かべているだけだ。

 彼女もいわば伝説とされている魔女だ。おまけに不死身。嫉妬されることも珍しくなさそうだ。過去に何か思う所があったのだろうか。美人は悲しんでいる時も絵になるが、空気が重い。これはいただけねえ。俺は話を続けた。


「まあ一人って訳じゃなかったし。ベテランの狩人もたくさんいたんだぜ。すっごい装備の。俺は何も出来なかったが、周りが何とかしてくれたよ。おかげで俺は今もピンピンしてる。それでレベルの話だが、要するに俺はそのエス級の魔物を倒したおこぼれを貰ったってわけ。魔物を殺さずとも、その流れた血さえあれば、レベルは上がる。一気に十二も上がったんだぜ? 報酬もがっぽり出た。まあその時に色々あって、それ以来魔物とは戦っていないんだが」

「色々って?」

「それは教えられねえな。お前あの時俺の話を聞いて大笑いしただろ。アレ、結構傷ついたんだぞ。だからまだ教えてやらねえ」

「え~。ケチ、小心者、短小」

「短小は余計だ!」

 クスクスとリリアは控えめに笑った。良かった。またいつものリリアに戻った。

「でも、いつかは話してくれるんでしょうね?」

「ああ、もちろんだ。そのうち話してやるよ。だから今日はもう寝ようぜ」


 すっかり話し込んでしまった。朝はすぐにやってくるだろう。また明日も俺は歩かなきゃならんのだ。


「私は見張りをするわ。」

「おう、すまんな」

「いいのよ。もう屋敷で十数年も寝て、寝飽きちゃったんだから。私のことは気にしなくていいわ」


 リリアは、俺が歩いている時に睡眠がとれると言って、夜はずっと起きて、見張りをしてくれる。とてもありがたいが、結局彼女は昼間も起きて、ずっと景色を眺めているのだから、疲れが溜まっていないか心配だ。だから夜は交代で見張りをしようと前の晩に提案したのだが、そこは譲れないと一歩も引かない。多分、昼間俺だけに歩かせているのを引け目に感じているのだろう。結局、俺が折れた。今日また同じ提案をした所で、結果は見えている。俺は素直に、彼女の優しさに甘えることにした。

 リュックから毛布を取り出し、くるまった。昨日彼女にも毛布を被せようとしたら、視界が狭まるからいいと言われたので、今日はもうしない。代わりにたき火が消えない様に、枝をたくさん拾ってきた。彼女は一人、夜の闇の中で過ごす。せめてその闇の中で寒くないことを祈るだけだ。俺は目を閉じた。


「おやすみ」

「おやすみ」

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首だけ魔女との数奇な旅《エキセントリップ》 言霊遊 @iurei_yu

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