第5話「およそ2kgの頭を両手に抱えて」

 自分の体にかかる、空気以上の重力がもたらす負荷により生じる不快感で、俺は眼を覚ました。はっきりしない意識の中で、首だけを動かし身体にかかる重さの原因を探す。


「おはよう、お兄ちゃん」

 ソフィの眠そうな声が、俺の腹の上から聞こえてきた。俺が眠ってしまった後、彼女も眠ってしまったのだろう。ソフィはあくびを一つ、また俺の腹の上で睡眠を再開し始めた。

「重いから起きろ。」


 いつもは早起きで、俺を起こしにくる妹が眠り足りないと言っている。昨日遅くまでリリアとおしゃべりでもしていたのだろうか。よくよく考えてみると、リリアとソフィは気が合うんだろうな。二人は似た者同士の様な気がする。元気はつらつという点で。


 首を少し回してリリアを探すと、リリアも棚の上でスウスウと寝息を立てている。その寝顔はあの時、地下室で見た時よりも柔らかく見えた。少なくとも一人ぼっちだった時よりかは、安心できているんじゃないだろうか。うん、そうだといいんだが。


「お兄ちゃん」

 ソフィがどこか不安そうな声で俺を呼んだ。

「ん? どうした?」

「何だかね。耳がキーンってするの」

「それはね、耳鳴りって言うんだ。俺でもたまになるし、お父さんだって耳がキーンってするもんだ。全然怖い事じゃないぞ」

「そっか! 安心した! お兄ちゃん物知り!」

「当たり前だろ。なんせ俺は人類最強の男の甥っ子なんだからな」

「息子ならかっこいいけど、甥っ子って微妙な距離感だね」

「う……」

 さっきまではお兄ちゃんすごいムードだったのに。うちの妹はハッキリ物を言う。


「おはよ~」

 ふぁあ、と大きなあくびをしながら、リリアが間の抜けた声で起床を告げる。ソフィとのお喋りで起こしてしまったか。

「良く眠れたか?」

「ええ。地下室よりずっといいわ。寝返りがうてないのが難点だけど」

 そこは我慢してもらうしかないだろう。というか、寝返りをうつ必要があるのだろうか。俺はそんなことを考えながら、ベッドから腰をあげた。

「どこに行くの?」

「風呂入ってくる」

「お風呂! 私も連れてって!」

 リリアがさんさんと目を輝かせている。そういえばこいつ、十数年風呂にも入ってないのか。しかし、俺と入るわけにもいかないだろう。俺は妹を見た。

「頼んだ」

「任せといて!」

 妹が逸らした胸に拳を当てた。寝起きなのに元気な奴だ。

「お姉ちゃん、あたしとお風呂入ろう!」

「イエス、マイエンジェル!」

 リリアは心の底から嬉しそうだ。多分、ソフィに死ねと言われたら喜んで自殺するだろう。あ、死ねないのか。



「ふー」

 俺が体を湯に沈めるにつれて、体を温かさが包んでいく。肩までつかれば、極楽だ。久しぶりの一人の時間に、俺は両手の全ての指にはめた十の指輪を眺めた。指輪はたちのぼる湯気の中で、鋭い銀の光を放っている。

「やっと手がかりが得られたぞ」

 指輪に話しかけても、返事がある訳がない。もちろん、この指輪を生み出した主にも、決して俺の声は届かないだろう。出題者は死んだ。採点者もいない。果たして世界の歪みとは何なのか。

「さっぱり分かんねえな」

 俺の呟きは湯気と共に誰にも聞かれず消滅するはずだった。


「何が分からないの?」


「え、ああ……うん?」

 何故か俺の目の前には、リリアを抱えたソフィがさも当然という様に入浴していいた。俺のふとももにまたがっているので、下手に動けない。まだ肉のついてないそのお尻の、皮膚の下にすぐある骨が太ももにこすれて痛いのだが、我慢する。

「悩みが多い年頃なのよ。思春期のガキってのは」

 リリアがニヤニヤと俺の顔を見ている。

「俺の風呂の後に入れと言っただろ!」

「あら、いいじゃない。私、見られて困るものなんてないもの」

 そりゃそうだ。なんせ生首だからな。しかしこちらにはあまり見て欲しくないものがあるのだ。気付かれない様に指輪をリリアの視界から外し、解答を求める様に妹に視線を送る。

「お母さんが一緒に入れば、て。もう朝ご飯まであんまり時間ないから」

 ぐぬぬ。母さんの差し金か。朝寝坊がまずかった。

「ソフィはいいが、お前は出ていけ」

「はあ⁈ この中で私が一番お風呂に入りたいのよ! あとシスコン!」

「知るか! お前といると気が落ち着かないんだよ! あとシスコンは余計だ!」

 パッとリリアの顔が赤くなる。

「私といるとドキドキする⁈ やだ。こんな所で愛の告白なんて……」

「わお。お兄ちゃん、大胆!」

「ああ言えばこう言う!」

 風呂場が一気ににぎやかになった。静かな風呂も好きだが、こういうのも悪くない。特に、旅に出る日なんてのは。俺はまだ何も知らない妹と別れの前に、この時間を大切に過ごすことに決めた。



「俺、おじさんを探しに行くよ」

 朝食の席。俺は家族と、そして今日は朝飯の席に一緒についたリリア(やはりご飯は食べなくていいらしい)に向けて言った。ここが正念場だ。果たして、父さんは許可してくれるのか。屋敷の鍵を貸すだけでも心配してくる息子想いの父親が、危険が伴う可能性のある旅に俺が出るのを。

 食卓がシンとしてしまっている。今、ここにいる全員が父さんの次の一言を待っている。父さんは母さんを見て、それから俺を見た。


「ファルマに会ったら、よろしく伝えといてくれ。」


「お、おう。……って良いのか⁈」


 拍子抜けだ。こんなあっさり許可を出してくれるとは思わなかった。

「ファルマを探しに行くより、狩人の仕事に行く方が、危険だろ。狩人の仕事をお前が始めた時点で、もう父さんは止めることは出来んよ。」

 そういえば狩人の仕事がやりたいと言った時も、散々口論したんだった。あの時は確か……。

「昨日の夜にね。こうなることは分かってたから、私が父さんを説得したのよ。」

 母さんが笑って言った。そうだ。狩人になりたいと言った時も、母さんが父さんを丸めこんだんだった。恐るべし母の力。母さんの前では、父さんのいかつい容姿と鋭い眼光は無力と化す。

「いいか、無茶だけはするんじゃないぞ」

「分かってるって。父さんは心配性なんだから」

「息子の心配をしない親がどこにいるんだ」

軽口を叩く様に父さんは言っているが、目が笑っていない。

「それと、リリアさんは何かと不自由だろうから、お前がサポートしてやるんだぞ」

 リリアがそれを聞いて、ニヤっと笑った。

「気持ちだけで十分ですよ。いざとなったら私の方が……」

「もちろん、彼女のことは俺に任せてくれれば問題なしだ」

 彼女が余計なことを言う前に俺が答える。

「ちょっと! 人が話してるでしょうが!」

「ああ、頼んだぞ」

 父さんも彼女の事はお構いなしで、俺に向けて言った。

「……」

 リリアはツッコミを入れるのが無駄なことだと悟ったのか、無言でため息をついた。


「で、どこに向かう予定なんだ」

「とりあえずは、王都へ向かおうと思う。おじさんは王都で姿を目撃された後、消えている」

「王都か。確かにあそこなら何か手がかりになる様なことが見つかるかもしれんな」

「王都って王様がいるとこでしょ? あたしも行ってみたい!」

 ソフィが目を輝かせている。王都といえば、国で一番栄えている場所だ。この国を統治する王族が住む場所であり、商人が多く集う場所。こんな小さな村に住んでいたら、誰だって一度は行きたいと思うのが当然だ。

「遊びで行くんじゃないんだぞ」

「え~。お兄ちゃんだけずるい~」

「ほらほら、無茶を言わないの」

 妹は駄々をこねていたが、母さんの一言で無駄な抵抗と知ったのか、

「お土産買ってきて! ね! お土産!」

 と、別の手で攻めてきた。ぐぬぬ。そんなキラキラした表情で見つめられたら……。しかし、お金が……。数秒の逡巡の末、

「分かったよ」

 負けた。妹は「やったー!」と叫ぶと、イスから飛び降りピョンピョンと飛び跳ねた。そこまで喜ばれると、引き受けて正解だったなと思わざるをえない。リリアがそんな様子を見て、

「超豪華なもの買ってくるから、期待しててね~」

 とふやけた顔で言いやがった。咄嗟にリリアを睨みつけるが、俺と眼が合うと、ベエッと舌を出してみせる。こ、こいつ……。




「旅は危険を伴うが、道中は退屈しなさそうだな」

「ええ、そうですね」

 にぎやかな食卓を見て、両親はお互いに笑った。



 正午過ぎ、昼食の後。遂に俺とリリアの出発の時間が来た。玄関の扉を開けて、外に出る。ほぼ真上から照り付ける太陽が眩しい。俺の後から、見送りの為に家族も出てきた。

「忘れ物はないか?」

 俺はチラッと背負ったリュックに一瞥をくれた。

「ああ、バッチリさ」

「あまり無茶はするなよ」

「はいはい、分かってるって」

 俺は心配させないように軽口を叩いたが、父さんは不服そうだ。腕組みをして、難しい顔をしている。その横にいる母さんが言った。

「リリアさんのことも、よろしくね」

「もちのろん」

 その横の妹も元気に便乗する。

「お土産もよろしくね!」

「も、もちのろん……」

 財布がすっからかんになる様が目に浮かぶ。この旅が終わったら、本格的に働かないとな……。

「じゃあ、行ってくるよ」

「早く行きましょ」

 リリアが俺の腕の中で急かすのを聞いて、俺は動きを止めた。

「いや、これダメでしょ。お前はリュックの中に入れ」

 はたから見たら俺は必殺仕事人という感じだろう。

「はあ⁈ 嫌よ、嫌。狭そうだし、息苦しそう」

「開放感があればいいんだな」

 俺はリリアの髪をリュックに結んだ。リュックに吊られたリリアがブランブランと揺れている。

「お得意の偏光魔法でランプにでも変身してくれ」

「殺すわよ?」

「……すいません」

 まあリュックに入れるのも可哀想だしな。しょうがない。俺はこの約2kgの重りを両手に抱えたまま旅をすることを決意した。最初の一歩を力強く踏み出す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る