第4話「強がり」
食事はもちろんリリア抜きで終わった。妹は食欲が無くなったといい、かなりの量を残している。無理もない。生きた女の生首という刺激は小さい子には少々強すぎたのだ。
父さんと母さんも黙々と食べている。きっと早く事情を説明して欲しくて急いでいるに違いない。少し前、二人は玄関で生首を抱えた俺を見て固まったが、生首が喋っている状況から事態の複雑さを悟ったのだろう。飯が冷めるということで、まず食事をして、それからゆっくり話を聞こうということになった。俺も疲れていたしその提案を飲んだのだが、その食事が大変気まずく、ほんのちょっと後悔した。
「食事も終わったし、事情を説明してもらおうか」
父さんが深刻な顔で俺を見ている。その視線は俺の中を全て見透かしている様な鋭さと、どんなものも受け入れようという覚悟を秘めている。農家といえども、ファルマの弟だ。その大きな体から放たれる迫力は半端ない。
俺は今日遭遇した様々な出来事をかいつまんで話した。屋敷で見つけた地下室のこと、さらにそこにいた生首、そいつが伝説の魔女でファルマの知り合いだということ、強引に家に来たこと。ただ、俺が呪いにかけられてしまったことと、俺がおじさんを探している理由については触れなかった。この話はきっと、家族にいらん心配をさせてしまう恐れがあるからだ。
父さんも母さんも妹も、俺の話に静かに耳を傾けてくれた。いつもはうるさい妹までもが静かに聞いているというのが、なんか新鮮だ。
「事情は分かった。とりあえずリリアさんを家に泊めてあげなさい。若い女性が夜を外で過ごすのは危険だ」
若いのは外見だけだし、生首を襲う奴なんていないと思うけど。そう思うだけで口には出さず、得体の知れない魔女を泊めることを許してくれた父親に、素直に感謝の言葉を述べることにした。父さんの顔からも先ほどの険しさが嘘の様に消えていた。
「ありがとう。恩にきるよ」
「最初彼女を見た時は本当に心臓が止まるかと思ったわ。てっきり、あなたが殺したのかと……」
母さんが疲れた笑みを見せた。
「驚かせてしまってごめん。本当は事情を説明してからのご対面になるはずだったんだけど」
「悪いお化けじゃないの?」
妹は俺の話を理解してかせずか、おずおずとそう小さい声で聞いてきた。
「大丈夫だよ。うん……多分。驚かせてしまってごめんな」
妹は危険がないと知ってようやく安心したのか、
「あたし強い子だもん! 父さんの娘だもん!」
といつものお調子者の勢いを取り戻したようだ。トラウマになっていないといいんだが……。
「今日はもう疲れたから自分の部屋に戻るよ」
できればこれ以上の詮索は避けたい。特に手の甲にあるこの呪いは見つかったら割とやばい気がする。屋敷の捜索はおろかせっかく手に入れた手がかりを失うのだけは御免だ。
「ああ。お疲れ」
俺は食べ終えた食器を片付けると、すぐに自分の部屋に向かった。
「何か言いたいことは?」
ベッドの隣には、腰の高さぐらいの小さな棚が置いてある。俺はその上にリリアを置いて、彼女に詰め寄った。
「あなたの妹が可愛すぎるのが悪いのよ。あの子が妹だなんて、未だに信じられないわ。大体、あなたが最初から……」
口を尖らせてぶーぶー言っているが、口調は弱弱しい。多分、反省しているのだろう。やっぱり、案外いい奴なのだ。
「お前は幼い子供に一生モノのトラウマを植え付ける所だったんだぞ。いや、すでにトラウマになっているかもしれない」
俺は厳しい口調で言った。
「うっ……。ご、ごめんなさい……」
リリアは消え入る様な声で謝罪の言葉を述べた。本人も反省している様だし、もうこれぐらいでいいだろう。
「今日は泊まっていっていいってさ」
「本当に⁈」
さっきまでのしょぼくれた様子とは打って変わって、満面の笑みを見せるリリア。顔だけは超美人の彼女の笑顔は、俺の眼に焼きつく様に鮮明に残った。
「お、おとなしくしておけよ」
「もちろん! 動きたくても動けないし」
それはそうだ。俺が手を貸さない限りは、こいつは一人でこの場所から動くことすらできない。だから、勝手に動けないという点では嬉しいのだが、それはやはり悲しいことでもある。どうしておじさんはこんな苦行を彼女に強いたのだろうか。
「あなたの家族、いい人達ね。普通なら私みたいなの、家に入れたりしないわ」
「なんだよ。さっきは強引にでも連れて行けって言ってたくせに」
「屋敷にいた時は、一刻も早くあの暗い地下室から抜け出したくて、私も必死だったのよ。帰り道で黙って歩いている時に、少し怖くなったわ。もしかしたら追い出されるかもしれないってね」
しょんぼりしていたかと思うと元気になって、またしょんぼりしている。忙しい奴だ。俺はリリアの頭をクシャクシャと乱暴に撫でた。
「父さんはファルマの弟だ。そんな心の狭い人じゃないぜ。母さんだって妹だって、俺の自慢の家族だ。困っている人を見捨てたりなんてしないさ」
「……そう。そうなのね」
彼女は何か納得した様に目を閉じた。そして、ゆっくりと開いた。その眼には、覚悟の光が宿っていた。
「カイア、あなたが知りたかったこと、私なら教えてあげられるかもしれない」
突拍子もないその言葉に、俺は眼を見開いた。
「なぜ急にそれを? それに俺はまだ具体的なことは何一つ話していないのに」
「まだ人を心から信じられるわけじゃないの。でも、あなたは良い人だから。世界の歪み、私にも少し心当たりがある。そしてそれは、私の予想が正しければあなたのおじさん、ファルマも気づいていた」
俺は今、生首を見たこと以上の衝撃を受けた。偶然か、はたまた神の導きか、俺が追っている疑問は、おじさんも追っていたものだったらしい。そして、おじさんの失踪。明らかにおじさんはそのせいで姿をくらましたとしか考えられない。
「ファルマはね……。ッツ⁈」
彼女が口を開いた瞬間、ブシュッと何かが潰れる様な音と共に、口から血が噴き出した。血は俺の部屋を鮮やかな赤い色で塗り替える様に散らばり、リリアは驚愕を顔に浮かべて呆然としていた。
「大丈夫か⁈」
数秒の間、俺は突然の出来事に動けずにいたが、我に返るとすぐさまリリアを抱え上げた。
見ると、舌が半分ほど、ちぎられたかの様に無くなっていた。しかし、その舌はもう再生を始めている。赤い光が傷口を、覆うように包んでいる。そしてそれがだんだんと、まるで編み物が編まれていくように元あった舌を少しずつ復元していた。
俺はその光景を、奇跡を見る様な目でじっと眺めていた。
「だ、大丈夫よ」
リリアは顔を歪ませながらも、笑って答えた。
「痛いのか?」
「いや、痛みはそれほどないわ。少し気持ち悪くて。自分の体が再生する感覚は、どうも慣れないのよね」
床に飛び散っていた血も、蒸発して消えていく。さっきまで赤く染まっていた部屋は、いつも通りの俺の部屋に戻っていた。
「何が起きたんだ?」
「どうやら首を斬るだけじゃ飽き足らず、口封じもしていたみたいね。私の舌に、何か術式が仕込まれていない?」
リリアがベッと突き出した舌には、なるほど確かに、魔法陣の様な幾何学的な模様が浮かび上がっている。その模様は俺の手の甲の痣が光った時の様に光を放ち、そしてだんだん消えていった。
「何かあったが、消えてしまったぞ」
「そう。ありがと。ファルマが仕掛けた口封じの魔法みたいね。私が何か口外しようとすると、それが発動して私の舌が使えなくなるみたい」
「なんて都合のいい魔法なんだ……」
まあおじさんがその様な魔法を仕掛けていてもおかしくはない。おじさんが魔女をあの部屋に閉じ込めたのはそういう口封じという面もあったのではないだろうか。だんだんと俺の中でおじさんの人物像が変わりつつあった。もし、おじさんが生きていて、奇跡的に俺が出会えたとしても、会った途端斬り殺されるのではないか。自分の首が目の前の魔女の様になっているのを想像しかけて、なんとか踏みとどまる。
「でも、おじさんは魔法を使えないはずじゃ……」
おじさんは普通の人間のはずだ。魔法を仕掛けるとしたら、魔具に頼らざるをえなくなる。魔具は道具の大きさによって魔法の有効範囲が変わる。ここまで遠距離で使える魔具となると、とてつもなく大きな物になるに違いない。現状、その様な物が作られたという話は聞いたことがない。
「それは恐らく、私の体の在処に関係しているわ」
「は? 何でお前の体が出てくるんだよ」
「私がこうやって生首でいられるのは、私の不死性のせいだけじゃないのよ。この状態にも、魔具が関係しているの」
話がややこしくなってきた。俺が渋い顔をしていると、リリアは説明を始めた。
「さっきの舌が再生するの、見たでしょ?」
「ああ。見たぞ」
「私の身体はね、破損して失った部分は消滅して、新しく作り直されるという仕組みなのよ」
「それは見れば分かる」
「じゃあ、私が今の状態の様に胴体と首を切り離された場合はどうなると思う?」
「簡単なクイズだな。本体の基準が分からんから何とも言えんが、胴体か首、どちらかが消滅しその残った本体に新しく欠損した部分が作られる」
「じゃあ今の私は?」
「あ」
そうだ。リリアは今、”生首”の状態で存在している。この生首側が本体とするなら、欠損した部分、つまり身体側は消滅し、目の前の首の下から新たな身体が作られるはずだ。だが、それは起きてはいない。
「私の身体は欠損していないのよ。つまり、今も私のこの首は、身体と繋がっている判定が出ているわけ。だから再生ができない。私の首の下を見て」
俺は両手でリリアの頭部を持ち上げて、恐る恐るその首の下を見た。一体どんなグロテスクな物が見せられるか、少し怖かった。しかし、俺の心配は無用のものだった。
そこは、骨や血や肉が露出しているわけではなく、皮膚で覆われているわけでもない。まるで底が見えないバケツに水が張っている様に、俺の眼前で揺れる青く不思議な何かがそこに見えた。そして、その表面には、俺の手の甲にあるのと同じ黒い痣の様な魔法陣。
「なるほど。魔法で身体とこの首は繋がっているわけか」
「まあそんな感じね。多分、空間転移系魔法の応用よ。私の首だけ転移させた状態で、私の身体を通さずに座標の固定を解除、転移ゲートを閉じてないのよ」
「ってことは身体は動かせるってことか?」
「私もそう思って試してみたけど、ダメだった。身体の感覚は全くないわ。うまい具合に私の再生を中途半端に止めてるみたいね。神経の再生時に、何か異物を入れられたのかも。私は欠損部分は修復できるけど、異物を排除する力はないのよ。神経の再生時に、何か突っ込まれたのね。異物を介入して神経が再生したらほら、ご覧の有様よ。伝説の魔女ともあろう者が一介の人間にやられるなんて、情けない話だわ」
リリアは唇を噛んだ。きっと信用した人間に打ち明けた自分の能力を逆手にとられたのが悔しいのだろう。さらに知り合いに裏切られるという行為は心に深い傷を残す。ここまで元気に強情でいられるのに感心してしまうレベルだ。
「いいのか? 俺に自分の弱点なんか教えて」
「大丈夫よ。その為の呪いでしょ?」
そういえばそうだった。相手の弱点を聞いた所で、俺たちのパワーバランスが逆転するはずもない。
「まあそういうわけで多分私の身体の方に口封じの魔具がとりつけてあって、それが効いてるってこと」
「つまりお前の身体を探し出せば、その口封じは解けるんだな?」
「当たり前よ。私を誰だと思ってるのよ」
自信満々でリリアは言い切る。その点は大丈夫な様だ。
「私の身体を見つければ、私は自由になる。そしてあなたも疑問が解ける。これぞウィンウィンの関係ね」
「ウェイトウェイト。ちょっと待て。俺はおじさんを探しているんだ。お前の身体を探すと言った覚えはないぞ」
「えー。こんなに綺麗な女の子が頼んでるのに、ケチ~」
うるせえ。そもそも女の子とか言える歳じゃねえだろ。心の中で突っ込む。彼女はハッと何かを悟った様な表情を見せた。それから俺に向かって恐る恐るという風に口を開いた。
「もしかして、ホモ?」
「んなわけあるかボケェ!」
ダメだ。付き合いきれない。しかし、呪いをかけられている以上、最終的には協力をせざるのを得ないのだろう。この小うるさい生首と共に旅することを考えると、気が重い。自然とため息も出てしまうというものだ。
しかし、それを見てリリアは急に暗い声を出した。
「そこまで嫌ならいいわ。無理強いはしない」
「は?」
俺は素っ頓狂な声を上げて、リリアを見つめた。さっきまでの勢いはどこへやら、急にしおらしくなりやがった。何か、気に障ることでもしただろうか。
「私が持ち込んだトラブルよ。私一人で何とかするわ」
覚悟を決めた顔……ではなくなかば諦めた様な表情で、そうポツリと呟いた。いきなりの独立宣言に、俺は動揺を隠せない。
「おいおい、さっきまでの勢いはどうしたんだよ。呪いは使わなくていいのか? 屋敷では散々使っていたじゃないか」
「さっきも言ったでしょ。あの時は藁にもすがる思いで、必死だったのよ。何とかあの暗い部屋から、あの屋敷から、一刻も早く逃げ出したかった。呪いは使わないに越したことはないわ」
彼女は十数年も薄暗い部屋に、一人ぼっちで閉じ込められていた。その寂しさと恐怖は、はかり知ることができない。他人に呪いをかけてまで、逃げ出そうとした彼女を、俺は責める気にはなれなかった。
だが、これからはどうなる? 環境は変わった。地下の薄暗い部屋から、明るい地上に。しかし、それだけだ。彼女は伝説の魔女とはいえ、自分で歩いて身体を探すことはできない。そんな彼女を、俺はめんどくさいと言って、放っておけるだろうか。
「具体的には、これからどうするつもりだ?」
「……気合いで何とかするわ」
そんな彼女の声には覇気が微塵も感じられない。数日の内に、彼女は出ていくと言い出すだろう。早ければ明日にでも。
今、彼女を助けてあげられるのは、多分俺だけなんだろう。
「全く、卑怯な女だ。俺が良い奴だからって、断れないと知っての頼み事かよ」
「だから、私一人で何とかするって言ってるでしょ」
「てやんでい!」
俺は魔女の、ガード出来ないその頭部にチョップをお見舞いした。
「痛ぁ! ちょっと何すんのよ!」
涙目のリリアの髪をまたくしゃくしゃにしてやる。
「どうやら俺がいないとその元気は出てこないみたいだな。いいぜ、付き合ってやるよ。」
「え? でも……」
「うだうだうるさいな。もう決めたんだから文句言うなよ。」
リリアの眼がうるんで見えるのは気のせいだろうか。俺は今しがた言ってしまったクサい台詞が、時が進むほどひどく恥ずかしい様な気がしてきて、彼女から目を逸らした。
「……ありがとう」
その言葉は、小さくて短い言葉だったけど、先ほどまで考えていた旅の行く末を明るくするには十分だった。やっぱり根は悪い奴じゃないのだ。
「そうと決まれば善は急げだ。明日、朝食の時に家族に旅に出る旨を伝える。」
言うのは簡単だが、現実は厳しい。まずは、心配性の父を説得せねばならない。それから、彼女をどうやって隠しながら旅をするか。課題は多い。
俺が今後の事について考えをめぐらせ、うんうん唸っていると、ドアをノックする音がした。俺が答えるよりも早く、
「入っていいわよ」
と、リリアが応答する。
「ちょ、ここお前の家じゃねえんだぞ」
「あら、私ったら。つい」
そうこう言っていると、少しだけ開いた扉から、ちょこんと飛び出した小さな顔がこちらの様子を伺う様に覗いた。
「お兄ちゃん、入っていい?」
「キャーーー! 入って入って!」
妹の可愛らしい声に真っ先に反応したのは、またリリアだ。夜なんだから静かにしろという俺の忠告など耳に入らない様子で、興奮している。
「ソフィ、まだ寝なくていいのか?」
「うん、平気!」
我が妹、ソフィは恐る恐るといった様子で部屋に入ると、ちょこんと俺の隣に腰を下ろした。
「ほら、リリア。謝れ。」
「さっきは、ほんっっとうに御免! お姉ちゃん、まさかこんなに可愛い娘がこいつの家族にいるとは思わなくて……。」
リリアは素直に謝った。物理的に首を垂れることはできないが、できていたらきっと頭を下げるどころか、土下座していただろう。俺は会って間もないこの伝説の魔女が、どういう人間なのかがもう痛いぐらい分かった様な気がする。そう錯覚させるぐらいに彼女は真っ直ぐで、単純だ。すごく分かりやすい性格だ。
「うん、いいのお姉ちゃん。あたし、お父さんの娘だから強いもん。」
「ありがとう、ソフィちゃん!」
リリアは抱き着く勢いでそう言ったが、もちろん抱き着くことは叶わない。やはり自由に動かせる肉体を失っているというのは、見ていて少し痛ましい。おじさんは何の事情もなしにこんなことをする人間なのだろうか。俺の聞いていたおじさんの姿からは、とても想像できない。何か事情があったと考えるのが普通だ。
二人のやりとりを横に、俺は未だ尻尾を掴ませてくれない、会ったこともない男のことを考える。思考の渦は、やがて睡魔の使う魔法となって、俺の意識を飲み込んでいった。
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