後に斯波氏と称される尾張足利氏は、元々当主になっていてもおかしくない立場の家氏が始祖ということもあり、足利一族の中でもトップクラスの家格を誇ります。その家格を背負い、それに見合う実力とプライドを持ち合わせている――というのが本作の足利高経像です。
家長は、そんな高経の長子とされる青年です。尊氏から奥州管領に任じられたり子息(千寿王)を任されたりと、二十歳に満たぬ若さながらかなりの重責を担っていました。短命ゆえに創作で採り上げられる機会はあまり多くありませんが、彼の生涯は時代の流れや生まれによって濃密に仕立て上げられた部分も多く、よくパンクしなかったものだと思ってしまいます。
そんなパンク寸前の現状と戦いながらも懸命に生きようとする――そういう姿を本作では描かせていただきました。
彼を描く際に重視したのは「その生まれゆえに選べなかった生き方」と「同じような境遇の千寿王との関係性」ですね。
高経は既に成熟した大人なので(今のところ)ある程度自分なりの答えをもって生きています。しかし家長くらいの年齢の場合、当時の子どもが現代より早熟だったと推測してもなお心の定まらない部分があるのではないかと考え、若者らしく揺れ動く心情を取り入れようと決めました。
「新星の秋」の千寿王は、そんな彼の支えとなる立ち位置になっています。ともに生まれや時代の流れに振り回されるところが大きい者同士、両者の間で何かしらシンパシーがあってもおかしくないのではないか。そんな想像から、互いに支え合うような関係性が生まれました。
家格の高さに驕るところがないというのは、傲岸不遜な一面を持つ高経との対比を意識してやっているところもあります。
史実の関係上この父子についてはまだ作中でそこまで描けていませんが、今後どこかで必ず触れようと思いますので、しばしお待ちいただければと思います。
余談ですが、家長はどうも高経との親子関係を疑問視する説があったり、太平記で「志和三郎」と記されていたりするので、本作における高経と同じように"足利"で通させるかどうか悩みました。
結局「極力苗字は出さない」という無難なところに落ち着いたのですが、実際どうだったのかは気になるので、今後彼の研究が発展して新事実が明らかになることを期待したいですね。天下の週刊少年ジャンプにもデビューしたことですし!