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花七宝の影法師・登場人物制作秘話其之漆「北畠顕家」

北畠顕家は南北朝を代表する人物の一角であり、奥州から軍勢を率いて京まで猛進し足利勢を蹴散らした実績を誇る存在です。「南北朝時代で最強は誰だ?」という話題が出れば名前が挙がる一人になるかもしれません。公家出身の若き青年で武人としてここまで軍事面で存在感を放つ人はなかなかいませんし、新田義貞や楠木正成とは違ったベクトルで人気ある人物と言えると思います。

本作の北畠顕家は、坂東で活動する主人公の前に立ちはだかる強大なボスという位置づけになります。
しかし、その実態は数年前まで洛内で公家として過ごしていた年若き青年。あるとき後醍醐天皇の命令によって、半ば強制的に奥州へ下向して武士たちを従えざるを得ない立場になった経歴の持ち主です。象徴としてのトップは義良親王がいたので、それを支える顕家には実務能力が求められたと思われます。普通に考えれば無茶振り以外のなにものでもありません。

そんな彼が奥州武士団を率いて大きな戦果を挙げられたのはなぜか。
単なる利害関係だけの結びつきなら南部師行のように最後まで供をする人もいなかったでしょうし、顕家死後に奥州勢があっさりと足利勢に寝返っていたかもしれません。鎌倉幕府創設時の頼朝のように、周囲の信望を集めるような下地があったわけでもありません。むしろ奥州は北条の影響力が濃く顕家からすればアウェーだったのではないかと思います。

では、奥州の武士が二度にわたる無茶な遠征に従ったのはなぜなのか。理由はいろいろあると思いますが、本作では顕家の経歴の中から感じ取れる「顕家の本気っぷり」に焦点をあてて描きました。
顕家は赴任してから奥州統治に本気で取り組んでいたことが『北畠顕家上奏文』から窺えますし、一度目の大遠征は驚異的な進軍速度で決行しており、二度目はかなり厳しい状況の中で足利勢を蹴散らしながら執念じみた進軍を行っています。こういうところを見ると「顕家はやると決めたら徹底してやる気質の持ち主」という風に思えてくるのです。そういう覚悟の決まった一面、中途半端なことをしない思い切りの良さが、武士たちの心を掴んだ一因なのではないか――そう想像を膨らませていった結果、本作の顕家像は出来上がりました。

無論、元々は宮廷文化の中で育ってきたので武士とは本質的に合わない部分もあったかもしれません。
二度目の遠征時に行われたという略奪についても、本心から良しとは思っていなかったかもしれません。
そういうギャップに苦しみながらも「こうすると決めた」と覚悟をもって断行する。そういう青年の苦悩と覚悟を、自分なりに描かせてもらいました。

ただ、育ってきた環境の違いはあれど、顕家と奥州武士には互いに信頼し合える関係が構築されていたと思いたいところです。

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