作中では尚豊の前に王世子はいなかったとしていますが、一説によると中城王子朝長が王世子だったと言う説があります。
この人王子の称号がありますが、正確には向氏の人で、尚寧・尚宏の従兄弟に当たります。
中城王子なので、住まいは中城御殿。今の首里高校のあたりに住んでいた認識。
で、正直なんでこの人が王世子なんて言われてるの?というと、中城王子は王世子の称号として使われることが多いからです。
これは琉球側の一次資料、喜安日記にも記載があるのですが、尚寧王の江戸行きの同行者として名前があります。
ただ、本当に王世子か?と私は個人的に思っているので、本作には採用してません。
朝長は唐名を尚煕といい、一応は尚氏ですが、父親は向氏(向秉禮)です。
尚寧もそのまま行けば向氏になりましたが、母親が尚元王女なので尚氏となってます。
つまり、尚寧の代で尚氏を名乗れるのは、尚寧と尚宏のみ。
いくら元々本筋の血筋とはいえ、本来向氏の尚煕と、側室の子供とはいえまだまだ現役王子の息子が並んだ時、最初から尚久の方に話行くだろ、と思うので、採用してません。
例え王世子の地位にいたとしても、尚久説得までの中継ぎの可能性が高く、本人も承知していたのであまり出張ってなかった(争いもなく退いた)と思ってます。
と言う、あくまで私見。
個人的に尚懿の兄弟で尚氏を名乗ってるのはあと1人のみ(尚弘徳)で、この人のなんで王子なんだろう?
作中出てきてる三司官の向里瑞も尚懿の弟ですが、親方身分で王子では無いし…
母親をはじめとした女性の情報が本当に少ないので、その辺は適当に創作しております。