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「第一巻 中学校編「ちはっ、失礼します」 Ⅲ年 「定期戦Ⅲ」 (4)継承されるもの」について

 「鉄拳」というものは、遭難しそうになっていて意識が危ういとき、や、人事不省に陥っていてとにかく覚醒させないと危ないとき、などの他には、振り上げる拳を持った人の「主観」で振り下ろされるので、極力避けるべきであると、個人的には考えますが、思春期の一時期には、これに対する信仰心というか、そういうものがあるのも事実かと思います。

 本作の当時は、運動会や体育祭で「棒倒し」「騎馬戦」というラフマッチの両巨頭がありました。
 棒倒しは「棒の頭が地に着くまで」、騎馬戦は「騎乗者の肩が地に着くまで」という、原始的なルールでありましたから、守る側、攻める側は、それはもう「本気」だったものです。(現在の多くは、棒倒しは「先っちょの旗を取る」、騎馬戦は「騎乗者の帽子を取る」など簡略されていますが)

 「不可抗力」という文字の下に、「殴る」「蹴る」が当然のように横行するので、それを悪用するような者が居る場合には「反則」を取る制度も導入されるなど、どんどん悪循環に陥っていく側面もありました。
 その練習の過程でも、「へらへらしてやっていると怪我するぞ」「やる気がないなら辞めてしまえ」など、生徒同士の鉄拳制裁もあり、結構、新聞の地方欄等に載ったりもしておりました。

 こういうことが良いとか悪いとかは、冒頭に戻って「本来は原則やるべからず」なものでも、何か「熱いもの」を必要とする時はあるのですよね。「根性注入」というか、「気合ビンタ」というか。それを判断するのは、当事者であって、傍観者ではないということ。たしかに「同調意識で引きずられる」とか「上下関係があったら拒めない」とか、そういう理屈もありますが、下から上に対する要望であるとか、合議の上で「必要とする」者だけが要望したりとか、そういう場合には、(健康的にシリアスな悪影響でもない限り)他者が介入すべきものでもない、と思っています。
 (実際、こういう経験がない人ほど、感情に任せて腕力を行使した際、相手の鼓膜を破ってしまったとか、眼球破裂させてしまったとか、そういうことになります。暴力を経験しておいた方がよいとは言いませんが、過保護は人の本能も隠すようになってしまう危険性もはらんでいます。)

 ※添付画像は、実在の人物、写真に基づくものではありません。創作物です。
 今回は、気合を欲する下級生達。

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