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「第一巻 中学校編「ちはっ、失礼します」 Ⅲ年 「特練Ⅲ」 (7)バッヂの輝き」について

 さて、本作の今回では、「背の高さ」や「見た目の問題」が話題となりました。
 本作の当時は、まだまだ「応援団」=ハードというイメージが強く、実際に本作冒頭のように定期戦をめぐる乱闘などの事件も見聞きする時代でした。

 他者を尊敬できるか否かは、自らが努力をしているか、ということも重要な前提になるかもしれません。自らが努力をしていないと、他者がどれだけ努力をしているかなど、当然わかるわけもありません。「実るほどに首を垂れる稲穂かな」という句は、経験や知識や努力が蓄積していけばいくほど、他者も皆何かしらの苦悩を抱えていたり、努力をしている、ということが分かるので、当然、それぞれに尊敬の念も生まれてくるというものかと。

 ロコさんは、何とか自らの疑問や悔しさを昇華することができました。
 駿河君とロコさんが、完全に歯車の噛み合ったやり取りができていたのか、と深読みしてみると、本当のところは、そうではないかもしれません。
 ここでは、両者が考えている方向性(落としどころ)が同じ方向であったから、それぞれ自分の中の「こっちに持っていきたい」という考えに沿った船が来れば、乗ってしまおう、とできたのではないかと。
 でも、世の中、それでいいのだと思います。人の頭の中まではわかりませんから。

 「見た目」と「中身」の違いによる「ギャップ萌え」が大っぴらに認知されるようになってくるのは、今世紀に入ってからのことで、まだまだ「見た目」が勝負の前世紀でありました。一方で、「スクールカースト」や「ぼっち」や「つながる」という意識が必要以上に個人を追い詰めていなかった時代でもありました。
 それぞれにそれぞれの居場所があり、オタクであろうが、ネクラであろうが、パリピであろうが、それは個々人の自由であって、なんでもかんでも「表面上」つながっていないと不安になる、やたら垣根を作って他人を排除する、というようなことはなかったように思います。

 応援団の腕章やバッヂについては、その団体によって捉え方が異なるものです。
 学校によっては、「応援団」の文字を記した腕章ではなく、所属を示すためのものとして「徽章」や「学校名」を記載しているだけのものであったり、バッヂは制定していない、というところもあります。

 本作は「中学校」が舞台です。どんなにいろいろ知恵や思考を駆使しても、どうしても「カッコよさ」や「見栄」や「中二病」(笑)が潜んでいるのが中学生です。きっと、創立当初の先輩方は、思いを駆使してデザインを考えられたのでしょう。

 ※ 添付画像は、実在の写真、実物に基づくものではなく、創作物です。
 今回は、腕章(三条さんのもの)と、バッヂです。

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