どう考えたところで、人を「殴って」発奮させる、というのはもう近代的なことではないことは確かなのですが、一方で、「こいつに何をしても反撃されない」という妙な感情を抱いてしまうと、人は「増長」どころか「誤った方向」に飛んで行ってしまいます。
その辺りを、どう導くか、というのは教育の長年のテーマでしょう。
「体罰」は究極的に×だと思いますが、「罰」の必要性は、歴史と社会を見ればわかるとおりです。
「これはアカンことや」ということを、精神的に理解させることが無理であるから肉体的に刻み込む、これが体罰でありますから、先に体罰を出せば本末転倒になりますし、その発動は精神の発達に合わせて、あるいは周囲の環境に合わせて最小限に抑えることが当然でしょう。
厄介なのは、体罰であれ、罰であれ、それが急に存在しなくなると、「何をしてもよい」という反動的な「誤った解放感」が現れることです。
抑圧的であった何かを解除する際には、その際に起こり得る反動というものも予測して臨まねばならないのですが、中学生ではそこまでの考えは難しいものです。
駿河君は、この先、しばらく、この難題で悩まされることになります。
※添付画像は、実在の人物、写真等に基づくものではありません。創作物です。
今回は、練習中のリーダー部員と、幹部会でのベーデさん。