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読描徒然 #75

 こんばんは。あなたがこの文章を目にしているということは、わたしは至って元気だということです。深刻な事態に直面しているわけでも、重篤な病に冒されているわけでも、ましてや生命の危機に瀕しているわけでもありません。精神的な健康は保たれ、少なくともタイピングができる程度には身体的な健康が維持されている状態です。ユキです。

 ——と、こんな翻訳めいた文言で書き出してみました。暗号などは一切隠されておりませんよ。

 さて、シャワーから上がるなり、脱衣所で汗をかく季節になってまいりました。今日は、電車に揺られながら思いついたことを二つほど、長々と綴って眠りたいと思います。よろしければお付き合いくださいませ。



 一、手癖で描かない

 最近、文章を書く際に『手癖で描く』をやりがちかなと思っています。
 『手癖で描く』は言葉通り、絵を描こうとしたときに、手が覚えてしまった線や構図を無意識に描いてしまうことを意味しています。深く考えずに描くということですので、上達にも繋がりにくいです。
 これはそのまま物語にも通ずるかなと思っていまして。油断すると意図せず、同じ表現、同じストーリー、同じキャラクターを描いてしまう危険性があります。そのため、できるだけ慎重に避けるようにしてきたのですが。慣れが出たのでしょうか。恐ろしいものです。
 実は『一凛咲きのブーケ』の更新が滞っている理由がそこにありまして、何回ボツを出したか数えきれなくなりました。Q.E.D.になかなか辿り着けずにいます。
 まぁ、究極的には『理想の物語を手癖で描けること』が理想なのですけど。人間は不器用ですからね。



 二、消費と生産はバランスよく

 有り体に言えば、インプットとアウトプットのバランスということなんですが、カタカナが多いので日本語にしました。
 人間、食べられる量も吐き出せる量も限られているわけです。そして、吐き出した分だけ食べて、食べた分だけ吐き出した方がいい。
 もしかしたら、『一凛咲きのブーケ』は一息に吐き出し切ってしまったのかもしれません。読者に感じ取ってもらいたいテーマがある。物語の終わりまでの骨子はある。そのための舞台装置や演出、構成もある。だから、文章を『善く』描くことに必死になってきました。しかし、ここから先の物語を紡いでいくには、知識とアイデアが重要なのではないかと。手持ちの武器だけでは苦しくなってきた。手癖に頼りがちになってきた。そんな時期にきたのではないかと思いました。
 ちなみに、『水野亜玖亜は読まれたい』は『現在のわたし』から『特定のあなた』へ宛てた物語ですので、ほぼ手持ちの知識・経験で闘っています。これはわたしが物語を描き出すときに決める『初心』に依るもので、完結後にプロットと共に公開しようと思います。



 ここまでお読みくださった方、個人的な物語にお付き合いくださって、本当にありがとうございました。
 それでは、また。おやすみなさいませ。

1件のコメント

  •  八番出口様、コメントありがとうございます。

     共感いただける部分があって何よりです。

     調子がよくないときは生産効率がとても悪いです。同時に、消費に向かうアンテナの感度も下がってしまうので、そんなときは休むに限りますね。立ち直ったら徐々にアンテナも感度を取り戻すので。

     連載途中で読み始めた作品の最新話に追いつくタイミング、なんとなく難しいですよね。かく言うわたしも『記号たちは明日へ進む』の最新話に辿り着けておりませんですし……。ゆっくりと追いかけます。

     八番出口さんも回復されたとはいえ、熱暑の日々、ご自愛くださいませ。
     おはようございます。
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