久し振りの投稿で勝手がわかっていないものが更にわからなくなりました、出雲蓬です。
卒業論文やその他の活動で更新頻度が落ちてしまった事に関して、この場を借りてお詫び申し上げます。ややスピードは落ちますが、更新は継続していきたいと思っているのでよろしくお願いします。
話は変わって今回は、先日投稿した更新が遅れた事へのお茶濁しなんて訳ではない一話完結作品『ホワイトアノマリー』に関しての、作者自身の考えや意図をサラッと備忘録の様にここに連ねていこうと思います。
これから書く内容はあくまで「私個人」の捉え方であり、それが必ずしも全員にそう捉えて欲しいわけではありません。解釈の余地を残しつつ、一人の戯言として軽く読んで頂ければ。
そしてこの内容も私の考えを全て網羅できるわけでも、理路整然とした解説がある訳でもないのです。もしかしたらあなたには、間違いだらけの模範解答に見えるかもしれませんね。
さて、真っ先に全てを包括するメインのキーワードである『白』に関してを語るのもいいのですが、やはり根幹に関わるのなら最後に持っていった方がより印象に残ると思うので、一つ目はこの物語における主人公のような存在である「俺」についてから語っていこうと思います。
そも作品において、主人公と言う役割はある意味で言えば読者が作品に没入するための存在として描かれている側面もあると私は考えています。無論全てがそうだとは限りませんし、或いは作者の自己投影の産物が結果として読者の投影装置の役割を果たす場合もあります。
そんな主人公を私はこの作品を書くにあたって、私は「俺」と言うキャラクターにどういった枷を嵌めるのかを考えた。私は色や色彩を話のテーマや重要な要素にすることを好む人間なので、彼にも色を付けようとしました。その結果が「無色」でした。
「無色」と言われ疑問を持つ方や異議を持つ方もいるかもしれませんが、私の中で彼は、『白』と言うものを狂信的に、盲目的に求めるだけの自分の色が無いがらんどうの木偶人形だと考えています。白にはなれない、かといって他の色にすらなれない。何者にもなれない壊れた人間だからこそ、彼にはこの作品において人間らしさを象徴させる色を与えられなかった。そんな解釈。
次は『イヴ』について。
実はこの作品を書いた当初、彼女の台詞における「愛」に関わる言葉は全て言語として記述されていない状態で書かれていました。「天使語」と呼ばれる特殊な言葉で普通には読めない、発声できない言葉に書いていましたが、フォント表記の関係で投稿したものは普通に「愛」に関する言葉が書かれています。
何故そう言った方法を取っていたのかと言えば、それは彼女の非人間性とアンドロイドと言う要素を強調するため。人間が持つ「愛情」が正しく発信できず、そして「俺」にとっての天の使いが如き救いを齎した事への暗喩の様な意味を込めていました。まぁ、投稿するタイミングでフォントの使用が不可になったことで実際のストーリーはやや意味合いが変わってしまいましたが、大きな変化はありません。
『イヴ』と言う存在は、「俺」と言うフィルターで見た時は神聖且つ崇高な概念の象徴と見ることができ、『イヴ』本人から語られるのはまるで自分は人間と同じようだと認識していると取れる自己評価。それはどちらも正解であり不正解で、彼女はその矛盾したような概念が同居した不可解な存在になっています。まるで人間みたいですね。そんな解釈。
サクサクと次に行きましょう。今度は彼女が求めたあなたと「あなた」の違い。一見すれば大きな違いはない。俺であり「俺」なのだから。
しかし、彼本人が認識している「俺」は『白を求める彼』であり、彼女が求めたのは『私を受容してくれるだけの彼』である。「俺」が『イブ』に「受容」だけを求めていたように、『イヴ』も「俺」に「受容」を求めた。だが、『イヴ』は自分の真意を殺す術を持っていたが、人間性を捨てた「俺」に同様な事はできないと『イヴ』は理解していた。だから、今までの彼から物を言わず意思を持たない、『イヴ』と同化し受容と言う体裁を取らせられる「パーツ」を求めた。それこそが「あなた」=「パーツ」であり、「俺」と言う存在とは乖離したものとして話していた。そんな解釈。
次はサラッと。最後に『イヴ』の言語機能が回復した理由についてですが、明確な答えはないです。単純に機能がたまたま回復したのかもしれませんし、生体パーツをいくつか替えた際に発声に関わる器官を移植したのか、それとも彼女が言う様に「愛」のそれによるものか。理由は人それぞれ自由に。
最後に、この作品そのものを作るきっかけにもなった『白』について。
私は『白』が好きです。この主人公程振り切れてはいませんが、大好きです。
色と言うには異質で、色彩と表すには何もなく、無色透明ではもちろんない。色として異質であっても、色ではない訳ではないのですから。
そして、『白』は神聖/神性を最も表していると考えています。穢れの無い、柔らかなそれはあらゆるものの神聖さを表すアイコンになっています。不浄の色として。
ですが、私はこうも考えます。『白』こそが色と言う存在の中で最も穢れた色なのではないかと。
絵の具で例えたらわかりやすくなるかと思いますが、『白』と言う色はあらゆる色と混ざり、そして色味を柔らかくする効果があります。あの黒でさえも、灰色になります。しかし、それを見た時に私は、一切の悪意の無い染め上げだなと感じました。雰囲気を柔らかくし、あたかも良いものに変化させているようで、どんな色にでも自分を溶け込ませてしまう凶悪さ。誰かの色を、無条件に薄めてしまう。私にはその『白』の特性がまるで誰にでも体を許す娼婦の様に感じました。故に、私は『白』に好意を抱くと同時に、『白』に畏怖を覚えています。
だから「俺/無色」は、『イヴ/白』に呑まれ、そして交わりながらも消えていきました。色の無いものに白を混ぜれば、残るのは白だけですから。僅かな名残だけを残して。そんな解釈。
そんなこんなでダラダラとした正解かもわからない解釈。正直私自身自分の考えに同調できない部分もありますし、まだ語るものはあれどそれは余計なもの。私の考えで、折角広がるかもしれない解釈の幅を狭めてしまうかもしれないから。
この補足の様な語りで、もしかしたら作品そのものの価値を落としかねないとも理解しています。それでも語ったのは、ひとえに私の思考の整理のためです。
どうかこの文章が、自分の首を絞めない事だけを祈りつつ一旦お終いに致します。長々とした取り留めも無い散文を読んで下さり、感謝いたします。
どうか今後も、出雲蓬とその作品たちをよろしくお願いいたします。