今回の経緯と今後の方針

先に今後の方針からご報告させてください。
端的に結論から申しますと、大変残念ですが、このアカウントは「田上光氏による山下恵に関する記述の全ての削除の確認」が終わり次第1ヶ月以内に削除し、もし再投稿する場合は別の名前で再出発することとしました。

なお、田上光氏とは、こちらで自分史を公開する人物で、長年リアルでの交流がある友人です。
https://kakuyomu.jp/works/16816452218803644962

以下、上記のように判断した理由と、ここに至る経緯をご説明します。

まず、この「山下恵」のペンネームですが、私が考えたものではなく、田上氏が考案したものです。
リアルの私は、日本に数名しかいない珍姓かつ個人事業主として実名で仕事をしています。名字で検索すれば、存命の人物は殆ど私しか表示されません。
そこで、こちらのインタビューを公開するにあたり、近しい知人による内容からの特定の危険性は甘受したうえで、仕事への余計な影響を避けるためにペンネームでの公開としました。
https://kakuyomu.jp/works/16816452218926753690/episodes/16817139557242963231

このインタビューの補足資料(いわばアナザーストーリー)として書き始めたのが第一作「恋。横濱にて。」であり、このインタビューの公開時の田上氏との会話から着想を得た作品が第二作「恋。十九、二十。」でした。
また、このように実話ベースでの作品だったため、以降の作品群にも共通する登場人物がいました。

一方、田上氏には、このインタビューを書籍版の自分史に掲載するうえで、田上氏の師である作家・北見庸子氏から指導があったようです。
あいにく私自身は北見氏とは接点がありませんが、少なくとも以下は理に適った指導であると考えます。
また、私からも、そもそもインタビューはノンフィクションであり自分史は文芸であるので別立てにすることを以下の応援コメントに限らず度々提案していました。
https://kakuyomu.jp/works/16816452218926753690/episodes/16817139557184211196

この状態で田上氏からは幾度か校正を依頼されましたが、編集方針が定まっていないままでは校正のしようがありません。
そこで、私は田上氏に、まず自分史を書く目的の明確化と、その中でこのインタビューの位置づけの明確化を求めました。
この提案に対し、田上氏は「何を話したか覚えてない。校正したインタビュー記事に猛烈なダメ出しをされた。どうしろというのだ。という気分になっていた。」とのことです。
私としては掲載に向けた建設的な提案であり、激励こそすれ“ダメ出し”を意図した言動は一切していない自負もあり、この時点から戸惑いが生じました。
https://kakuyomu.jp/works/16816452218926753690/episodes/16817139557362718642

ここから約1週間後の8月8日、田上氏から「ちょっとアイデア思いついたけど、言ったら殺されそう」との連絡がありました。
私が氏を含む誰かを殺しそうな人物だと思われていることは率直なところ不愉快ではありましたが、創作の自由は彼にあるので「自分の創作物なんだから好きにしたらええがな。知らんけど。」と柔和に返答しました。

繰り返しますが、確かに田上氏は著者として創作の自由を有しています。
その一方で、私も、インタビューに関しては著作者人格権があります。
だからこその校正だと、この時点では認識していました。

しかし、その後10日の深夜、校正を経ず(もちろん依頼も無い)、しかも私の実名の名字も含まれた形で以下が予告なしに公開されていることを発見しました。
※後述しますが、現在、個人情報の削除は応じてもらいました。
https://kakuyomu.jp/works/16816452218803644962/episodes/16817139557587298641

そこで田上氏に連絡し、氏の対応に先んじて急遽このように非公開とした次第です。
改めてご心配おかけしましたことをお詫び申し上げます。
https://kakuyomu.jp/users/yamashitamegumi/news/16817139557610914635

これに対し、田上氏は個人情報に関してこそ「サクッと修正」はされましたが、それで解決したとお考えのようで、これまた困惑を深めるばかりです。
田上氏には、いわば山下恵の生みの親として感謝しています。
よって、戸惑いつつも最大限穏健に今後のインタビューと山下恵の扱いを相談しましたが、それらも「山下嬢から叱責の言葉がそこにはあった。それを見て、寝込んでしまった。俺には言葉がえぐすぎた。」「怒るとその人の隠してきた本心が出る」とされたのも甚だ残念です。
当然ながら、こちらも私としては“叱責の言葉”など一言も発したつもりはありません。
以下の応援コメントにも残しましたが、怒りや叱責の感情は未だ全く持っていません。田上氏には、田上氏の表現上必要であるなら私の実名を出すことさえ提案しています。それでもなお説明もないため全く理解できない状況におかれたことに、ただただ困惑し続けております。
https://kakuyomu.jp/works/16816452218926753690/episodes/16817139557656063377

なお、この間もTwitterのDMで田上氏に何度か連絡しましたが、8月10日22時台から現時点でも未読です。

そのような折、田上氏は書籍版の自分史を校了されたと以下から知り、さらに困惑は極まりました。
https://kakuyomu.jp/users/tagamimitsuru/news/16817139558287596021

田上氏の架空インタビューと言う表現技法のアイデア自体は否定しません。
古典的であり、古典的であるということは今も有効な技法と言えましょう。
しかし、私が使わない言葉を使われ、私が意図しない行動を取ったように書かれるのは、人格の蹂躙です。確かに田上氏には表現の自由があるとは言え、それは私が登場する場面に関しては校正による合意を前提としていました。
したがって、このまま田上氏から書籍版の8月10日版から校正を経なかった経緯の説明とそれを踏まえた再編集が無い限り、私としては田上氏に対し合意できない箇所の公開差止請求をはじめとする法的措置の検討も視野に入れざるを得ません。

とは言え、指導者もいる中で校了した内容の大幅な変更は難しいでしょう。
そこで、上述の田上氏のノートにコメントしたとおり、山下恵の存在自体を抹消することで今回の問題を解決する他ないと結論づけたものです。

本来であれば、もう少し建設的・創造的に問題解決できたであろうことが田上氏の創作活動を応援するものの一人として悔やまれてなりません。
インタビューそのものも氏の創作と創作活動を通じた快復の一助になればと思ったからこそ引き受けたものです。
インタビュー内で過去の田上氏の写真を提供しながらも、そのインタビューそのものの掲載を差し止めざるを得なくなったことは痛恨の極みです。
今後は“山下恵”を手放した一人のリアルな友人として、田上氏には表現者としての自覚と責任を期待し、私自身もこの経験を糧として成長したいと思います。

さりとて、作家“山下恵”としては、初公開の2月24日からの約半年で全200PV・全28♡いただけました。
田上氏以外には誰からも反応は無いと思って書き始めたので、これは嬉しい誤算でした。
また、田上氏以外の作家の皆さんと素晴らしい作品群に出会えたことも僥倖でした。また拝読させてください。
これまでの作品は、そのうち時間ができたら別の名前でアレンジして再挑戦するかもしれません。
当初は考えもしなかった次回作のアイデアもいくつかあり、ようやく創作活動が楽しくなってきたところで、その意味でも残念です。
ややネタばらしをすると、田上氏が言及したように、私の祖父は文筆業を生業とし、父も広告業界で社内報の主筆を務め、私自身も商業誌やWebコンテンツの執筆を手掛けてきました。つまりは代々言葉で生きてきた一族です。しかし、文芸には縁がありませんでした。祖父と父は文芸で身を立てようとしたが叶わなかったので、私にはそのコンプレックスがあったかもしれません。
その私が創作活動を楽しく思えたのは、田上氏をはじめカクヨムの皆さんのおかげです。
ここについては改めて御礼申し上げます。
本当にありがとうございました!

アカウント削除までコメント欄を開放しますので、もし思うところありましたら率直に残していただけたら嬉しいです。
どうか皆さんお元気で。
これからも楽しいカクヨムライフを!

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