物語を完結させるというだけでも賞賛に値することですのでね、どっかの「完結させるつもりはない」とか吹いてるボンクラとはエレェ違いだな(笑)
とりあえず、お疲れ様でした。
貴作がライトというよりは一般文芸寄りであるとか、或いは「○の○○○映画風」であるかということについていえば、肯定も否定もしかねるところではあります。
これはある意味仕方のないことですが、今日では多くの人が映画やアニメ、またはその基礎となった(歴史・文化)資料のようなものを下敷きにして文章を書いています。それが別段悪いことと申すつもりはさらさらありませんが、人類がものを書くようになった歴史において、そのような書き方はきわめて特殊であるということは認識しておくべきでありましょう。
ライト文芸、一般文芸という括りも、現代ではほぼ無意味化しているように感じます。そも、文芸とは何か。芸はもともと「蓺+云」である、そのことに思いを巡らせないのであれば、ライトであろうが一般向けであろうが同じことですが、まぁここでグチグチ言うのも莫迦らしいですな。日本の文芸は明治期に一度死に、敗戦でまた死んだという厳然たる事実がそこにある、それだけのことでしょう――意味不明? おっしゃる通り、この妄言は貴作の内容とはほぼ全く関係のない、私の愚痴でしかありませんので(失笑) 忘れてくださいまし(←じゃあ書くなよ)
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私が完結させる気がないのは――勿論それだけの体力が萎えたこともあるのですが――それ以上に、「完結する作品を書こうとすると、結局は物語に文章が縛られてしまう」ということが大きい。小林秀雄の言葉を借りるならば、どのように書くかでなく何を書くかにばかり執心させられるハメになってしまうということでしょうか。どのように書くかに集中するため、完結させるという縛りを一旦、封印することにしたのです……ああ、これもただの言い訳だな。結局いま書いてるのもそのうち消すかもしんないし。あきらめて完結前提の物語を書いた方がいいかもしれないわね(前書いてたシャクとキイトの長編か、或いは前から構想だけはあった京都が舞台のヤツか。昔書いた奇術小説のリファインとか、バックギャモンを題材にした小説とか。ダメだダメだダメだ、多分どれも完結させられる気がしねぇ)
――あ、相当に精神状態おかしそうな文章書いてるようにみえるかもしれませんが、私はきわめて健康ですので、ご心配なく。