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ルビ

「幸せという字は横線が一つ減ると辛いに変わる。人生も同じ。日常の生活から一つが欠けると辛くなる。」と、誰かの受け売りの様な事を言う奴がいた。
平仮名や英字、その他のあらゆる文字に通用しない様なこじつけを基にした説法なんて何の意味もない。
文字という曖昧なものを人生にこじつけている暇があるなら、その一つが欠けた状態の中かろ幸せを探そう。
誰かの受け売りを誇らしげに語らずに本質を見詰めて生きよう。
どれ程に「大きな一つ」だとしても、たった一つが欠けて辛くなるなら、何もかも無くした時に幸せを探しにいけない。
幸せはいつも心の中にある。
辛さもいつも心の中にある。
幸せも辛さもいつも自分自身と共にある。



○自分の作品のルビについて。
自分の作品の中には同じ読み方なのに違う字を用いている場合がありますが、それは意味があるのでそうしています。
微妙な感覚の違いで変えているものが多いので、読者としては読み難いかも知れませんが、作風の一つとして容赦してください。

例えば…
○真剣と本気
読み方はどちらも「ほんき」なのですが、前者はそのまま本気と書くよりも、その本気さをより強調している感じです。
○同志と仲間
どちらも「なかま」ですが、前者は知人程度の間柄で志を共にする者、後者は前者よりも気心が知れている者、という感じです。

使い分けている理由は前述の通り、微妙な感覚の差であり、そうしている最大の要因は「登場人物」の存在です。
作品の根幹は登場人物にある。
という作品があり、心情をより深く表すのに使い分けています。
読み手に「読み難い」と感じさせてしまう可能性があるほどの使い分けをしなくても意味は通じるのですが、自分の作品はは「登場人物には心がある」と感じているので使い分けないわけにはいかないと感じています。
文字を言葉に置き換えた場合、機械がそれを言葉にした場合はどちらも「同一《おなじ》ものとして伝わる」と思います。
でも、人はきっと違います。
「同じ言葉でも同一《おなじ》ではない」のが人の言葉だと思います。
人の言葉には心があり、その言葉を文字としてより的確に表す為には、自分は「ルビや罫点が邪魔」と思われてもいいです。
読み易さを求めて「登場人物の心」や「作品の空気」を的確に表現出来ないよりはましです。
文体よりも「登場人物や作品」を優先するのは、文学としては通じないかも知れません。
でも自分は「綺麗な文体で登場人物や作品を犠牲にする」なら汚くてもいいと考えています。
それが自分の「文楽」です。
文学と文楽は同じ「ぶんがく」と読みます。
しかし、大きく違います。

読者に敬意を。

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