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いつでも「お勉強」はたいせつデス。

カクヨムコン中ですが、日々「お勉強」は欠かさない卯月です。(こういう忙しいときにかける負荷ってのが身になるものっす)

いつもの千葉雅也の「センスの哲学」を読んでの気づきですが、何回目か分からなくなったので数字を振るのはやめ。

「大きな意味」「小さな意味」について前に書いた気がします。この本でもChatGPTについて考察している部分はありますが、「意味」として理解していない生成AIがつくる文章を読んでも「意味」が通るのは、「意味」もデコボコの距離で捉えることでも成立しうるもの。つまり逆にいうと「意味のリズム」で文章を捉えるということは可能である。

まあ、本書を読んでいないと意味不明ですね。近況は卯月の個人的なメモでもあるので続けます。

「意味」から「リズム」へというのが「センスを良くする」ために必要。

それでリズムというのは「デコボコ」のこと。

「デコボコ」というのは、要素がどう並んでいるか。並びが大事。つまり身のまわりの物事を「ただの並び」として見る。

この並びとして見るというのは、鑑賞者、消費者としての立場であり、「並べる」と言えば、それは制作サイド、生産者の立場。ものを「並べてある」状態として捉えることで作り手の意識を感じてみる。

音楽……音を時間軸に沿ってヨコに並べたもの。一音ずつ並べるとメロディになる。
絵画……タテヨコに形の並びが展開するが、そこに色や、絵の具の厚みなどのパラメータも重なって、複数のパラメータにおけるデコボコの並びがマルチトラックになっている。

本書では「映画」を例に取り上げています。それは映画というのは視聴覚があり、小説のように物語があって、総合的なジャンルだから。

映画論の授業の話で「モンタージュ」についてでてきます。

例えばお手持ちのスマホで録画ボタンを押して、周りをグルっと回しながら撮って、またボタンを押して止める。ここまでがひとつのショット。こんなショットを三つほど用意して映像編集ソフトに読み込ませて、並べてみる。ちゃんとしたストーリーがなくても、これで短い映画になる。ショットを並べたらもうそれで映画だと言ってもいい。

複数のショットを並べると、人間の脳は物語化を行って、「こうなんだな」という意味が生じる。このようなショットのつながりを「モンタージュ」という。

映画論というのは、映画を即物的(主観や理想を交えないで現実に即してものを見たり考えたりする様子)に観るということを学べる。どういう物語なのかと意味優先で観るのではなく、作り手サイドが何をしているのかを分析する。

モノ書きが、賞をとった作品や流行りの作品を「分析読み」するさいには、必要な視点だと思います。これよりも前のページには、映画を観たり、小説を読むときにまずは、「感動を半分に抑える」ようにすることが書かれています(大意味をいったん保留し、部分部分を見ていく)。まあ、楽しんで作品を読めばいいとは思いますけど、自己研鑽や自分の執筆力を上げるための参考とするならば、「ファン」として読むべきではないということです。別に千葉雅也はそんなことまで書いていませんので、これは卯月の私見であります(厳シイデスネ)。


まあ、「お勉強」としての「本」の読み方の基本と繋がるところがありましたので、書き残すことにしました。




なんかホラーな曲とか重い曲が続いたのでなんか無いかなって漁ってたら、春猿火さんという方を見つけました。昨日、「ブラック★ロックシューター」の歌ってみたをアップされてたので。(けっこう人気もあるもよう)

【歌ってみた】「ブラック★ロックシューター」covered by 春猿火
https://www.youtube.com/watch?v=igJYWSYFfcs

いろんな歌い手さんがカバーしてますけど、曲が良いのでどれも良いってなる。

で、この方が「君の神様になりたい。」も歌ってましたけど、メガテラさんにしようか悩んだ挙げ句、やっぱ本家(カンザキイオリ)さまの初音ミクで。「命に嫌われている。」もやっぱ本家という方も多く。

君の神様になりたい。/初音ミク
https://www.youtube.com/watch?v=X5kQR92kYn0

命に嫌われている。/初音ミク
https://www.youtube.com/watch?v=0HYm60Mjm0k


では。



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