おかげさまで自主企画にもステキな作品が集まりホッとしている卯月です。良いものが集まりました。感謝です!
自主企画の使い方も把握できました(今後そんなに使うこともないでしょうけど)。でも、自分のダッシュボートから操作できないのは不便ですねぇ(どんどん下へ下へと沈んでいきますから)。
フィクション方面では「戦争」は小説の設定でよく使われます。スローライフものでも間接的に使われるでしょうし。長編の場合、比較的「お手軽に」使用されますけど、短編でとなると「戦争」や「平和」をテーマってかなり大変です。
「戦争」の対義語は「平和」か?
これもどこかで聞きかじったか、読んだかで、ネット上を見て回ってみる。なんかgoogle検索すると、一番上に「AI による概要」なるものが表示されるようになってるし……。
経済学者のひとの「対話」がまず出てくる(ふむ)。他にもいろいろと、このテーマに関する話題はかなり多くあるようで。学校のテストでは、戦争⇔平和が正解なのはもちろん。「戦争と平和」はトルストイ(今回は関係ない)。
戦争が破壊的な行動、動的な手段(戦車やミサイルとか)をイメージさせるのに対して、平和は抽象的な状態(みなさんは何を想像します?)を表す。ここに違和感のもとがあると多くのひとが言ってます。
そういうことです(どういうこと?)。
平和のありがたさなんかを戦争の状況を使って表現しようとすると、僅かな文字数では苦労するわけで。どうも「どこかでみたような」お話になってしまう(それでも十分デスけど)。
「戦争」そのものへの理解も実は必要だけども、人によってその深さは異なる。実際に体験された方たちは高齢で、直接その言葉を聞く機会も減っている。書かれたものや音声、動画などは遺されていても、その本意を知ることはできない(同じ特攻に携わった方の証言でもまったく違っていたりする)。で、現代を生きる自分たちは自分たちが思っているほど、戦争のことを分かっていないし、まあ、分かろうとする余裕もない(特に大人)。
ネット小説、ライトノベルで、説教臭さはブラバの原因でしょうけど、作品で扱うのなら(表現するかどうかは別として)しっかりと学んだり、考えたりすることが必要ですね(卯月も含めて)。
過去の戦争については、いろいろ面倒なひとがわいてくる内容ですけど、一面的な見方もどうかと思いますし、もう長いこと卑屈な態度でいるのも自国の歴史感としてどうかとも思います。創作物の中でなら直接的でなくても上手く表現できることもあるのでは(特にフィクション界隈)と思う今日このごろ。
ああ、もうしばらくは「戦争」には触れませんので(怒られたり、飽きられたりする前に撤収でつ)。
そういう卯月は本日夜からはお仕事です。ううっ……(すぐに週末ですけどね)。
では。