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ちょっと思想強めですが、保護猫について

先ほど、駅前にですね保護猫なんとかみたいな看板を出して、チラシを配っていた人がいたんですよ。

最初はですね、猫だけしか書いてなかったので、犬はどうするんだろうとか猫派の人が多いのかなって考えてたんですよね。

まあ猫だけしか書いてないのはおかしな話で、犬もたくさん殺処分されていますし、猫が好きな人が猫だけに寄付するんだったら、結局現状を変えたいというよりかは、猫が好きで、それに金や労働を貢いでいるだけのあまりにも傲慢な自己満足かなと思います。

ですが、何もしないよりかはいいのかなとも感じました。

と、ここで一つ思い浮かんだんですよね

世の中で、理不尽に殺されている動物って、犬猫だけではないと思うんですよ。

自分にはどうすることもできず、ただ理不尽に死を受け入れることしかできないものたち。

でもそこに金があれば救われる。

そんな動物、皆さん思い浮かびませんかね。

そう!人間です。

人間って結構理不尽に死んでるじゃないですか。

理由は戦争や貧困、交通事故とかさまざまあると思うんですが、それに対し、私たちは寄付だったりボランティアだったりなんらかの形でちょっとだけ救済に貢献する手段がありますよね。

じゃあ残酷な問いをしますが、どっか遠くで死んでいる人間と、身近なところで殺処分されている犬や猫、どちらに私たちはお金を寄付すべきでしょうか。


私は人間だと思います。

そのほうが将来性が高いですし、人間全体の経済力が上がれば、嗜好品としてのペットの需要が増え、結果的に、殺処分が減ることになるかも知れませんよね。

逆に犬や猫に今寄付しても多分人間は救われないと思うんですよ。

あと同族ですし、文化人として優先すべきなのは自明かと。

といった感じで私は考えました。

まあ身近に殺されてるのを見てなんとかしたいという気持ちは十分にわかりますし、好きにしろとも思いますが、合理的に優先順位を考えた時に、お金を出すべきなのはどちらなのか。

遠くで死んでいる知らない人間か、近くで死んでいる犬や猫か、

自分はなんか、犬や猫の殺処分に対する活動に、人間の勝手気ままな性質が垣間見え、違和感とともに恐怖を感じました。

不快に感じたらごめんなさい

これを見てる作者さんいたら、執筆頑張ってください!応援してます。あなたはカクヨム界隈の貴重な財産です。ほなまた

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