基本的人権が保障され、奴隷制が禁止されたことで生じた違いは、人間を売買するか、労働を売買するかという変化である。この変化でもなお問題が起き、社会権という概念が生まれることになってしまう。この背景にあるのはどちらも「平等」というワードである。このような歴史を学ぶと、私たちはいつの間にか平等とは大切で良いものであるというイメージが埋め込まれる。しかし資本主義という形態をとっているのであれば、平等を求めるというのは矛盾が生じてしまう。なぜなら経済活動の自由を認めているからだ。現に資本主義の状態で平等を求めた結果、累進課税という所得による不平等を産んでいる。
また、平等というのは効率が悪く非合理的になりやすい。例えば、今の労働形態よりも奴隷制というものは、うまく活用すれば効率的になり得る。人間を徹底的に管理し、最低限のコストで最も高いパフォーマンスを出すのである。たしかにやる気や作業の発展性が生まれず、結果的に効率が落ちるという考えもあるだろう。しかし、労働に対する対価などの精神的な問題も管理することで最も高い効率が出せるかもしれない。もちろんこれは仮定である。しかし利潤を出すという基準でいえば奴隷制は優秀な制度であったのだ。事実、利潤を出すことを追求した、いわゆるブラック企業と呼ばれるものに勤めている人の暮らしは、まるで奴隷のようである。
では平等とはそこまで悪いものなのか、と言われればそうともいえない。無理に平等にしなくてもいいところまで平等にしようとするのが悪いのである。真に平等にすべきところは機会である。これは教育で考えるとわかりやすい。勉学の能力が高いものは東大に入ることができ、親の年収に限らずいい暮らしを送れるように、みんなに下剋上ができる機会を与えるのである。そして忘れてはならないのは下剋上ができる分野を多様に作ることが大切であるということだ。そうすることで、その人に秀でた部分が活かせる場所で働くことができるため、経済の平等もある程度担保できるだろう。
一方、平等にしなくても良い部分として挙げられるのが怒られそうであるがジェンダーである。無論、性別によって機会が均等ではないというのであれば是正すべきである。しかし、性別によるポテンシャルの違いというものが人間には存在する。遺伝子からして男女では違うのだ。なので格差が男女差で生まれることを恐れてはならない。例えば、管理職に占める女性の割合を挙げる。国際的に日本の割合が低く、問題視されることがあるが、ここの男女比に差が出てしまうのは仕方がない。なぜなら、女性には出産という時期がある。この出産によって業務の引き継ぎや一人当たりの仕事量が増えるといった問題が生じる。これが人員の補充が難しい管理職で起きれば企業側の損失が大きくなる。なのでここで必要な対策は、女性が出産で抜けてしまった企業への支援であり、女性を管理職に採用することを推進するだけでは、根本的な解決にはなっていないのだ。
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