バイトを終えたユウキが去った《ブルーローズ》のカウンターに一人の青年が所在なさげに座っている。
「はい、それじゃ次はパッチくんのお悩み相談といきましょうか。キリキリ吐きなさい、ホラ」
「あの……この流れで僕がみっともない弱音を垂れ流すの自分が情けなさ過ぎて吐きそうになるんですが?」
「それユウキちゃんに心配かけるより重要なハナシ?」
「すいませんっした!」
カウンターに額をつけて平謝りするパッチがお銀に相談を持ち掛けるべくBarに訪れたのはユウキが現れる本当に直前だった。
が、相談を言い出す直前でユウキの来店に気付き、居た堪れなさから逃亡。そしてため息を吐いたお銀の誘導でBarの奥に作られた小さな店長室に匿われ……今の状況に至るという訳だ。
「他のお客に聞かれたくないくらいみっともない弱音なんでしょう? いいわよ、聞いてあげる。でも開店まで時間がないから手短にね」
と、なんだかんだで懐が深いお銀の好意にもう一度頭を下げ、パッチは自身が抱える悩みを口にした。
「……実は《東北ダンジョンライバーズ》を解散するか、迷っていまして」
「……ま、ある程度予想は出来てたけどね。いいわ、まずは理由を言いなさいな」
まさに一大決心といった顔で切り出したパッチの悩みがもたらす驚きをお銀は一呼吸分の沈黙で済ませ、続きを促した。
「話すと長くなるんですが――」
「手短に済ませなさい。開店までマジで時間がないの」
「アッハイ」
お銀のどこまでも容赦ない言葉にパッチはただ頷くしかなかった。
◆
で。
お銀が言う通り、パッチが手短に語った時間は3分に満たなかった。これはパッチの悩みが彼なりに整理され、説明も分かりやすかったこともあるだろう。
パッチは冒険者の才能を持たないものの、それ以外のことは結構多才な青年なのだ。
「才能限界でLv.が頭打ち。二人の足手纏いになっている現実。まあ、そうよね。辛いのは分かるわ」
理解を示す言葉とは裏腹にハァァと深いため息を吐いた後、見下げ果てるような視線をパッチに向けた。
「――アンタ、バカね。それも超バカ。救いようなし。お寺へ行って修業してきなさい」
「フルボッコぉ!? そんなに言われる程ですか!?」
「言われる程よ。あんた、ユウキちゃんの悩みを聞いてたんでしょう?」
「うっ……」
Lv.5と言えどもその感覚は常人よりずっと鋭い。特に声量を抑えている訳でもないユウキのお悩み相談はパッチの耳にも届いていた。当然、何も思わなかったはずがない。
「少なくともあの子はLv.差なんて気にしてないわ。ならあんたがやるべきはLv.なんて”小さなもの”に拘らず、二人と一緒に入れる道を探すことじゃないの?」
肩をすくめて冒険者の絶対的な物差しである才能を小さなものと言い切るお銀。ギルドの母を自称するだけはある、流石の貫禄だった。
だがパッチはといえばそこまで達観できない。むしろ自分に欠けているものだけに羨望の度合いは一層強かった。
「でも……あの二人の才能は本当にすごいんですよ。二人ならもっと上のダンジョンにも挑戦できる、配信者としてだって売れるはずです」
足手纏い(ボク)がいなければ、という弱音は流石に口に出せなかった。
「別にすごかないわよ。冒険者の才能を取っ払って二人を見てみなさい。アホの子入った鴨葱と救いようのない酒カスじゃない」
「ええ……」
あまりに舌鋒が鋭すぎる仲間二人への評価にパッチが何とも言い難い顔をする。
迅路とユウキ、二人へ密かに憧れを抱くパッチはその評価に反論したかったが、妥当過ぎて無理だった。確かに冒険者の才能がない二人は大分社会不適合者寄りだ。
「酒カスはどうでもいいけど未成年のユウキちゃんはマジで悪い奴に騙されそうだからアンタ達に預けてるの。《東北ダンジョンライバーズ》の解散、本気なら止めないけど最低限次の預け先見つけてからにしてよね」
しかもトドメとばかりに未成年者への責任まで押し付けられた。本当に容赦がない。
「て、手加減を……もうちょっと手加減をして頂きたく」
「これでも大分してる方よ? ま、最後にちょっとそれっぽいこと言って〆ますか」
プルプルと小鹿のように体を震わせながら慈悲を乞うパッチにお銀は少しだけ語調を和らげて続けた。
「実際問題としてアンタの悩みは分かるわ。今までは何とかなってた《東北ダンジョンライバーズ》が行き詰った。このままじゃいられない。それは確か」
「はい、だから僕は……」
「だーかーら、黙って最後まで聞きなさいっての」
口を挟もうとしたパッチをそれ以上に真剣な口調で一喝。話を続けた。
「何かを得るとは何かを捨てること。そして確かにアンタらにも”その時”が来ているかもしれない。捨てるモノがアンタ自身ってとこはアンタの覚悟と認めてもいい。分かっていても中々できることじゃないもの」
「なら……」
「だからって全部捨てるのはバカよ。これまでのアンタは愉快なバカだったけど今のアンタは不愉快なバカね。パーティのことはパーティと決める。当たり前でしょ?」
ぐうの音も出ない程徹底的に打ちのめされたパッチは力なく天井を見上げた。明るいライトがやけに空々しかった。
「一度立ち止まって切り捨てるべきものをよく考えなさい。仲間ともよく話し合いなさい。その上で下した結論なら、私はどんなものでも応援するわ」
「……お銀さん」
それでも最後にはパッチ達の決断を尊重し、応援するとお銀は言った。
誰か一人だけでも理解者がいる。そのことにどれだけ力づけられただろうか。
「ありがとうございました! よく考えて決めます!」
カウンターから立ち上がり、姿勢よく頭を下げる。
が、お銀は気にするなとばかりにヒラヒラと手を振ってそのまま背中を見せる。
「そ。私はこれから開店準備で大忙しよ。さ、行った行った」
「あ、なら僕が手伝うので――」
「いいわよ。色々考えることがあるでしょう? こっちのことは気にしなさんな」
そうして問答無用とばかりに店の奥へと引っ込む。
帰れ、と解釈したパッチはもう一度深々と頭を下げると扉を開け、出ていった。チリン、とベルの音が鳴った。
「……………………」
その音を合図に、再び奥からお銀が現れる。
コツ、コツと足音を鳴らしながら店内の一画、革張りの大きなソファーがあるあたりに足を向け……これまで以上に呆れた語調で声をかけた。
「――――そろそろ狸寝入りは終わりよ、迅ちゃん。起きてんでしょ」
お銀の言葉をキッカケに、何もないように見えていたソファーの上にだらしなく寝ころんだ一人の男――迅路が現れた。その直前、奇妙に立体感のない、闇で出来た布のようななにかがスルリと床に落ちた。お銀のスキルだ。
「……もーちょっと寝かせろよ。二日酔いなんだ」
「昨日の晩から朝まで吐くまで呑んでこの時間までソファーを使わせてやった時点で義理は果たしたっつーの。おら、とっとと出てけ」
『職業:暗殺者』のお銀は闇属性のスキルを得意とし、その中に隠蔽効果を持つものもある。店内を一巡り掃除したユウキが迅路の存在に気付かなかったのも無理はない。
「地声が出てんぞオカマ」
「その首落としてベルの代わりに吊るすわよ酒カス?」
そんな高位冒険者の逆鱗を躊躇なく逆撫でする酒カスは生粋のダメ人間であった。
本職もビビる脅しの利いた低い声を耳元に囁く。少なくともパッチはチビるしユウキはギャン泣きするだろうガチトーンだった。
が、
「……勘弁してくれよ。疲れてるんだ」
力のない言葉だった。いつもの飲んだくれた時よりも酷い、疲労と諦観が錆びのように染みついた声だ。
思わずお銀から怒気が抜けるほどに”ひどい”声。
「……アンタとパーティを解消してから13年か。早いもんね」
「見る影もなく落ちぶれたって言ってくれていいんだぜ」
「常日頃から言ってるでしょこのダメ人間。アンタは年長者としてマジでもうちょっとしっかりしろ」
「耳が痛ェな。もういい加減俺なんて放っておけよ」
そう言ってゴロリと自身から顔を背けるように横になった迅路を見、お銀は処置無しとばかりに額に手を当てた。
「一応はあんたの結婚式でスピーチまでした仲だからね。放っておける訳ないでしょ」
二人はかつて同じパーティを組んだこともある……どころか学生時代から付き合いがある筋金入りの腐れ縁だった。飲酒と女装。ともに世間から爪弾きにされた者同士、そして転生者という共通点から性格は全く違う二人は不思議と馬が合った。
「新婦(あいつ)の友人枠としてだろ。友達甲斐のない野郎だ」
「だから言ってるんじゃない。あの子の旦那じゃなきゃあんたみたいな飲んだくれとっくに見捨ててるっつーの」
そして妻がいた頃の迅路は……今とは全く違う人間だった。品行方正、誠実温厚……に振る舞いつつ身内にはちょっとだらしないところがあるごく普通の男。少なくとも酒カスと呼ばれるようなクズではなかった。
「そうしてくれても良かったんだぜ」
「……このバカ」
荒谷迅路は前世から続く生粋の酒カスだ。今世でも小学生からこっそり嗜み始めていたのだから筋金入りである。
だがそんな迅路がキッパリと酒を止めた時期がある。
それが迅路の亡き妻に出会い、一目惚れし、酒を断ち努力を重ね、結婚し、娘が生まれ……13年前の九州大迷災によって全てを失うまでの間のこと。
「……娘ちゃん、生きてたらユウキちゃんくらいかしらね」
「どうかね。流石にユウキよりかは成長してるだろ。こう、胸のあたりとか色々」
「乙女の制裁、デリカシーチョップ!」
ソファーから起き上がり、胸の前で品のないジェスチャーをしたロクデナシの脳天に容赦のない手刀が叩きこまれる。Lv.42からの腰の入った一撃は迅路の眼の奥で火花を散らせた。
「いでッッッ!? テメェいま本気だったろ!?」
「いい薬よ。たまには本気で痛い目にあっておきなさい」
噛みつくような抗議もシレっと流すのは流石ギルド支部長の貫禄だった。世間一般では十分に一流の枠に入る迅路を相手にこうも手荒に扱える人間は早々いない。パッチは色んな意味で例外だ。
「それが嫌なら修業を再開することね、一応は《サバイバーズ・ギルド》の幹部候補だったこともあるでしょ」
「……何時の話してんだよ。もうとっくにお前に追い抜かされてるじゃねえか」
「そうね。アンタが腐り始めて大分経っちゃったわね……」
遠い目で今ではない過去を見るお銀。当時の迅路はLv.35で伸び盛りの20代前半。オモイカネの裏組織《サバイバーズ・ギルド》でも幹部に上り詰めるのは間近といわれていた。その意思もあった。
その全てが九州大迷災――人口1000万を擁する大地が《迷宮領域(レルム)》に呑まれた大災害で捻じ曲がった。
「乙女がデリカシーを投げて敢えて言うわ。そろそろ前に進みなさい」
「無理さ。酒カスは一生酒カスだ。あの時、嫌という程分かっちまった……」
迅路を腐らせ続けたのは家族の喪失……”ではない”。もちろん大きな要因だが、あの地獄に叩き込まれた迅路の前に現れたのはそれまでの人生の否定に等しい現実だった。酒に逃げたくなるのも無理はないと、お銀が思うほどの。
「……あっそ。なら一生ウジウジ腐ってなさい。ただし、アタシの店以外でね。オラ、立ちなさい! 乙女キック!」
「いでっ!? ひでえマスターだ、客に対する遠慮がねえ……また来るぜ」
「金を払わない客は客じゃないの、お分かり? 次は懐が温かくなってから来なさい、酒カス」
ソファーから迅路を蹴り転がし、フラフラとした足取りで店を出ていく背中を見送る。
「……あの”力”が付いて回る限り、あいつは腐ったままなのかしらね」
腐れ縁の友人が辿った難儀な半生を知るだけに見捨てることもできず、お銀は重苦しい気持ちの籠ったため息を吐いた。