小説って、みんながみんな書いてるものじゃないですよね。私が高校3年生だったとき、文芸部の部員は学年400人中の4人。100人に1人、というのはかなりリアルな数字なのかもしれません。
では、なぜ小説を書くことにしたのか。
「小説が好きだから」、確かにそれもそうです。
「真っ白なスペースに文字で世界を紡いでいく楽しさ」これを知ってしまったから。それもそうです。
でも、私の中で一番大きい理由は他にあります。
〈物語を必要とする人々〉
重い話をします。少しでもフラッシュバックしそうになったら、画面を閉じておいしいココアでも飲んでくださいね。
さて、
ネットを眺めていると、限界を訴えながら必死に生きている人たちであふれています。
・自分で自分を傷つけるようなことをして、頭の中をグニャグニャにしながら、なんとか生きながらえている人。
・誰かにひどく傷つけられ続けて、その場から逃げ出すわけにもいかず、ただひたすら耐え忍んでいる人。
・他者と自分を比べて、自分を卑下するあまり、終わりのない苦しみの中で吐きそうになっている人。
・もう過ぎたはずの苦しみが、ずっと体の中にあって、それが時折暴れ出す人。
ここで全ての人を挙げることはできませんが、他にもたくさんいると思います。
・勉強が大変、このままじゃ志望校に届かない。無理。
・学校生活が大変、友達と上手くいかない、無理。
・家の中が大変、逃げ場がなくて無理。
どれか一つは、思い当たるものもあるのではないでしょうか。
どれとは言いませんが、私もそうでした。そんなとき、私を生かしてくれたのが「物語」でした。あの頃の私は、強烈に「物語」を必要としていました。
そして、敬愛すべき作家の皆様のおかげで、私には今があります。
いま、私は、生きていてよかったと思っています。ただ、だからといって「今より絶対よくなるから頑張って」なんて、そんな無責任に言い回ることはできません。けれど、生きていないとそもそも未来がありません。
だから私は小説を書きます。
助けてくれた「物語」に恩返しを。
それからどうか、もう死んでしまいたいと思っている人たちへ。死んでしまいたいと、思ったことがある人へ。
こんな話を書きたい、と思う人がいることを伝えたい。それを希望にしてくれたら、何よりも嬉しい。
これが、心からの私の思いです。
言葉の力ってすごいです。
言葉は、人の心に寄り添うことができる、数少ない道具でもあります。それを、画面の向こうの誰かのために使ってみたいと思うのです。
そして、もし、それで昔の私が救われたなら、今の私も報われる。そんな利己的なモチベーションも、私の中には存在します。
人のため。そして、自分のため。
私が小説を書く理由は、ここにあります。
以上です。
何か、参考になったことはあったでしょうか。いま取り組んでいることは、「自分で選んでよかったこと」がいくつも重なり合った末の活動でもあります。こういうことは黙っていた方がかっこいいのかもしれませんが、私はかっこよさとかは棚の上に一旦置いておくことにしました。まず力をつけることが先決!見栄よりも、鍛錬、気合い、根性、継続、これです。これからも頑張ります!!!
▽金沢、展望台です。金沢はいいぞ〜