明石城の巽櫓です。
城探部は二の丸まで登ってくるとここで景色を見渡しました。
実際に私が足を伸ばした時も海風が気持ちよく近隣の人達が散歩や日向ぼっこを楽しんでいました。
ビルの奥に見える山は実は淡路島なんですがビルで隠れてしまっています。
これが訪が勿体ないと思った理由です。
巽櫓は船上城の天守を移築してきた櫓と言われていてその船上城は高山右近が拡張したお城だと言われいています。
船上城は”ふなげじょう”と言って普通は”ふながみ”とか”せんじょう”とか読みそうな所です。
高山右近は船上城を二年間領主として治めていましたが秀吉よりバテレン追放令によって改宗を迫られた右近は大名であることよりもキリシタンであることを選びました。
そのため秀吉はやむなく右近を追放することになったのです。
右近はキリシタンとして多くの大名の尊敬を集めていました。
その代表が秀吉の近臣の小西行長です。彼もキリシタンでした。
彼の手引で右近は加賀の前田家に客将として招かれ一万五千石の扶持を与えられることとなるのです。