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四月十四日の備忘録

お疲れさまです。
吉野諦一です。

日記というほどの頻度ではありませんが、今日より日々の執筆活動や創作の種をつらつらと書き残していくことにしました。
正直に言うと、昨日公開したばかりの新作を宣伝する意図もあります。このノートをご覧になった方で興味を持たれた方はよければご一読ください。



それでは本題。

今日は球場での野球観戦をしました。これは実に十五年ぶりのことです。
ルールは知っているのですが贔屓の球団がないために長らく触れてこなかったのです。
上司に誘われなければ縁遠いままだったことでしょう。

試合内容に関しては割愛します。

観戦を通して感じたのは、「言葉の荒さは伝播しやすい」ということです。
野球に限らず「熱くなる観客」は一定数居て、その声は他の客よりも大きい。それを数時間にわたって聞き続け、同じものを見続けたらどうなるか。
自分は引っ張られました。言葉選びが荒くなり、ややきつい訛りが出やすくなりました。二時間かけて家に帰っても、なかなか戻りませんでした。
試合の盛り上がりによって興奮気味だったのも否めませんが、自分がそういう言葉遣いをすることに多少のショックを覚えました。

観戦の熱に浮かされていたにせよ、言葉を選ぶのは結局自分です。
しかし、大人がこんなふうに影響されてしまうのだから吸収性の高い子どもにはもっと影響が強いだろうなとは思います。
実際場内では「子どもに聞かせられないようなヤジはやめよう」的なアナウンスが流れていましたし。そんなのをわざわざ何回も放送しなくちゃならないのか……と少し驚きました。
考えてみれば試合中に子ども向けのイベントもやっているので当然の配慮ではありますが。

見聞きしたものがバイアスを生じさせる。
当たり前のことではあるけれど、身をもって体験するのは久しぶりのように感じました。少し前まで「自分の文体」を捜していただけに、外からの影響をモロに受けることを避けていたというのもあります。
こういった刺激の積み重ねで自分らしい言葉選びが出来上がっているのだなあ、と再認識したのでした。

おしまい。

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