• 歴史・時代・伝奇

歴史研究と歴史小説2

こんにちは。

呉座勇一センセの「歴史に学ぶくらいならワンピースを」は、史学方面やら物語方面でうんにゃらと難しい議論になっているようですね。

議論が起きたのはよいことだと思います。

色々勉強になりますから、
どっちも頑張って下さい。

で、
アタマが反応したのでメモ書きなんぞ。



史学側から見た史実を振り回すヤバさはたぶん、「かつてこういうやり方で成功したから、今回もこうすればうまくいくはず」みたいな援用の誤りなんでしょうね。

未来は常に不可知です。
あたりまえですよねえ。
あーたーりーまーえー。

それに対して過去の類似例を引いてきて自説の傍証にする、コイツがたぶん一番危ない。

その対局にあるのが韓信の背水の陣の逸話で、こちらは「死地に陥れて然る後に生く」という原理を適用しています。

これはニンゲンの生存本能に関するハナシなんで、条件が変わっても「死地」では同様の反応が期待されます。

反応しないと、死にます。

つまり、条件には左右されないわけです。

それに対して類似例は同一条件下では再現性があるかも知れませんが、そもそもさまざまな条件が完全に一致なんてことはないわけでして、やっぱり違います。

だから、援用するにもそれが適切かの検証は大変に煩雑ですし、たぶん難しいでしょう。

そのあたりが、類似例と原理の汎用性の違い、ということかも知れません。



にしても。
個人的見解では、歴史小説もフィクションでありワンピースと同じく物語側に入ると思うのですけど、歴史小説はそうじゃないという方がおられるのか、ちょっと気になります。

歴史小説=史実???

いや、それだけでは物語として面白くなりにくい気がしますし、むしろ作家の腕の見せどころは、史実を元にしてどれだけリアルで感情を揺り動かすウソを吐くかだと思うんですけどね。

読んで面白くて、史実を確認してどこが創作かを知る。それにより歴史と作家性の双方への愕きと敬意が生まれたように記憶しています。

その具体例が本サイトの下記二作です。

【漢文超訳】襄陽守城録―最前線に着任したら敵軍にガチ包囲されたんだが―
氷月あや
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884171637

守城のタクティクス
氷月あや
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884546369

前者はガチ翻訳準拠で訳文だけラノベ、後者は創作を交えた歴史小説、個人的には時代小説的だと思います。どっちもオモシロイです。

ちなみに、
歴史小説と時代小説に優劣はないですよ。
取り扱い対象が違うだけです。

史実は魅力的なリフではあり得ますが、楽曲の質はそれ以外のところにあると考えたいのですよね。

そういう意味では、史実の追求と物語の構築は明らかな別フィールドですから、混同してグチャグチャならないとよいのですが。

史実は検証可能、創作はそこに縛られない。

史実を扱うなら検証可能な方法でやるべきであり、陰謀論のようにヘンチクな人間関係とかを持ち込んで検証不可能にしてはならない。

情報を扱うには、それなりのやり方、つまりマナーがあり、マナーに沿わない扱い方では意味がありません。



でも。
陰謀論も楽しいからやるなら物語でやりましょう。

『読史の断片録』はどっちかというと陰謀論寄り。
ってか穴だらけの妄想に近い気もしておりますね。

それも面白ければありだと思いますけど、
それはまあ、あくまで面白ければですね。

面白ければ。。。ううっ。



どうでもいいハナシですが、
完結した暁にはタイトルを
『続三国志No.─原書名─』
に変更の予定でございます。

3までやるかは未定ですが、
今のはちょいキモチワルイ。

つまらない理由ですみません。

12件のコメント

  • ありゃりゃ

    >呉座勇一センセの「歴史に学ぶくらいならワンピースを」は、
    >史学方面やら物語方面でうんにゃらと難しい議論
    >になっているようですね。

    SNSやっている上にその手の話が好きだった自分が全く知らないですね。三国志後伝の魔力恐るべし(笑)(あと、switch買った)。議論が活発になっているのはカクヨム内でしょうか?

    >それだけでは物語として面白くなりにくい気がしますし、
    そこは史実通りのストーリーに独自の歴史解釈と人物の台詞さえいれれば面白くなると思っている考えの人が、ネットで目立つ歴史に詳しい人に多いのでそういう認識が意外と広がっている感じはしますね。

    そういう方たちは「どの歴史も面白い」と語りますが、研究としてはどの歴史も面白いのでしょうが、物語としての面白さは完全に別物でしょう。その認識のずれが、歴史ファンと小説ファンとのすれ違いになっていると思われます。

    >歴史小説=史実???

    そういう認識が私の語ったネットの歴史語りが創作の歴史解釈なのか評論なのか、研究なのか、よく分からないところになっている原因だと思われます。

    独自のある答えを出すような歴史解釈をして、それが自分や他人に面白いように感じることがある。それで歴史解釈と小説が同一視されるのではないでしょうか。

    氷月あやさんの二作品はそれを完全に認識した歴史ファンと歴史小説ファンをうならせるものでしたね。

    >完結した暁にはタイトルを
    >『続三国志No.─原書名─』
    >に変更の予定でございます。

    完成を楽しみしています。その時はwikipediaも変更しなければならないし。

    wikipediaといえば、三国志後伝の項目、更新しました。原書の所在、通俗続三国志・通俗続後三国志情報に、参考文献等に新しい情報を更新しています。
  • >面白ければ。。。ううっ。

    面白ければ。。。ううっ。 

    何をどう頑張ってみても
    「で、お前のそれは面白いの?」
    こそが絶対的なラスボスですね……
  • こんばんはー。お邪魔します。

    単純に喜びに来ました。
    ご紹介いただき、恐悦至極に存じます。いぇい!

    議論するとか短文で手短にしゃべるとかは難しいので、合計40万字の原稿でガチ暴れしてみました。というのが守城×2でした。
    何かとハードモードでしたが、楽しかったので、趙萬年には感謝です。

    『読史の断片録』、楽しんで拝読しています。
    中原のムキムキマッスル且つゆるやかな寛容の話、そういうの好きなんです。

    またお邪魔しに来ます。
  • まめさま

    こんばんは。
    switchはいいですね。

    〉議論が活発になっているのはカクヨム内でしょうか?

    twitterみたいですが、元はブログ記事でした。

    【宇宙の果てまで拡散希望2】呉座勇一氏の奇説と信者たちの擁護に困惑する

    https://ameblo.jp/sagarasouju/entry-12398824254.html

    ブログ→twitterのコンボなんでしょうね。議論は主にtwitterでなされているらしく、チラ見はしましたが、あまり興味がない方面に向かっていたので深追いはしませんでした。

    ブログの内容はざっと見て奇説と言い切れるほどには論難できていないかな、と感じました。


    〉「どの歴史も面白い」

    歴史に興味があれば確かにそうですが、本邦の一般層において何故に中国史=三国志という図式が崩されないのか、という問題が屹立しておりますからねー。

    そういう訳には参りませんよね。


    〉歴史ファンと小説ファンとのすれ違い

    御説ごもっともです。ホントにねえ。


    〉ネットの歴史語り

    現状、かつてのように情報拡散が出版に限られておらず、それはよいことですが、何やら分からないネットDE真実な雑文が増えたのは確かです。

    査読がないダダ漏れなわけですからね。

    なので、リテラシーを養わないと非常にマズイ情報蓄積をする方も現れてくるかも知れません。

    情報に対して目利きを養うか、または、信頼できる書き手を探すか、出版物のような一定品質が担保されたものによるか、自らの育て方を考えなくてはなりませんね。

    これは、歴史だけのハナシではありませんが。。。


    〉歴史解釈と小説が同一視される

    このあたりは司馬遼太郎さんの影響も大きそうですね。


    〉氷月あやさんの二作品はそれを完全に認識した歴史ファンと歴史小説ファンをうならせるものでしたね。

    上でお喜びでしたが、まさしくですね。
    しかも、手の内を晒した上で小説版を読み通させた訳ですから、豪腕と言わざるを得ませんよねー。


    〉その時はwikipediaも変更しなければならないし。

    ホントすみません。。。


    〉wikipedia

    拝見しました。
    充実しましたねー、おつかれさまでした。

    あわせて、『通俗続三国志』の序にWikipediaとtogetterを紹介させて頂きました。

    事後報告になってすみません。

    あと、『続三国志II』八十一回へのコメント転載、ありがとうございます!
    六十三回のコメントは落としておきますねー。
  • 佐藤さま

    こんばんは。

    〉「で、お前のそれは面白いの?」

    自分には、
    ですかね。

    そこから始めるしかないですから。。。
  • 氷月あやさま

    こんばんは。

    〉守城×2

    旅翠瑛と裴顕の悲恋はフィクションだとわかっていても、やはり心は動かされるものですよね。

    史実かフィクションかは関係ないです。
    あれが物語のチカラだと思いましたね。

    『断片録』はもっとやわらかい内容を予定していたのですが、リアルタイムで興味があるところをダダ漏れにすると、あんな感じになりました。

    制御が全然効いていませんねー、いかんいかん。

    殷や周は遊牧民の匂いがするんですけどねー。
    気のせいかなあ。。。
  • >本邦の一般層において何故に中国史=三国志
    >という図式が崩されないのか、
    >という問題が屹立しておりますからねー。

    スマホゲームみても中国史物はほとんど全て三国志ですからね水滸伝・他の中国史は一つでもあるのでしょうか(キングダムは除く)。

    あそこまで、差をつけられると、どの時代も面白いなんて、完全に気持ちは失せますね。歴史ファンだけの勝手な認識を世間一般でも当てはまると思っているだけでしょう。

    >〉歴史ファンと小説ファンとのすれ違い

    >御説ごもっともです。ホントにねえ。

    この前、河東さんに「歴史小説において、児童文学みたいなわかりやすい小説は、メリットがないので誰もしない」と言われて、なんとなくピンと来ました。つまりは、残念ながら、歴史ファンの中で、一般の方へ興味をもってもらうことに、そこまでの犠牲を払うほどの方は、ほとんどいないということなのでしょう。

    それよりも、史学の学士の知識があれば、ネットでは賞賛されますしね。初心者用としてつくったサイトには歴史知識自慢の叩きのコメントが来るそうです。

    >現状、かつてのように情報拡散が出版に限られておらず、
    >それはよいことですが、何やら分からない
    >ネットDE真実な雑文が増えたのは確かです。
    >査読がないダダ漏れなわけですからね。

    そうですね。自分はかつては、陰謀論も含めたそういう歴史雑文は、蓋然性の高さや解釈の面白さを競う知的遊戯みたいなものだと思っていましたが、多くの場合は、批判の反応に対して喜ばないどころか、時には攻撃するところを見ると、そういう人たちは、「俺の考えた最強人物評論」や「俺の考えた最強歴史解釈」で、自分の同調する人を作ることが目的であって、そういった歴史好事家の遊びとは違っていたようですね。残念ですが、それでは遊びとしても楽しいものではありません。

    >自らの育て方を考えなくてはなりませんね。

    そうですね。その方たちの知識が一部、いや例え、総合的な知識で私を上回ったとしても、惑わされずに、自分の考える方向に決めるべきだと思います。

    >あわせて、『通俗続三国志』の序に
    >Wikipediaとtogetterを紹介させて頂きました。

    読みました。ありがとうございます。丁寧にご紹介されていますね。

    後、中村昂然さんは、通俗唐玄宗軍談を書いて、林九成という人が校正をしているのですが、これは浮世草子作家の林義端のことですね。中村さんが馬場信意としたら、その修行先は林義端関係のところだったのかもしれません。

    林義端も調査後、wikipediaの記事にする予定です。
  • まめさま


    こんにちは。

    〉どの時代も面白いなんて、完全に気持ちは失せますね。

    ははは。
    個人的にはどの時代も楽しいのですよ。
    楽しさに至るハードルに差があるだけ。

    ハードルを下げられるなら、
    楽しくなるかも知れません。

    「三国志が最高」
    という方が楽しめているならOKです。
    「他の時代はクソ」
    と続くと、それはよくないですよね。

    他人様の意見に異論は挟みませんが。


    〉歴史ファンだけの勝手な認識を世間一般でも当てはまると思っている

    そーゆー方が多いのは事実ですが、
    一般化できるほどではないかなあ。


    〉歴史ファンの中で、一般の方へ興味をもってもらうことに、そこまでの犠牲を払うほどの方は、ほとんどいないということなのでしょう。

    こちらに完全に同意ですね。
    正確性にこだわって楽しみを伝えられていない。

    楽しさこそ入口です。難しさはそのさらに先。
    それも楽しさなんですが、初手からはちょっと。


    〉史学の学士の知識があれば、ネットでは賞賛されますしね。

    トリビアをよく知っている程度でも
    歴史に詳しいと言われますからねえ。

    歴史=暗記が一般認識ですから、
    仕方ないかも知れません。


    〉歴史雑文

    トリビアでマウントしてもしゃーない、
    んですけどね。

    しかし、
    目的がマウントでは笑われますが、
    広めるための単純化は評価します。

    エンターテイメント性と単純化には、
    深い関係性があるのですよねえ。

    歴史の事実は複雑で楽しみにくいです。
    アタマがこんがらがってくるくらいに。

    三国志も単純化されたから入りやすい。
    清流濁流や地域派閥を考えはじめると、
    曹操陣営内すらもかなり複雑化します。

    だから、大胆な単純化がされています。
    異民族の影響を過少に描くのも同じく。

    他の時代にそれを試みるのは有効です。
    それは、評価に値するという考えです。


    〉「俺の考えた最強人物評論」や「俺の考えた最強歴史解釈」

    これと単純化の区別は難しいかも。
    一見同じく見えるかも知れません。

    それを当否の観点で論じてしまうと、
    甘くしようとした料理に塩をかける
    結果になる危険があるかもです。

    絶対に正しい回答はありませんから、
    これはなかなか難しいところです。

    学術外で開陳される説に絡む場合は
    その意図を明らかにしてから適否を
    見極める必要がありますね。

    学術的な説ならば遠慮は不要ですが。


    〉自分の考える方向に決めるべきだと思います。

    ちょいと誤解があるかも知れません。
    まあ、解釈は受け手の任意なので、
    特に何か言う必要もないのですけど、
    誤解なきよう、念のため。

    自らの育て方はつまり、何から情報を摂取するかという上位レイヤの話であり、誰の論に従うかという下位レイヤの話ではありません。

    誰の論に従うかという話は枝葉です。
    誰の論にも従わないというのも同じ。

    むしろ、そこに至るまでに摂取して判断に
    使った情報をどこからどう得たか、それは
    どのような精度の情報かが大事ですよね。

    ちゃんとした情報を摂取できている限り、
    その結果としての判断は任意であるべき。

    それは疑いありません。

    論点は情報の摂取と取扱の方法です。
    他人様の論説の取扱ではありません。

    少し気になりましたので蛇足ながら。


    〉丁寧にご紹介されていますね。

    詳しく書いてみたのですが、
    そんならリンクの必要ないじゃん?
    というわけで、アッサリさせました。

    なるべく調査結果に触れて頂きたいものです。


    〉林九成

    林九兵衛、林九生。伊藤仁斎門下。。。

    『論語古義』の伊藤仁斎かあー。
    なんか意外な人に繋がりますね。

    元禄の頃の京都も色々な方がいて
    賑やかだったようですね。

    楽しそう。
  • 長文にご回答いただきまして、ありがとうございました。

    >エンターテイメント性と単純化には、
    >深い関係性があるのですよねえ。

    確かに、これはおっしゃる通りですね。
    歴史を元にした創作にしても、紹介にしても一番、最初に当たる壁は、多すぎる人物をどう整理するかですからね。余りに簡略化すると、マニアから非難を受けて、それを自分の中でうまく処理できるかも、また、課題となります。マウントをしたがるマニアは多いですからね。

    >学術外で開陳される説に絡む場合は
    >その意図を明らかにしてから適否を
    >見極める必要がありますね。

    これは特に気をつけるようにしたいですな。

    >論点は情報の摂取と取扱の方法です。
    >他人様の論説の取扱ではありません。
    承知しました。

    ところで、林義端のwikipedia記事を作成しました。

    林さんも、漢文が難しくて、「倭詞の俗習に習ふて文を裁する所以を知らず」と理由で浮世草子に進出して、中村昂然や岡島冠山の力を借りて、心残りだった漢籍の翻訳の乗り出したようですね。

    尾田さんもそうですが、江戸時代の学者でも漢文の翻訳は難しかったということでシンパシーを感じます(笑)。なんとか、校正しようとして、中村さんに舌打ちされながら、逆に教えられる林さんや尾田さんが普通に想起できます。

    いかに、河東さんや氷月さんが優れているのかがよく分かる話です。

    通俗続三国志は宝永元年、通俗唐玄宗軍談は宝永二年(元年に序)に発行なので、私の仮説も否定はされなくてよかったです。

    資料もたまってきたので、中村昂然さんの項目も作成できそうです。
  • こんにちは。
    暑い日が続きますね。
    昼間に何もヤル気にならなくて困ります。。。

    さて。
    先にも触れましたが、「解釈は受け手の任意」は文章を書く上で必要な構えだと考えています。

    そういう意味では、翻訳なんかはラクなもんです。自分の発言ではなく、逃げ道がありますからね。

    だから、こういう雑文の方が気を遣います。
    こちらは、いわば個人的な発言ですからね。

    思考の質がつまり文章の質となります。

    なるべく議論が成立するように、意を尽くして記述する必要がある、というのがココでの方針です。

    以上、「オマエの文章は長い」への言い訳でした。
    また長い。

    と、
    長文の前説はさておき。


    〉マニアから非難

    筋論から言えば、
    マニアの非難など課題にもなりませんよ。

    マニアは少数だからマニアなわけでして、万一、
    ある時代への敷居を下げるべく執筆されている
    方から単純化を非難するマニアの対処について
    問われれば、「それは捨てなさい」と言います。

    マニアはすでに敷居を越えた人であり、執筆者が
    狙うターゲットから外れています。つまりは外野。

    敷居を高くしようとするならジャマなだけです。

    そんな方々の意見など、顧慮するに及びません。
    むしろ大多数のために聞いてはならないのです。

    このあたりは自らも含むマニアの通弊でして、
    「こんなに詳しい自分の話を聞かないとは」と
    憤慨しがちですが、実際には迷惑になるだけ。

    作法が違うのです。

    集めるのは簡単、
    捨てるのは困難、
    捨てて敷居を下げる方を応援したいものです。

    無論、単純化を非難するマニアは御自由に、
    という前提はありますが、建設的に捨て方を
    議論する方向がよいと思いますので、捨てる
    こと自体を非難するならば、マニアの方々も
    「激しくマトを外していますよね、アンタ」
    と言われる覚悟は持った方がいいでしょう。

    このあたりの問題が歴史・時代小説の不人気を
    作り出しているような気がしているのですね。


    〉林義端のwikipedia記事を作成しました。

    拝見しました。
    なかなかモダンな意識の方だったようですね。


    〉なんとか、校正しようとして、中村さんに舌打ちされながら、逆に教えられる林さんや尾田さんが普通に想起できます。

    (笑
    たしかに、中村さんを林さんが校正すると、そういう景色になりそうですね。アベコベです。しかし、林さんも古義堂の方ですからね。


    〉「倭詞の俗習に習ふて文を裁する所以を知らず」

    うーん。
    伊藤仁斎門下だったわけですから五経や史書は
    十分に読めたんじゃないかと思うのですよね。


    〉江戸時代の学者でも漢文の翻訳は難しかった

    たぶん、明清時代の白話混入体が読めなかった
    んじゃないかなあ。。。氷月さんの『襄陽』に
    見られた現代文スレスレのアレです、

    あれは漢文の勉強とはちょい別口の知識です。

    逆に、
    中村昂然さんはなぜアレを巧みに読み
    こなしたかの方が不思議なんですよね。

    当時、中国の方は長崎の出島から出る
    ことを許されていませんから、直接に
    中国語会話ができたはずがありません。

    ふうむ。。。なかなか不思議な話です。
  • 次の近況ノートの文に一緒にコメントします。

    twitter上の噂話にお付き合いされないのは賢明ですね、ということだけは申し上げておきます。

    ※まず、最新の文から

    >「なろう」とか他サイトに上げるのもよいかも知れませんね。
    これは知ってもらう方を増やすのに、よいと思われます。
    私もコメントをもう一周できますからね(おい)

    >人目に触れないとないも同じです。
    まことにその通りです。togetterもただ作ればPVが上がるわけではありません。タイトルと添付画像には気をつけています。それには、読んでいただく方へのサービス精神も必要で、これももっと磨きたいな思っております。

    >『通俗續後三國志後編』を翻訳するかはビミョーかなあ。
    >現状未定。一般層のニーズがあるとは言い難いし、

    そうですね。これは完全に河東さんの判断におまかせします。
    ただ、私としては、もし翻訳されるなら内容とコメントを楽しみにしていますし、応援させていただきたいと考えていることは間違いないです。ただ、私の活動のために無理に翻訳されるのなら、私の方からお断りするということは申し上げておきます。

    仕事ではないのですから、楽しまなければ意味がありません。

    漢文については、知りたいことを理解するための技術に過ぎないと思っています。技術そのものは知的好奇心が動かず、知りたいものをより深く知りたい時にやるもので、私にとってはテレビゲームのレベルアップに近い感覚ですね。

    ※次に、上のコメントに対して
    >マニアの非難など課題にもなりませんよ。
    その通りですね。そういう河東さんの力強い断定は非常に心強いですよ。歴史小説を書く人は、心理的に歴史マニアに近い位置にあるので、そういったマニアの叩きは案外、気になるものじゃないかな、と考えた次第です。そういう方たちを見かけたら、河東さんのお言葉を伝えていきたいです。

    >当時、中国の方は長崎の出島から出る
    >ことを許されていませんから、直接に
    >中国語会話ができたはずがありません。

    これについては、上田望先生の「日本における『三国演義』の受容(前篇)」の9頁にありますね。ciniiでPDFがあります。

    隠元は来朝してから、京都の寺に移ってますし、細かく調べないと分かりませんが、長崎生まれの岡島冠山が萩藩の通訳になったり、林義端と京都で意気投合できるのですから、唐話はそれなりに流通したのではないでしょうか。

    特に、「京都の古義堂でも正徳以降、唐話学習熱は次第に高まり、陶山南濤など後に唐話学者となる人物が続々と入門する」とありますから、それ以前に唐話学習するものがいても不思議ではないでしょう。

    林義端が、ほぼ同時期に岡島さんと中村さんに翻訳を依頼したことは想像に難くないです。

    次の私のまとめをするのが楽しみですね。三国志演義受容から、通俗続三国・通俗続後三国志刊行あたりの江戸時代は余りネットでは語られることはないのに、「三国志」というタイトルのおかげで、多くの方に読んでもらえる可能性があるわけですから。



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