こんばんは。
『続三国志II』の翻訳が終わりまして、あとはなるべく読みたい方が苦労なく三国志の終わりから西晋滅亡までの「物語」を楽しめるといいなあと考えています。
今のところ、本サイトにしかアップしていませんが、翻訳済みの二作をリライトしながら「なろう」とか他サイトに上げるのもよいかも知れませんね。
リライトはたいがい苦痛そうだし、間口を広げることも大事。そのためには、決定稿まで持っていきたい。。。誤りを二箇所修正するとか、イヤだし。
まあ、
場違いであることはたしかですが、
人目に触れないとないも同じです。
※
『通俗續後三國志後編』を翻訳するかはビミョーかなあ。現状未定。一般層のニーズがあるとは言い難いし、何より、二作の翻訳でこれくらいの悪文ならサクサク読めるくらいにパワーアップしました!
よかった、、、のか?
※
で。
今度は漢文クラスタの方がヘンチクな参考書を見つけて噛みついていらっしゃいますね。
板野博行『漢文ゴロゴ 』という、漢文の文法を理解できていない人が書いた大学受験参考書を発見したのでまとめました。
https://togetter.com/li/1243627まあ、これはしゃーないですかね。
お金を取れるレベルとは言えない。
これはこれでよし。
▼以下、閲覧注意▼
ただ、
学部や院で漢文教育を受けた身としては
こういうレベルに落ちた現状を忸怩たる
気持ちで受け止めざるを得ないのです。
なんでこんなに軽視されてしまうのか?
なんでこんなにレベルが下がったのか?
学界と教育界に厳しい断絶があります。
漢文クラスタの方々には現役の学者や
教育者や研究生が含まれると観ますが、
そのような方々が「これは例外的」と
思っているならたぶん大間違いでして、
社会が漢文教育を見る目がこの書籍に
映っていると思った方が妥当でしょう。
「漢文なんざ入試で得点できれば充分」
だから、
現状認識を自問せねばならないのです。
漢文は何故このような事態に陥ったか?
※
漢文は生きる上で必須ではありません。
しかし、知ることで変わるものもある。
個人的には漢文は好きですが、他人様に
勧めるかと言えば優先順位は低いです。
企業社会に暮らしていくつもりの方ならば、
ドラッガーやハイエクを読む方が優先です。
たぶん、みんなそんな感じだと思います。
漢文を読んで自分なりに楽しむまでには
それ相応の努力が必要となりますよね。
しかし、
実利を伴わない行為に時間を割くことは
特に若者には積極的に勧められません。
若いうちに為すべきことは多いのです。
漢文好きでさえ、そんな風に考えます。
※
そんな趨勢の中でどのように必要性を
訴求していくか、そのあたりの認識が
まるっと抜け落ちているような印象を
論者の方々からは受けてしまいます。
講義に来た方にどう教えるかを論じ、
どうすればより多くの方を講義まで
呼べるかはまったく考えていない。
これって潰れやすい飲食店経営者と
極めて似た傾向じゃないですかね。
メニューばかり考えて客層やそれに
応じたプロモーションをしないクチ。
問題は低レベルな参考書にはなくて、
高レベルな参考書が必要とされない
低需要にあるのではないでしょうか?
※
考えても仕方がないイシューですが、
この問題をつらつらと考えています。
漢文を読めるだけの人しか輩出しない
現行の人材育成に大いに問題がある、
そう考えないといかんのではないか。
だから、日本中世史に脚光をあてた
呉座センセイは偉大だと思います。
スター研究者は、必要なんですよ。
柿沼センセイはもっとエンタメ方向に
ハジけてしまってもよかったのかも。
楽しさを伝えなくては顧みられない。
一般層への訴求の観点から見れば、
楽しませることこそ大事ですから、
正確さと論の整合を求めるマニアの
批判は、ある意味では、危機意識に
欠けた太平楽なのかも知れません。
大学教員とて安泰ではないはずで、
今後は、講義に人を動員できるかが
死活を分けるようになるでしょう。
もうなっているのでしょうけども、
将来はさらに経済原理に侵される。
このままだと大学で漢文を読む方は
希少種になっていくのでしょうね。
あ、それは今とあまり変わらないか。
絶対数が加速度的に減っていくだけ。
じゃあ、それでいいかと言いますと、
少し考えねばならない問題ですよね。