• 歴史・時代・伝奇

諸々。

こんにちは。
翻訳はわりあいに順調ですでに7月後半に入っているのですが、「第八十回 石勒は三台の城を奪い取る」でどーにも分からないところがあり、ちくちく調べ物をしておりました。

「萬剮軍坯可要常守得牢。若是被吾打破滿城屠戮寸草不留」

ふむ。読み下してみますかな。
軍坯を万段とせん。常の守りは牢きを得るを要すべし。是の若くしても吾が打破を被らば、満城を屠戮して寸草も留めざらん

なんか変だ。。。
坯は坏の仮借だと思う。それなら壁の意味になる。坯は山または焼いてない粘土の意だから、ちょっと使えないですね。

可要常守得牢もちょっとねえ。
牢は堅牢と同義で常守が主語と考えると、まあ一文として分離できるか。。。つーか、これ命令文として読むのがいいのかなあ。
「你可要常守得牢」で「精々守りを固めとけや」とも読めそう。

そうなると超訳は、
テメーの城なんざ木っ端微塵にしてやっから、精々守りを固めとけや。そんでも、オレの一撃で粉砕して城内皆殺しにしちゃるでよ。

。。。悪役か。

まあ、さすがに石虎にそんな発言させるわけにもいきませんから、落ち着いた先はこちら。
「如何に堅く守ろうとも、敵陣を微塵に打ち砕いてくれよう。城を陥れた暁には兵民を選ばず皆殺しにして寸草も残さぬ」

やっぱり悪役か。
しばらく放置して博雅の御示教を待ちます。


▼7回あまる
本日公開分を含めて残りは35回、9月末までに3の倍数の日は10日、さらに5回残なのでこのまま行くと10月15日で完結します。

が。
完結目標は『続三国志』の公開を開始した9月24日なので、9月も2回余ります。合わせると、7回も余りますね。ドコかで3日に1回から2日に1回にペースを上げて詰めないといけません。

やるなら8月末からかなあ。。。3日に1回公開はわりと楽にこなせますが、2日に1回はなかなか厳しいので、8月末目指しでストックをしておかないとダメだなあ。頑張るべー。


▼地震
大阪の地震の最中は近畿にいました。特に被害はなかったですが、久々に焦りました。地震コワイ。
しかし、どうしようもないんですよね。

だいたい、100年から200年周期で南海、東南海、東海あたりのトラフによる大規模地震は発生しているそうで、その度に甚大な被害が出ていたはず。

言の葉の陵
真夜中 緒
https://kakuyomu.jp/works/1177354054883882735

最近に読み終えたこの作品中では、648年の白鳳大地震も触れられています。地震コワイ。

しかし、暮らす足元が安定せず、いつ死が襲うやも知れぬ環境下での宗教観は、死を身近に置いたものにならざるを得ないのかも知れません。
下のレビューにも触れたのですが、民俗的に日本人は古代から死者と生者の垣根が低いように感じます。盆には死者も帰省しますし。

澄み切った文が綴る聖と俗の鎮魂歌、鳥肌立ちますよ。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054883882735/reviews/1177354054886262464

そう考えると、日本のような土地では一神教における神のような超越者は想像できず、聖と俗が日常に入り混じらざるを得ないのかも知れません。

そういえば、和田竜さんの歴史小説でも、戦国時代の日本人は異常に命を軽んじた、という設定だったように記憶しますが、案外と実状に即していた可能性があるのかなあ。かなり史書を調べられる方なので、そこから得た着想だったのかも。


▼あ。
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺跡が世界遺産認定されましたね。よかった。

10件のコメント

  • 漢文の訳は口だしはできませんが、今後の展開を考えても、虐殺ばかりする石虎は悪役でいいと思いますよ。

    劉聡や劉曜の欠点が明らかになり、まるで石勒が主人公のように活躍するので、石勒=主役の正義の軍、としてしまいそうですが、あくまで酉陽野史の中では、北漢が衰退したのは劉聡・劉曜の行動の結果であり、石勒の行動の結果が成功に導いたというだけのことでしょう。

    石勒は主役でも正義でもなく、漢の不忠の臣であり、王朝は長続きしなかったその悪を石虎に代表させているのだと思われます。

    これも未完で終わった結果であり、いくら歴史小説といっても主人公不在のまま、収束するのならと、私が續後三國志演義前編で終わらせてもいいのではと考える理由です。

    あえて、石虎に個性をつけるならば、前の翻訳でそういうキャラ付けにするのも一つの方法ですね。

    結果的に見れば、あそこで終わるのなら、ここで劉曜を主人公にして、項梁がいる時の項羽みたいなキャラではなく、関羽や李広みたいな悲運の名将にした方がよかったですね。

    >8月末目指しでストックをしておかないとダメだなあ。頑張るべー。
    私の方もほとんど終わっているのですが、手に入る資料が見つかると、それを調べて、内容に含めなければおさまらない性分で(笑)

    ただし、三国志後伝の書籍調査については、国会図書館に籠もるぐらいでは多少の確認ができるぐらいで、中国で目録を徹底的にあたるかしないと、大きく発展させるのは難しいと言って良い程の内容になっています。

    これからは、出版が確認されている中国語の書籍と三国志演義続編関連論文を当たるつもりです。

    地震についてはご無事でよかったです。翻訳を楽しみにしています。
  • こんにちは。
    おかげさまで地震にもメゲずにテカテカしてます。

    〉石虎は悪役でいいと思いますよ。

    どうなんでしょうね。『晋書』は『鄴中記』などの覇史を参照したんでしょうけど、どれだけ石虎の実像を伝えているのやら。まあ、分かりはしないのですが、やはり気になりますね。


    〉石勒は主役でも正義でもなく、漢の不忠の臣

    という理解にならないとおかしいんですよね。そもそもの執筆動機から鑑みれば。
    しかし、劉淵の晩年もロクなものではありませんでしたし、劉聰ダメ、劉曜もっとダメでは、漢王朝の血筋って一体。。。ここから『後編』の位置づけがイマイチ理解に苦しむ感じになります。なんなんだろう。。。


    〉私が續後三國志演義前編で終わらせてもいいのではと考える理由です。

    確かに収まりはいいんですよね。
    でもほら、劉琨とかやっぱり気になるじゃないですか。


    〉劉曜を主人公にして、項梁がいる時の項羽みたいなキャラではなく、関羽や李広みたいな悲運の名将にした方がよかったですね。

    いやー、酒で失敗し過ぎでしょー。魯智深かよってハナシですし、悲運の名将にはなりにくいですよねー。


    〉中国で目録を徹底的にあたるかしないと、大きく発展させるのは難しいと言って良い程の内容になっています。

    ふうむ。
    記述頂いた内容だけでは何とも判断がつきませんが、意外に大陸では広がりがある感じなんですね。更新を正座してお待ちしております。
    でわでわ。
  • 石虎のことはまた、別に話す機会があるとして、

    >劉淵の晩年もロクなものではありませんでしたし、
    >劉聰ダメ、劉曜もっとダメでは、漢王朝の血筋って一体。。。
    >ここから『後編』の位置づけが
    >イマイチ理解に苦しむ感じになります。
    >なんなんだろう。。。

    これは、1990年に書かれた論文陈年希「《三国志后传》考论」で解説されていましたね。

    これによると、酉陽野史の書いた動機には、本人が語る漢が晋を滅ぼして読者の心理需要を満たす以外にもあるそうです。それは、劉淵の耄碌などの具体的描写によって、彼の儒家的政治倫理観念により、人物の褒貶を取り払い、(「去人物褒貶」はこの訳でいいでしょうか?)歴史事件を評価する目的です。作中で遊光遠が語る「好殺者必亡、寡謀者必滅」というのが全書に渡るテーマだそうです。

    これで河東さんがおっしゃる酉陽野史の「侠」の無理解。2000年の論文、高玉海「《三国志后传》君臣形象论」で論じられる「酉陽野史は忠や仁はまだ理解しているけど、義は理解していない」という結論につながりますね。

    酉陽野史は知識人であるため、無茶苦茶だがエネルギッシュな講談や戯曲を初期以外は取り入れられず、独りよがりとはいえ、弱き者のために振るう、がむしゃらな正義感である「侠」や「義」を理解できず、武将の武勇談や軍略ばかりを好んで描写した理由がなんとなく分かります。日本での方が流行ったっぽいのも理解できますね。

    おそらく初期の酉陽野史壱はただの講談師、途中からの酉陽野史弐は史書と三国志演義大好きな知識人でしょう。
  • こんばんは。
    抜粋だけでオハナシするのは難しいネタですね。

    〉「去人物褒貶」

    これだけでは、「除く」という訳でよいかは判断できません。去字は様々な用例がありますからね。まあ、「捨てる」「除く」の可能性が高そうですが、「務める」「演じる」の可能性もなくはない。


    〉儒家的政治倫理観念により、人物の褒貶を取り払い

    うーむ。これまた難しいですね。
    儒家的政治倫理観念とやらの意味次第ですが、そもそも倫理は善悪判断に関わるものですから、倫理に固執するほどに人物の褒貶に偏らざるを得なくなるような。。。だから、この文脈だけを見れば解釈不能と言わざるを得ないです。

    こう解される一文の後段に「去人物褒貶」が来るならば、解釈はかなり注意が必要になりそうです。去字の理解に注意しないと文意が正反対になるかも知れません。


    〉「酉陽野史は忠や仁はまだ理解しているけど、義は理解していない」

    そう解している方がおられましたか。

    しかし、中国における義は難しいですよー。「義侠」と言いますが、義字の解釈は日本人には不可能じゃないかと考えています。

    有名な「義を見てせざるは勇なきなり」ですが、『論語』為政篇の出典は次の通りです。

    子曰、「非其鬼而祭之、諂也。見義不為、無勇也」。
    子曰わく、「其の鬼に非ずして之を祭るは、諂うなり。義を見てせざるは、勇無きなり」と。

    みんな前文を無視して理解していますが、なぜ前文がここに置かれるか。軽く日本語訳してみますね。

    孔子は「自らの父祖の霊ではないのに祭るのは、諂っているだけだ。義を見て行わないのは、勇がないのだ」と言った。

    意味不明。細かく見ていきます。
    前段は、祭祀は自らの身内に限ってやれ、というお話ですね。これは間違いようがありません。その後に続く義字の解釈ですが、「正義」の義ではないと見ざるを得ません。

    じゃないと、前文との連続性を欠きます。この二分が連続性を持つという前提においては、義字は「一族身内に対して果たすべき義務」と考えなくてはならない。それでこそ、この二分は次のような意味で対句となり得ます。

    孔子は「自らの父祖の霊ではないのに祭るのは、諂っているだけだ。一族のために果たすべき仕事を見て行わないのは、勇がないのだ」と言った。

    実は、個人が一族の構成員として為すべきこと、為すべきでないことを述べているのです。

    この文章の恐ろしさは、勇という一般に個人に帰属すると見られる特性さえ、「一族のために為すべきことを行う気概がある」という同族至上主義に嵌め込んでいる点です。いやー孔子コワイ。

    ちなみに、『説文解字』の解釈は以下の通りです。

    本文
    義、己之威儀也。
    義は、己の威儀なり。

    段注
    古者威儀字作義。今仁義字用之。儀者、度也。今威儀字用之。誼者、人所宜也。今情誼字用之。

    古の威儀の字は義と作す。今、仁義の字に之を用う。儀は、度なり。今、威儀の字に之を用う。誼は、人の宜くするところなり。今、情誼の字に之を用う。

    まあ、一般には「人として為すべきこと」とされる義字ですが、これらから考えるに、「人」はあくまでステークホルダー、厳密には同族であり、人類一般ではない。

    なぜなら、義字の原義とされる「威儀」は外部評価ですが、この外部は一族郷党だったはずだからです。

    勇がある
    =一族郷党のためにやるべきことをやる
    =己の威儀
    =義
    という図式ではないかと理解します。

    なので、「義侠」という成句は、義はステークホルダー、侠はやや弱いステークホルダーを担当する字なのではないかと推測しています。

    そういう理解を前提にすると、酉陽野史は知識人であり、それゆえに土地所有者であるか商人であるか、いずれにせよ家産がある人であったがゆえに、おそらくは義字は理解できていたが、侠字は理解できなかったのではないか、と推測しています。

    以上の点において、高玉海さんの見解とは用語定義の違いからややズレしているように思います。

    それ以外の点はおおむね異論ありません。
    あー、ハナシが長い。。。
  • おっと失礼。部分だけでは分かりませんね。
    陈年希「《三国志后传》考论」の該当箇所はこれです。(簡体字は私の手でこちらの漢字に直しております)

    (前略)作者雖借劉漢滅晋以満足読者心理上的需要,但在具体的描写中,却是以儒家的政治倫理観念去褒貶人物,評介歴史事件,書中人物遊光遠所言,
    ''好殺者必亡,寡謀者必敗,''可以看作為全書一篇之骨。

    以上です。

    義については、私としては、相田洋先生の「橋と異人」の中の「義について」にある「義は、非血縁関係に使用されるのが本来的であって、宗族関係に適用されるのは、二次的であるからである」と言う解釈でよいのかなと考えています。

    ここで全部、引用するのもアレなので、続きをお話するなら後日メールというところですね(笑)

    >いやー、酒で失敗し過ぎでしょー。魯智深かよってハナシですし、

    実は劉曜のこういうところや、長安陥落時に見られる「武士道・騎士道属性」を巧く使えば、平話の張飛や魯智深みたいな失敗続きだが、愛される痛快キャラになりえたかもと思うと残念です。石勒も三国志演義初期の曹操みたいな魅力的な悪役に成り得たのに。酉陽野史が知識人であったことの限界ですね。どうやっても、教訓話にしたがるところがあるのは間違いないでしょうな。
  • まめさま


    こんにちは。

    〉去

    決め手を欠きますが、
    ''好殺者必亡,寡謀者必敗,''可以看作為全書一篇之骨。
    が結論であるならば、「除く」の可能性が高いですかね。依然として、「以儒家的政治倫理観念」の収まりが悪いように感じますが、概念規定するほどのハナシではないか。。。


    〉義

    訓詁の学は大人のなさぬところですから、それぞれの理解でよいと思います。ただ、面倒クサイことに字釈の相違で議論が成り立たない事例は、時代を限定しない議論ではよく発生しそうなんですよね。
    義、侠あたりは危険度MAX。仁、忠、孝はまずブレないんですけどね。


    〉平話の張飛や魯智深みたいな失敗続きだが、愛される痛快キャラになりえたかもと思うと残念です。

    あー、なるほど。
    初手から石勒と先手争いのケンカでしたから、巧くやれば両方が生きたわけですね。享楽的で見栄っ張りの猛将と現実的で忠誠心が薄い知勇兼備の名将かあ。あー、それは面白いかも知れない。うんうん。


    勉強になりました(笑
  • >義、侠あたりは危険度MAX。
    「義」については、高玉海さんの見解は三国志演義の関羽が示した「義」を酉陽野史が理解できず、取り込めていないという意味ですから、三国志演義の関羽が『義絶』と呼ばれる時代の話しであるので、かなり現代に近い時代の定義でしょうね。小説として語る時の字義は、明代以降になりますね。

    三国志演義の関羽が示した義の例として、曹操から贈り物を受け取らなかったことや、曹操を解き放ったことが挙げられていますので、少なくとも、ここでの義とは、血縁関係者である一族に対するものではなさそうです。

    高玉海さんの論文は、大学院生の論文に過ぎませんからあくまでも参考意見程度ぐらいにとらえていただければと思います。ある程度、同意できるところもあるとはいえ、悪く言えば読書感想文に過ぎません。

    ただ、高玉海さんは結論として、『《三国志後伝》不甚流行的原因当然与他的芸術手法有関,但欠乏読者喜聞楽道的''義''的思想恐怕也是其流伝不広的原因』としております。

    >享楽的で見栄っ張りの猛将と
    >現実的で忠誠心が薄い知勇兼備の名将かあ。

    私なら、「思慮は浅いが、豪快で人情厚い猛将」としますな。河東さんは結構、劉曜に厳しいですね(笑)。

    ただ、これは、明代の講談での流行と当時の人の創作の限界を前提にした話しですね。石勒に劉曜が喧嘩を売るという流れが、張飛が意味もなく当初から呂布や曹操を嫌ったり、魯智深や李逵が招安を受けまいとするのと同じ流れなら自然だったという考えです。こういう童心がある人はなぜか本質が見えるという講談のパターンですね。

    現代人が描くなら、もちろん、両者とも違う造形がいいでしょう。
  • こんにちは。
    うーむ。勉強になります。

    〉高玉海さんの見解は三国志演義の関羽が示した「義」を酉陽野史が理解できず、取り込めていないという意味

    講談における義ですね。
    確かに、『三國志演義』における関羽の行いは、一貫して義を体現しています。その一方、創作上の義の描写がおしなべて高いレベルに至ったわけではないという指摘であるなら、たしかにそうですね。
    関羽はさまざまな民間伝承が先にあって義の人とされ、『演義』がそれを組み込んだのかも知れません。例外的に完成された希少な作品の一つ、と考えないといけませんね。自戒。
    『両晋通俗演義』や『南北朝演義』あたりは遠く及びません。「日本人は三國志だけ大好き」とよく言われますが、作品の練られ方を勘案すると「中国人も三國志は飛び抜けて大好き」なんじゃないかなあ。他に比べるとレベルが違いすぎる気が。。。


    〉高玉海さんの論文は、大学院生の論文に過ぎません

    しかし、なかなか面白いです。
    『《三国志後伝》不甚流行的原因当然与他的芸術手法有関,但欠乏読者喜聞楽道的''義''的思想恐怕也是其流伝不広的原因』
    『三國志後伝』が流行らなかった理由はやはり表現手法に関係しており、読者が喜ぶような義の思想が欠けていたのも、おそらくは広く読まれなかった原因であろう。

    義はカタルシスと考えると、なかなかの卓見と言ってよいかも知れません。素直に見れば、お説ごもっともです。



    〉ここでの義とは、血縁関係者である一族に対するものではなさそうです。

    そうですね。
    ここで言う義は、韓国風に「ウリ=身内」と「ナム=それ以外」を分ける考え方でしょうから、血縁には限られませんよね。関羽にとって劉備はウリ、曹操はナムだから、劉備との関係は絶対に破らない。
    一方、国士として遇した曹操に対する借りも無視せず、落ち延びる際に見逃してやる。
    後者はどちらかと言えば、侠に近いのかも知れませんが、一般的な概念とは言えませんから、義の一部として含まれるのかも知れませんね。義の方が適用範囲が圧倒的に広いです。

    やはり、義に尽くす人が読者にも喜ばれますよねー。


    〉劉曜に厳しい

    歴史上の人物といっても完璧ではありませんから。。。劉曜に厳しいというより、個性=欠落という考え方なのかも知れません。それはそれでイカンですが(笑


    〉「思慮は浅いが、豪快で人情厚い猛将」

    あー、読者に受けそうですね。張飛の類型にすぽっとハマっちゃいますので、差別化が難しくなりそうですが。。。


    〉童心がある人はなぜか本質が見えるという講談のパターンですね。

    李逵や魯智深の亜流としての劉曜が、いずれは漢に叛く石勒を無自覚に忌避した、だから初手からケンカ腰、という構図ですね。
    講談の頻出パターンを踏んでいますが、徹底しないのがなあ。。。劉曜はもっとバカでもいいのに。


    〉現代人が描くなら、もちろん、両者とも違う造形がいいでしょう。

    モダナイズするなら、北方版水滸伝くらい振り切る方がいいでしょうね。昔の概念を掘り返しても分かりにくいだけでしょうしねえ。。。それはそれで面白いんですけど。

    何というか、中国文学チックな話になりました。
  • 大雨で大変ですね。私の実家は無事でしたが、災害対応の仕事が発生しておりました。

    まとめの資料は入手が遅れているので、wikiの改変の準備と平行しながら作業することにしています。

    読み返してみたら、河東さんから義の字義について、丁寧にご説明いただいているのに、私は礼も言わずにスルーしていることに気付きました。私だったら、カチンと来るところです。大変、恐縮です。どうか、ご寛恕ください。

    時間が余り、まとめのさらなる補強のため、三国志平話・三国志演義周辺論文を調べていたら、演義・関羽の「義」に関する興味ある論文を見つけました。

    『三国志演義』における義気について -- 中国文化のエートスへの一考察
    https://air.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=1223&item_no=1&page_id=13&block_id=21

    初めや字義については余り同意できませんが、よろしければ、8頁の「三国志演義の義気」から読んでいただければと思います。

    三国志演義の義の概念を、公的正義である義理と私的正義である義理に分け、関羽の義とは、義理と義気との葛藤の中で義気を貫くことにあるとしています。吉川英治ら日本人はこの義気に対する理解が乏しい
    義侠心という言葉は名訳だが、それとも遠いと解しているのです。

    これが、高玉海さんのいう義に概念に近いのではないかと感じます。

    >作品の練られ方を勘案すると
    >「中国人も三國志は飛び抜けて大好き」
    >なんじゃないかなあ。他に比べるとレベルが違いすぎる気が。。。

    そうでしょうね。歴史講談関係は遠くどれも及ばないとしか思えないですね。中国人でも他の時代は、日本の戦国時代以外の大河ドラマも時々あっている、時代劇や歴史劇は普通に放送している、から見ている程度の意味ではないでしょうか。

    酉陽野史に、私は散々と文句を言っていますが、それでも評価は「当時としては完成度が高い歴史小説」ですからね。

    >講談の頻出パターンを踏んでいますが、徹底しないのがなあ。。。
    三国志演義で例えたら、平話がなくて、いきなり戯曲のネタから嘉靖本を作ろうとするようなものですよ。そりゃ、無理というものです。
  • まめさま


    おはようございます。

    〉大雨

    九州から近畿まで被害が広がり、知人友人の安否が気になります。害を被られなかったようで、何よりでした。昨年は九州北部豪雨もありましたし、災害の頻発は悩ましいところです。


    〉私だったら、カチンと来るところです。

    自分の考えをまとめているところがありますので、御心配なく。独り言みたいで、それはそれでどうなんだか、ではありますが。


    〉『三国志演義』における義気について -- 中国文化のエートスへの一考察

    御教示ありがとうございます。
    中国哲学方面からのアプローチですね。ざっと拝見しましたが、同意するところはほとんどなかったです。作法が違いますから、仕方ないです(笑)

    しかし、異文化を自文化のフィルタなしで理解できる、すべきという考え方はナンセンスというか、独善だと思います。そりゃ無理でしょー。

    だから、「民族」の「ことば」を理解することは、今日でも至難の業であるというか、その文化に暮らして文脈を掴まないとムリ、それでもやはりフィルタで歪む、という限界は不変じゃないかなあ。

    ヨーロッパは文化的に共有する部分が多いから統合できた。中国とチベットは文化的に遠いために悲惨な同化政策を取らざるを得なかった。別に、互いに分かりあおうとしたわけではない。そもそも、そんなことをした民族は存在しません。

    北族の漢化にしても、単に文化的経験が蓄積した必然に過ぎないわけでして、分かりあおうとしたわけではないです。

    公的正義と私的正義というのもなあ。。。それなら何故に庶民生活の記録が残る時代において中国人は公的正義を徹底的に蔑ろにしているのか、という問題がありますね。

    宋代以降の裁判記録を読む限り、公的正義なんぞ屁のツッパリにもならないレベルの愚民ばかりでしたけど。

    中国人も公的正義としての「義理」を重視し、私的正義である「義気」に引き裂かれる、という理解そのものが、日本人的なんじゃないかなあ。公子の別に苦しむというのは、近代以降のものじゃないですかね。

    関羽が引き裂かれたのは、曹操に国士として遇された恩義と劉備との義兄弟の義理であって、漢の再興なんつー公的正義は一片も現れないですよね。

    『水滸伝』の宋江も、国家に忠誠を尽くしたいという御題目よりも、及時雨つまり困った時に一肌脱ぐ義気が人気の理由でしょうし。結末を考えても公的正義を私的正義とバランスさせていたとは考えにくい。

    なんか色々と破綻している気がしました。
    つーか、吉川英治に何を求めているのか。


    〉高玉海さんのいう義

    そうですね。
    義についての理解は吉永先生より高玉海さんの理解が正しいはず。ネイティブですから。しかし、言うところは私的正義としての理解だろうなーと思います。


    〉酉陽野史

    『三國志演義』は例外的な作品である、という理解が大事ですね。管見する限り、他の演義作品はたしかに出来がいいとは言いがたいです。岳飛に関する作品も平板な印象を受けましたし。

    しかし、吉永論文中の安徽省の劇では呂布が活躍する、とかは面白いです。ご当地ヒーローみたい。そういうのが各地に散らばっていて、統合されたのかも知れません。

    『三國志演義』と他を比較することは、長い熟成期間を経た酒と蒸留したての酒を比較するのと同じかも知れませんね。比べるのがそもそも間違い。

    蒸留したての酒の中では『後伝』はよく出来ているという評価は、作品評価としてフェアなものと言えそうですね。
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