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翻訳の功徳を説いてみたいです。

こんばんは。
豪雨被害が拡大しているようで、大変に心配です。知人友人は無事だったようですが、まだ被害の全体は掴めていないようですね。さらに中部地方にも広がりそう。とりあえず、できることは募金しかない。。。募金する!


▼「二十四章 残火燃ゆ」
『続三国志II』は二十六章で完結となりますから、いよいよ大詰めに入って参りました。ちなみに、章名は昔のNHK大河ドラマへのオマージュだったりします。『山河燃ゆ』って知らないでしょうね。山崎豊子『二つの祖国』が原作の重い作品でした。

未公開と合わせるとすでに30万字を軽く超えています。やっぱり全体では90万字は超えるか。。。これ全部読み直して改めて、ルビ振り直して概念図付けるの?
ヤダー、超キモーイ(泣)


▼王彌
劉霊とともに漢軍の大黒柱を務めた王彌もついに退場。しかも、彼らの後を継ぐはずだった劉曜と石勒の片割れに謀られるという最期。。。いよいよ漢の先行きが危ぶまれます。


▼翻訳の功徳
今回の本題です。

ほら、いきなり小説書くとか、キツくないですか。文章が読みにくいか、読みやすいかとか、自分ではなかなか分かりませんよね。
それに、お話を考えるのもなかなか大変。実は優れたアイディアでも文体の問題でウケなかった、とかもあり得ますよね。

小説の場合、ネタの良し悪し&文体の良し悪しの二つを気にしながら書かないといけません。

それに、自ら考えたネタには思い入れもひとしおでございますから、アドバイスも批判と感じたりしがちなものでございます。

そういう悩みを踏まえますと、既存の作品を翻訳してみる、というのは如何でしょうか?

翻訳のメリットはいくつかあります。

まず、話を考える必要はありません。すでにある話を現代日本語に置き換えるだけですからね。楽とは言いませんが、少なくとも、お話を考えなくてもよいのです。

無論、ウケるウケないのレベルでは考えないといけませんが、自分で考えたお話ではありませんから、客観的な目でネタの良し悪しを考えられます。場合によっては、筋を改めてしまうのもアリかも知れません。

さらに。
文体に特化して考えられますから、アホみたいに長いお話でなければ、複数の文体でのチャレンジも可能です。小説チックに訳したり、それをラノベ風に展開したりも思いのままでございます。

だから、長編はダメですよ。
たとえば、森鴎外の作品を読みやすくリライトしてみるとか、よさげですよね。やってみようかなあ。。。

加えて。
必ずしも本邦初訳にチャレンジしなくてもよいのです。既存の翻訳を参考にやり直すのもアリです。むろん、その際は参考にしました、と仁義を通さねばなりませんが。

そんなワケでして、小説を書きたいけどハードル高いなあという方は、翻訳にチャレンジしてみるのも、よいと思うのですよねー。

是非ご検討下さい、なのです。

6件のコメント

  • >翻訳

    えー!

    ずるですよそんなの―!
    ずるっこずるっこー!
  • https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338
    デイリー世説新語
    佐藤

    こ、これは一体。。。
  • 翻訳ですか。

    『續三國志演義』と『續後三國志演義』の翻訳はしたいと思ったこと以外、小説では思ったことありませんね(笑)

    これも、自分の手がやるのは、誤訳ばかりになりそうでいやだと、心の中では考えていました。

    本当に虫のいい夢が実現したわけで河東さんのご尽力に感謝する次第です。私は本当に幸運ですな。
  • こんにちは。

    やりたいことがハッキリしている方は邁進するのが吉だと思いますが、「なんか書いてみたいなー」とボンヤリした希望がある方へのご提案ですね。

    ただ、これも楽しめる限りにおいてのことではあります。

    誤訳という問題もありますが、既存訳を参考にするのもいいと思いますし。必ずしも初訳をやる必要はないです。それでも、かなり勉強になります。

    初訳を公開すると、まめさんみたいに反応して頂ける場合もあって、Win-Winになりやすいかも知れませんね。

    他の方との交流から、知識や楽しみの幅が広がるのも大きなメリットです(真剣
  • まあ冗談はさておき、初動のハードルが下がるのは素晴らしいですね。自分はその辺を考えるまでもなく作って公開してた口ですから、実のところそのハードルって奴がいまいちわからんのですけれど、周りの方を見ていると、ものすごく高く感じていらっしゃるな、と言うのは感じます。こればっかりは当人の気持ち次第ですからね。どうしようもないと言えばどうしようもないんですけど。

    確かに翻訳は、もう既にそこにあるものを呈示する分、演出にだけ集中できる、と言うのはありますね。デイリー世説新語も、いかに気軽に読めるものにするか、に物凄く集中出来てます。エピソードそのものも面白いですが、演出力の訓練みたいなところもあり、楽しいです。

    アンブローズビアスとかラロシュフーコー辺りの私訳は最高に悪趣味で面白そうですが、まあ世説新語のあとかなw
  • 佐藤さま

    こんにちは。
    Webで晒し慣れている方もおられますし、そうではない方もおられますよね。でもまあ、せっかく「場」があるなら色々と使ってみる方が楽しいのではないかなあ、と思っておりまして。人生は思っているより短いものでございますし。

    でも、やりたいけどモジモジしちゃう人もいるじゃないですか。

    そんならば、「翻訳やリライトは壁低くていいですよー」と、
    アホみたいに長大な翻訳を無惨にも公開している人間が言うと、
    「お、おう・・・」とはなりにくいかな、と思いまして。

    演出大事ですよね。村上ハルキ氏も文体が大事だと申しておりました。
    初訳ではなかなかそこまで気が回らないものではありますが、二周すると何とかなるかと思います。

    ビアスは筒井版『悪魔の辞典』が思ったより面白くなかったなあ。。。ひたすらに頭がいい人なんだなーと感じました。中学生の頃に読んだ岩波版の方が毒々しい印象。読んだ年齢による錯覚でしょう。ほかにも短編を多く物されているようですね。

    ラロシュフーコーは読んでないなあ。『箴言集』でしたっけ。

    やっぱり読書がアジアに偏っているのです。そういえば、本サイトでも洋モノ(言い方。。。)の翻訳は少ないですね。

    気づいたのはジュール・ヴェルヌを訳されている喬木あきらさんくらいですかね。
    難破船シンシア号の謎
    喬木 あきら
    https://kakuyomu.jp/works/1177354054885851617
    しれっと宣伝も混ぜてみました。
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