以前、東京・浅草寺の「四万六千日(しまんろくせんにち)」について近況ノートに投稿しました。「7月9、10日にお参りすると、四万六千日分の効果がある」とされていますから2年連続のお参りは、単純計算で252年分の効果がある、という計算です。そんな打算的な心構えでは徳は積めそうにありませんが、今年の四万六千日をきっかけに「集印」を始めました。
全国の寺社の多くでは、奉納の「証」として初穂料を納めて、いただくもので「記念スタンプ」と異なることはみなさんご存知の通りです。
芭蕉が「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだ立石(りっしゃく)寺では、あるお堂の仏様に仕える僧侶の方に「一度、納経をして下さい」と文字通り「説教」を頂戴し、般若心境の写経を始めました。以来、不慣れな筆を取り、日課のように少しずつ取り組んいます。本来は写経を奉納して「朱印」をいただくものらしく、徳川家の菩提寺のひとつである増上寺(東京・芝)や赤穂四十七士の墓所、泉岳寺(東京・高輪)では集印の際に簡素な写経を求められます。『毛筆の練習をしていて良かった』と心から思いました。ろくにその意味も知らなかった「にわか仕込み」ですが、不思議に年賀状を書く時にはない心の“落ち着き”や“やすらぎ”を感じます。日本人のDNAでしょうかね。
小説では、誰に写経してもらおうか思案中ですが、来月には御朱印をいただく際に「初納経」を体験したいと思います。