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私が執筆できない理由は【罪悪感】なんじゃないかと思います

 私がここ三ヶ月、小説がまともに書けない原因は、罪悪感なんじゃないかと思います。
 スキマ時間を使えば、毎日執筆だってできるはずなんです。
 実際、毎日youtubeは見てしまっている訳ですし。
 一方、アニメや読書は殆どできていません。
 執筆と同じく、観る気力が沸かないんです。

 その原因はおそらく、両親に対する罪悪感です。

 私は国立に落ちて私立に通っていますが、大学に満足に通えていない状況です。
 課題に追われて、精一杯頑張っても赤点ギリギリもしくは落単する状況。
 私立大学の学費は高いです。年間費を授業日で割ると、1日あたり一万円。一授業あたり3000円です。

 私は両親からそんな大金を払って貰って、バイトができない私を金銭面で支えてもらっている立場です。
 だから、勉強しなくちゃいけないというプレッシャ―があります。
 早く体調を良くしなきゃいけない。大学に毎日行けるようにならなくちゃいけない。大学課題をこなして、できる限り多くの単位を取らなければいけない。

 私の現状は、大学の課題に追われて赤点スレスレ、昨日(日曜日)も体調を崩してしまって勉強時間はゼロでした。
 ……今このときも、大学課題をやる元気がどうしても沸かなくて、こんな近況ノートを書いています。

 こんな精神状態では、私は執筆できません。
 アニメを観たり、読書したりもできない。
 遊びに行ったり、出かけたりする訳にもいかない。

 お金と時間と愛情をかけてくれる両親に対する罪悪感です。

 ……娯楽や趣味や休息はあくまで、心身を回復して勉強するための手段でしかないです。
 ……全ては、大学を進学し卒業するために。
 ……バイトできるようになって、友達を作って、彼女も作って、就職して、一人前の大人として自立できるように。
 ……私はそれに全力を注いでいます。
 ……今はそれ以外は考えちゃいけない。考えられない。両親のために。

 ……だから、執筆やアニメ視聴を始めると、強い罪悪感が湧いてきます。
 スマホで寝転んでyoutubuを見ていると、罪悪感が湧いています。

 ……この”罪悪感”はとても強くて、棘のように自分を苦しめて、本来楽しいはずの娯楽が全く楽しいと感じられなくなってしまいます。

 ……本来の目標である”大学”と”自立”から他のことに逃げてしまう罪悪感。
 この”罪悪感”を回避する方法は、”たった一つ”だけ存在します。
 それは”理由付け”をすること。”意味”をこじつけること。”言い訳”をすることです。

「youtubu視聴は、疲れた心を癒やすためのリフレッシュだ」
「このアニメ視聴は、勉強と勉強の間の息抜きだ」
「疲労が酷い。今日は大学を休んで、布団で寝込んで回復したほうが、明日からまた元気に頑張れる」

 こんな風に、もっともらしい理由や言い訳をこじつけるんです。
「これは逃げじゃない、真っ当な努力だ」
「この休息(娯楽)は、また頑張るための息抜きだ」
「俺がここで休むことが、目標達成のために最善なんだ」

 もっともらしい理由をこじつければ、youtubu視聴やアニメ視聴だって”努力”になります。
 ”休息”も”努力”のうちです。

 しかし……残念なことに、
 ”執筆”は息抜きにはなりません。私にとっては。

 ……執筆すると、疲れます。
 「”大学”と”自立”」という現在の目標に対して、小説執筆は、”体力を消耗する要素”でしかないんですよね。
 ……それは、私が本気で小説を書いているからです。魂を込めて書いています。書くのは楽しいですけど、心身ともに限界まで疲弊します。

 ……執筆はどうしても、”勉強の合間の息抜き”にはなりません。
 色々試してみました。軽い気持ちで気軽に書こうと思ったり、でも無理だった。
 私にはどうしても、軽い気持ちで執筆なんてできない。

 小説執筆は、「”大学”や”自立”」という目標に対してうまく”理由づけ”出来なくて、書き始める度に罪悪感で胸がいっぱいになります。

 小説を書こうと思ってパソコンを開いて、一行二行を書きだして。
 文字を打ち込むたびに罪悪感が大きくなって、キーボードを叩く手がパタリと止まって、
 執筆フォームを閉じて、大学レポートを書き始める。

 この二ヶ月間、そんな事が何十回もありました。


 今の私は、”理由”がないと娯楽を楽しめない状態です。
 アニメを観る量も、読書量も激減しました。

 アニメや漫画を楽しんでいる時間、常に心の中の自分が尋ねてきます。
「お前は精一杯努力しているか? 自立して両親を安心させるために、できることはすべてやっているか?」
 私は答えます。
「当たり前だ。いま布団の中でyoutubuを見ているのは、一刻も早く身体の不調(うつ症状)を取り除き、月曜日からまた頑張るためなんだ」
 と。

 とにかく、自分の精神状態がうまく分析できて良かったです。
 スキマ時間はたくさんあって、でもどうしても小説が書けなくて、
「もしかして私は、小説を書くのが嫌いになったのではないか?」
 って、ずっと不安に思っていました。
 でも、きっとそうじゃなかった。
 罪悪感でした。支えてくれる両親に対して。

 原因や理屈が分かったからといって、すぐに解決策が思い浮かぶ訳ではありませんが、私の心は確実に軽くなりました。

 ……私には何も分かりません。
 明日どうなるのかも、一年後にどうなっているのかも。
 夏休みに入って大学課題から開放されたら、執筆モチベが復活して書きまくれる可能性も期待していますが、正直全然自信はないです。
 夏休みに入って時間ができたとたん、執筆ブランクとスランプに苦しむのかもしれません。
 悪い想像ばかりしてしまいます。

 ……不安だらけの泥沼のなかで、
 私はいま、確かな成長を感じながら、一歩一歩前に進んでいます。
 きっと前に進んでします。そうであってくれと願いながら。

 試行錯誤と反省ばかりで、未来のことは何も約束できないですし、良い結果の保証はどこにもないですけど。

 両親のために自立を目指し大学に通う、作家志望うつ病歴10年の大学生がここに居る。
 ただそれだけのお話です。

1件のコメント

  •  この理論でいくと、
    「大学を頑張ろうと思えば思うほど、執筆するのが苦しくなってくる」
     という最悪の事実が浮かび上がります。
     このジレンマを解消する方法は、たった一つ。

    「大学とか余裕すぎ! 課題も余裕でこなせるわ。暇になったから小説書こう」
     くらいハイスペックになるしかないかもしれません。

     大学を辞める選択肢も、常に頭のなかに存在しています。
     とある方から薦められた”文転”も。
     しかし、そっちの方がもっと苦しい人生になる気がしたので。
     いまもう少しは、このまま大学で頑張ろうと思っています。
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