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統計を知り俺たちの関係が得難いことだと知る


だいたい今頃の季節を薄暮というんだそうで、驚くほど明るい(秋は明るい!)午後のあと、夕方ごろさみしい印象画みたいな雲が広がると「ああ薄暮。」とおもいます。みんな生きてますか?空が見えてますか?ニンテンドースイッチやりすぎてませんか?

だいぶ前のお話なんですが、ユーザーの方の絶え間ない努力により、カクヨムの統計が出ていたんですね。それをフムフムとあるとき読んでいたら衝撃の事実を知りまして…

「普通は評価など勝手につかん」

知らなかった…知らなかったです。わたしはPVとか気にしないまったり系でいこうのんびり普通列車旅がコンセプトで今までやってきたんですが…そういう雰囲気に惹かれてひとびとは読んでくれてるのとばかり思っていた。しかし読者にとってコンセプトは二次的なもので、マテリアルの問題として、「この話が好き」と思って読んでくれるもの。mattttttttttter of factとして評価が存在する…(相互さん多いひとはちょっと違うかもですが。コミュニティの違いですね)このことに無自覚すぎたのです。甘えていた。

思えばちょっとタカビーになっていたのかもしれない(´・ω・`)
この血と汗と涙のつまったものにつく評価として、まあ順当なところだろうと。さしてコミュニティ化することもなく、ファッキンアルゴリズムや、ファッキンマーケティングを利用して、PV稼ぎを夢見るあなたに知見をお届けしているファッキン達からの手を逃れているような、公園のような場所にしたいと…それがわずかばかりの人に伝わっているのだと…そう…思っていた…

でも違ったんですう(´;ω;`)
読者は純然たる読者。
コンセプトがあってもなくても読んでくれる…「おまえの好きにしなよ。なんでもいいから。いつでもどこでも助けてやるよ…」
そういう親友のような読者…
そういう存在を順当などと思っていた私がばかだった。








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