毎日毎日おなじことをやっている、と人からそう見られがちですし、また自分でも時折そうおもうわけですが(一般的なことです)、そういう日々がいつまでも続くことは、あり得ません。なぜなら、そのいつもやること、やらないといけないことというのは、いつかは自分にとってそれほど必要でなくなり、また人から必要とされなくなった時点で、お払い箱になるからです。そうでなくてはどうしてもいけない、というわけではありませんが、社会性をもつことで人は人として認識され、また個々の人格も自分は生きている、と認識できる以上、仕方のない流れではあります。そのことを踏まえた上での表現ということを思うと、まったく人と関係しない部分でつくっていくことも、また意義あるものに思えてくるのが人情かな、と思います。
例えば自室のインテリアを変えたり、ちょっとした改装をしたりするのは、お客を呼ぶのが趣味でない限り、まったく自分だけの目の楽しみ、そして部屋のものは刻一刻となぜだか移動していきますから(笑)、ほんとうにそのときだけのもの、そのときかぎりの美しさです。よく作家の書斎を撮り集めた写真集が出版されますが、どんなに手を加えないように残したとしても、普段の部屋の感じというものはなかなか写真に撮ろうとしても撮れませんよね。そうなるとその時期その時期の雑誌のインタビューに写った作家の自室とかが、最も近しいわけで、そのへんが雑誌の価値なのかな、と思います。その人がわかる、あるいはその人を理解したいと望んだひとがつくり、そういうひとがたくさんいるのだ、とほのかに認識するのが雑誌の本当の価値なのかな、と思います。
週末になってがぜんと仕事をしたくなった私の今の心境でした。