• エッセイ・ノンフィクション

持って生まれた何か。。

自分の信じる道を生きようとした時に必ず踏む轍というものがある。


一旦、ド~ンと落ちる。。
そんな轍を踏んで浮上する。。

そして因果応報。。これもあると思う。。
私にも因果がある。。
自分が生き延びようとした時、いろんな人の心を傷つけてきた。。

私の人生が不条理であったとしたなら、私がそれぞれの人に対して傷つけた出来事は相手にとっても不条理なのだと思う。

だから落ちねばならなかったのかもしれない。。

イジメ、嫌がらせ。。これらは私の因果なのだろう。。


今回の職場に私は完全に乗り換えた時、
此処には何かあるだろうと思っていた。
そしてここは長く続かないだろうとも思っていた。。。にもかかわらず、
一日だけ前の職場に席を置きながらそこをやめて、ここを週4から週5にした時、前の職場は体調を崩すほどのイジメを受け、事業所を移動していましたが、移動先はリハ系の特色の事業所だったため体力の限界を感じて辞めると言う経緯がありました。その移動先のの所長から「今度の処は大丈夫なの?」と聞かれていて、 
私は最後のお手紙でこう答えている。。↓

「実は問題ありです。もっと言えば、興味のある問題です。。
今度の職員は手ごわいですよ!具体的には会社が違いますから書けませんが、
自分の人生を知るために飛び込む価値のある問題ですとだけしか書けませんが。。
何せ自分の人生をかけた目標(自叙伝を出したい)の為ですから。。
たとえゼロか100であっても、興味には勝てません。

但し、社長が良い人です。厳しくもあり平等を心掛けている人でもあるようです。」と。。。


虐待は、ある意味自分の人生のテーマでもあります。
子供も、ご老人も家庭もしくは施設は檻であってはならない。。
弱者が檻で囲まれるという事は決してあってはならない。。

青臭い正義感だと思われようとも私は完全なる意思で「NO」を突き付け、少々の風を起こしてから去ろうと思っていたのかもしれません。


但し、こんなに早くその時がやって来るとは思っていませんでしたが。。

虐待主を擁護する人も居ないではない。。
「私だって○○さん(利用者様)に対してはぶん殴ってやろうかと思った事もあります。。しかも今回暴言や威圧であって殴った訳ではないのですから。。。」


でも、これこそが慢性なのだと思いました。

みんな自分の職は大切です。。家族が居れば尚更の事。
だから目を瞑るのでしょう。。

そうして全体的に慢性化していき、その中で特殊化した職員がエスカレートしやすくなって暴行事件にまでなっていくのだと思った。


それが虐待をエスカレートさせる要因であり、

正常と異常のボーダーは
「つい我慢ならなくて一瞬声を荒げてしまった。」
それを振り返り、すごく反省した。。
というところまでなのだと思う。


演奏のボランティアが来ていてその音にかき消されるだろうと、彼女は計画的にトイレと言う密室に連れて行き、そこでなん十分も怒鳴り散らすという行為は完全にボーダーを超えており、
自分が怒鳴り、怒鳴る声に自身がまるで強くなったかのような錯覚をし、感情がアドレナリンをより放出させ、酔い痴れ、沸点までいかないと戻ってこれない。。といった人間性。。まさに私の父と同じ。。サイコパスの芽をお持ちなのだと思った。。

私がミーティングで「あれはどういうことか?」と言った時、
「私は至って冷静でした。もし、皆さんが○○さんをコントロールできるならやってみなさい。」。。。と彼女は言っていた。

反省も無く、自分が正しいと言い切った姿に恐ろしさを感じました。と同時に私の父と同じだと確信しました。。

普通であればもう私は辞める訳ですから深追いしないでしょう。。
ところが執拗に嫌がらせをしてくる。。

その執着心たるや。。面白すぎる。。

そろそろ、背中の痛みも和らいでいます。。
今日は2軒病院へ行きます。明日からか?はたまたもう少し休みが続くのか分かりませんが。。

この職場、
自分で望んで来たのですからしっかり見届けたいと思います。
ド~ンと落ちたのですから、次なる職場に期待したいと同時に
こうやって事業所を転職する事は
さまざまな場面を体験できるということでもあり、
終身雇用が望めなくなった世の中において、転職はスキルアップにつながる。。1つの職場で妥協しながら生きるというのはもう古いのかもしれない。。そんな気もしております。

私は井の中の蛙では嫌です。。大海を泳ぎ続けるマグロでありたい。と考えております。

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